第39話 夢から醒める
熱い。何かが焼け焦げたにおいがする。うっすら開いた目に映っているのは、ごおごおと炎があがり部屋の中を黒い煙が広がっていく様子だ。息ができず咳き込みそうだが、それもうまくできない。息が苦しい。熱い。体が動かない。
——誰か助けて。
——お願い。
——誰か。助けて。
——誰か、誰か、誰か誰か誰か誰か誰か!
はっと目をあけてリルは必死になって息をした。呼吸が落ち着いてくると、寝間着が少し濡れており汗をかいていたんだと自覚することで、今まで見ていたものが夢だと知る。安心感から大きく息をして脱力した。リルは体を起こして額に流れた汗をぬぐう。遠くでこーん、こーんと音がする。鎧戸から眩しい光が漏れている。何時だと思い戸を開けると一気に部屋の中が明るくなった。すっかり陽が登ってしまっていた。
リルは慌てて部屋を飛び出し階段を下りるが誰の気配もしない。リルは妙な安心感を覚えた。台所へ行き汲み上げた水を木製のカップに注いで一気に煽った。冷えた水は体の真ん中を通ることでこれが現実なんだと思い知らされる。
喉の渇きが癒えて少しだけ人心地がついた気がした。リルは階段を上り、自身の部屋と隣接した部屋の扉を軽くノックした。
「リヒャルト、いるの?」
返事がない。リルは大きくため息をついてから「入るよ」と声をかけてから扉を開ける。中は薄暗がりだった。鎧戸の隙間だけがくっきりと色を見せている。リルは鎧戸へと近づいてそっと開けた。容赦なく差し込む陽光に低いうめき声があがる。リルは眉間やおでこに皺を寄せたリヒャルトに視線を投げた。
「起きて。もうお昼だよ」
リヒャルトはシーツを頭から被りごろんと壁の方へと寝返りを打つ。リルはため息をついた。
「お昼だってば。起きなきゃ」
淡々とそう伝えると、壁に向かったままリヒャルトは呻きながらつぶやいた。
「おまえも寝間着のままじゃん」
夢の中に声を置いてきたような掠れ声で悪態をつく。
「そうよ。私も寝坊なの。おかげで今日の夕食はお水だけになるかもね」
シーツの小山に手を置いてゆさゆさと揺り動かそうとしたが、掌にじんわりと熱が伝わった。リルは手を置いたままもう一度ため息をつく。
「食事は出来そう?」
「……無理だ」
「お水汲んできてあげるから」
リルはスライスしたパンが乗った皿と、汲んだ水を水差しに入れてカップと共にベッド脇の小さな引き出しの上に置いた。
「今から行って仕事貰えるかわからないけれど、行ってくるね」
鎧戸を閉めて部屋を後にした。自分の部屋に戻って着替え、腰まで伸びた髪の毛を後ろで纏めた。そして一階に降りて空腹を少しでも満たそうとパンを齧ってから外へと出た。
真上から照らされる太陽に目を細めて、リルは澄み渡った空を仰ぐ暇もないと駆け出した。
森の奥へと進んでいくと起きたときに聞こえていた木を叩く音が大きくなっていく。
「遅くなりました」
リルはたどり着くなりに頭を下げる。開けたところで切り株に腰をかけたジョアンナが昼食の準備に取り掛かっていた。リルを見るなり、眉間に深い皺を作ってあからさまなため息をつく。雇ってもらっている上に遅刻した身で文句は言えない。そうでなくても、リルには反論するつもりはなかった。バーチ一家には恩義こそあれ、不満を持つことはリルには許されないことであった。
「リル、こっちに来て」
「はい!すぐに!」
助けの声だと、リルはほっとした。もう一度頭を下げてから奥へと進んだ。リルを呼んだキンスリーが手を振っている。
「おはよう」
「遅くなってごめんなさい」
「母さんに怒られた?気にすることないよ」
キンスリーは倒木に足をかけて鋸で玉切りをしていく。
「でも寝坊したのは確かだし」
リルは切り分けられた丸太を腰を入れて持ち上げて大きめの切り株の上に置いた。
「ははっ寝坊だったんだ」
キンスリーに笑われてリルは肩を窄めた。言い訳をするつもりは端からなかったとはいえ、失態を正直にひけらかす必要はなかったかもしれないと後悔する。
「たまにはそういうこともあるよ。父さんが慣れない仕事させてるわけだし、疲れがでてるんだろうさ」
キンスリーの励ましは的外れだったが、紛れもない優しさが素直に嬉しかった。
「それに父さん言ってたよ。すぐに根をあげるのかと思ってたけど半年も続いてるのは感心だって」
「そう、かな!」
膝を曲げて腰を下ろし、何度か斧を振り下ろして丸太を二つに分けた。そして程よい大きさに切り分けていく。仕事を貰うようになって間もなくの頃は割るどころか、斧を持ち振り上げることも儘ならなかったのが、それなりにできるようになっている自身に驚いている。
「雇ってもらってるからには、少しでも、役に立たないと、ね!」
玉切りされた丸太を運んでは斧を振るい薪へと変える。朝の分を取り戻そうと必死に斧を振り降ろした。
ジョアンナがいた方角から、カンカンとリズム良く鍋を叩く音がする。どうやら昼食の用意が出来たらしい。キンスリーはリルを連れて行こうとしたが、仕事に遅れて尚食事をとるのは忍びなくて断った。
「私はいいわ」
「でも……」
「さっき食べたから大丈夫。行ってきて」
キンスリーはしつこく誘うので、リルは仕事の続きをすると示すために斧を手放そうとはしなかった。結局キンスリーが折れて一人で昼食をとりに行った。リルはキンスリーの背中を一瞥してから、仕事の続きに取り掛かった。
ばこん、ばこんと、斧が丸太に当たる音と、木々のざわめきだけがリルと共に残された。その寂寥な静けさがリルには心地よかった。




