第41話 二人の家
仕事の途中だったので、念のためにキンスリーに挨拶をしてから帰ろうと寄ると、彼は笑って「それがいいよ」と言ってくれた。頭を下げて礼を述べてから村の方へと駆けていく。
シュレイム村は森の中にある小さな集落だ。バーチ家を中心にした木こりを生業にする家が多い。次いで農夫が殆どである。土壌が豊かで比較的なんでも育ちやすい。
村の中心には村のシンボルである大樹と教会がある。神父と見習いの二人が在籍し、神父を中心にして村は成り立っていた。
いつもはひっそりとしているが、今日はあさっての祭りの準備をするために、村の女や子供が集まっている。彼女たちに挨拶をしながらリルは教会へと赴いた。小さくて質素な作りだが、この近辺で伐採された良質な木材がふんだんに使われている。木製の両開きの扉のうち片側をゆっくりと開けるとぎいっと蝶番が軋んだ音が鳴る。外の光と共にリルの影がぬっと中へと伸びた。
「今からでも遅くないでしょう」
怒気を帯びた声が耳に飛び込む。プレストン神父と彼の義理の息子である神父見習いのラムジーが何か話していたようで、ふと会話が止まり二人の視線がリルへと注がれた。
「やあ、あなたでしたか。どうかなさいましたか」
プレストンは優し気にそう尋ねてきた。リルは会釈する。
「あの、薬を分けていただけませんか」
「おや、怪我でもなさったんですか?それとも具合がお悪いのですか」
「またリヒャルトが熱を出して」
「それはいけない。そこに掛けてお待ちなさいな」
リルは一番後ろの三人くらいが掛けられる長椅子に浅く座った。ラムジーは「後でまた話そう」と奥へ下がろうとしたプレストンの背中に投げてからリルの方へと向かってきた。あまりにも険しい顔をしているのでリルは硬直し、視線をあわせないように軽く会釈だけする。ラムジーはリルを一瞥して教会を出て行った。扉が閉まったのを確認してリルは嫌な緊張感で詰まっていた息を吐き出すようにため息をつく。
しばらく待っていると神父は出てきてリルの元へと足を滑らすようにして歩いてくる。リルは立ち上がった。
「お待たせしましたね。これを」
リルはさっき貰ったばかりのコインのうち二枚を取り出しプレストンに渡す。そして差し出された小さな袋を両手で受け取った。
「いつもすみません」
「とんでもない。なにかあればいつでもいらっしゃい」
礼を伝えて教会を出ようとしたがリルはさっきのラムジーの険しい顔を思い返し足を止めた。
「さっき神父様たちのお話しを邪魔したようでしたが、何かありましたか?」
すみませんと軽く頭を下げて上目遣いに垣間見ると、プレストンは笑顔のまま少しばかり眉間に皺を寄せていた。
「ああ、聞こえてしまいましたか?今度のお祭りのことで熱くなってしまったんですよ。驚かせて申し訳ない」
深々と頭を下げようとするものだから、リルは慌てて身振り手振りで必死にそれを止めようとした。
「立ち入ったことを申し上げました」
「いえいえ、こちらこそ。ささ、早く薬を持って帰って差し上げなさい」
リルはもう一度不躾だったと謝ってから教会を後にした。祭りの準備でにぎわっている広場を横目に早足で去った。帰りに酪農を営む家に寄ってミルクを分けて貰ってから家路についた。村の端にある古びた家は、この村に身を寄せたときに空き家だったことで貸してもらった。貸してもらったといっても家賃を要求されるでもなく、すべてがプレストン神父やダボンをはじめとした村民の好意からである。立ち並ぶ他の家々よりも少し離れた場所にあることで静かな家だ。また碌に訪問客もおらずひっそりとしていたが、それがリルや特にリヒャルトには心地のいい家だ。
(今思えばあの家も街の端にあるような家だったな)
リルの背が、今よりもずっと低かった頃、イアンの大きい手にひかれて連れられた家のことを思い出す。太陽が届かない薄暗い街の階段を何段も降りて、奥へ奥へと進んだ場所にある無骨な家。短い期間しか住まなかったけれど温かで電気が煌々と灯る明るい家。彼はあの頃も、家から出ることが殆どなかったとリルは思う。大抵地下室のリクライニング付きの椅子に寝転がっていた。今では場所が変わっただけで、彼の暮らしは変わっていない。
リルは明かりのついていない暗い家に入って、まずは入り口に近い鎧戸を開けた。それからミルクを居間のテーブルに置き、台所で汲みいれたカップを持って二階へとあがる。リヒャルトの部屋の扉をノックをするが返事はない。リルはゆっくりとその扉を開けると、出かける前と変わらないままベッドに横たわっているリヒャルトがいた。サイドテーブルに置いた水は少し減っているようだが、パンは食べずにそのまま置いてある。
「薬買ってきたよ」
シーツの上から軽く揺する。リヒャルトは荒い息をしながら呻いて目を開けた。手を貸して体を起こし、薬と汲みたての冷たい水を渡すとそれに口をつけた。リルは淀んだ空気を入れ替えるために鎧戸をあけた。家の中に明かりが満ちる。真っ赤な顔をしたリヒャルトは目を細めてまた呻いた。
リルはポケットから薬を取り出して包みを開いて口元に持っていき飲ませる。リヒャルトは苦さから顔を歪ませ、すぐに水を口に含み薬と共に飲み下した。
「しばらくするといつものように楽になるよ、きっと」
両眼は潤んでとろんとしており、返事をするのも苦しそうだった。
「少し早いけれど夕飯の準備するから」
リルはリヒャルトを寝かせてから残されたパンの皿を持って部屋を出ようとした。
「すまない」
掠れた声で弱弱しく言ったリヒャルトに、リルは「いいよ」とも「気にしないで」とも言えずに、リルは息をするように「うん」と声を漏らすのが精いっぱいだった。




