第38話 未来の礎
「あの頃のヴィンセントは可愛げがなかったよね」ミムンはきひひと笑った。「こっちから話しかけても何も答えなかったし」
「父親が亡くなってすぐのことなら無理ないでしょう」
「そんなの僕には関係ないもん」
あまりの傍若無人な話し方にイアンは眉をひそめた。またつんとして言い放ったミムンに嫌悪感すら覚え始めていた。そんなイアンを察したのかヴィンセントは諦めたような顔で口を開く。
「イアン、この方に君の常識を語ったって無意味だよ」
「なんだよ。人間の常識なんて僕には関係ないもんね」
ミムンは不機嫌そうに舌を出した。子供のまま二百年過ごしてきたんだなとイアンは呆れた。
「父親はなんで亡くなったのか訊いてもいいのか」
「事故、だよ。話しただろう。火の精霊の事故の話。プロジェクトの中心にいたのが私の父だ」
「それってつまり……」
言葉を詰まらせるとまたミムンが口をにやりと弧を描いてから開いた。
「大やけどをおったんだよ、リヒャルトを助けたときに。当然だよ。暴走した火の精霊の炎に自ら巻き込まれていけばどうなるかなんて、誰にだってわかるよ」
ねえ?と小首をかしげてみせた。
「リヒャルトは生き残ったけれど、父親には無理だった。なぜかわかる?」
「さあ……」イアンは億劫な気持ちを隠すことなく答える。
「エーテルの液体では再生が間に合わなかったからだよ」
「エーテル?」
ヴィンセントが言っていた、リヒャルトがなんとか人型を保っていたが復活した話を思い出す。何かの液体につけていたと話していた。
「エーテルとはなんだ」
はっきりと尋ねるとヴィンセントは黙り込み、ミムンは変わらずにやけていた。
「エーテルは……」二人の声が重なった。ヴィンセントとミムンは見合って、ミムンが身振りでどうぞと促した。
「地、水、火、風を司る四大精霊はこの世界を構成する精霊だということはわかるか?」
「まあ、それはなんとなく」
「エーテルは四大精霊よりさらに上位の精霊だと文献には書かれている。人智を超えた、まるで神のような存在だと」
クライスでは祈りを知らない人が多い。それは縋る神がいないからだともいわれている。それなりに暮らせて生きていければいいと考えている人が多数だ。イアン自身は大陸生まれで、クライスに連れてこられてからも大陸へ足を運ぶことも少なくないので、祈りの存在は知っていた。
「上層部の人間は神を信じているのか」
「ゲフィングニスの人と変わらないさ。神にすがる人はそれほどいない。それでも精霊エーテルだけは目に見える奇跡だ。それを目にしたものは誰もが畏怖を抱く」
「見える奇跡……」イアンは息をのむ。
「あの日、リヒャルトは全身を燃やし尽くす炎に包まれた。命の灯は消える寸前で、こういった精霊の液体につけられた。それがエーテルの眠る液体だった」
ヴィンセントはそう言って柱に満たされた液体に目を向ける。
「そして元の体を取り戻した。死を陵駕するかのようだった。そして父も同じくエーテルの液体につけられたが、父は助からなかった」
ヴィンセントは唇を噛んだ。ぎゅっと目を瞑って乱れる呼吸を整えた。
「あまりにも歪な光景だと子供ながらに思ったよ。まるで神に選ばれた人間とそうでない人間のように扱われたことに僕……私は憤りを覚えた」
「でも、君は同時に魅入られたんだ」
ミムンはヴィンセントの前の壁に手をついた。これまでずっといたずらっぽく子供のような残酷さを秘めていた瞳が、今度は慈愛に満ちている。
「ヴィンセントは死を超えた光景に心を奪われた。自分の父親が選ばれず、選ばれたリヒャルトも結果をみれば失敗作。彼は崇高なるクライスの礎になることから逃げてしまう」
ヴィンセントの頭を撫でるようにガラスの壁を撫でながらミムンは続ける。
「でも自分は違うかもしれない。父親のように選ばれない人間でもないし、リヒャルトのように逃げ出すこともない。そう思ったんだよね」
ヴィンセントは伏せていた顔をあげた。ミムンの白く煌めいた眼を通して彼はあの日の決意を思い出していた。エーテルが眠る柱のそばに立ち上から揺れる水面を眺めていた。右手に持っていたナイフはひどく重く、でも心はあまりにも凪いでいた。両の手でナイフを逆手に持ち、自身の胸に突き立てた。痛みとか、血が沸騰するような熱さとか、悲しみとか、憎しみとか、焦燥感とか、一気に脳を焼き尽くし慟哭する。体は目の前の水面へと落ちた。体が沈んでいく。もう何も考えられなかった。苦しみから逃れられる安らぎに包まれている。虚ろになった目に映ったのは膝を抱えて眠る一人の精霊だった。
——精霊、エーテル。
口に出したのか心でそう思ったのかは定かではない。しかしまるでその呼びかけに応じたように目をつむっているはずのエーテルはゆっくりと目を開き、ヴィンセントの目と交差した。エーテルは細く長い左の手をゆるやかに手を伸ばし、揺蕩っているヴィンセントの手を掴み引き寄せる。次に右の手が伸びて傷口に触れるととめどなく流れていた鮮血はぴたりと止まった。そして虚ろだった目に光が戻った。
「私は」ヴィンセントはミムンからイアンへと視線を移した。そこにはもう怒りはとうに消え失せている。ヴィンセントは胸に手を当てて言葉を続けた。「私は父には与えられなかったエーテルによって復活した。エーテルの力の一部が今も体に宿り続けている。死んでは蘇ることを運命づけられたんだ」
「それじゃあ……あの日もおまえさんは」
「ああ。あの日の死に際に手帳を君に託して私は死んだ。そして君が去ったあと私は蘇り、クライス法執行機関の部下の手を借りてクライスへとひっそり戻った。君は私が望んだようにリルをあの廃工場から救い出し彼女の信頼を得た。それで私の計画は実を結ぶはずだ。君が彼女の居場所を吐いてくれればだが」
イアンはヴィンセントが何を望んだのか答えが胸の中にあった。ミムンが言ったヴィンセントに与えられたものと同じだ。
「人類の未来のために、リルに礎となれっていうのか。そしてリルの世話役に徹しろと?」
「そうだ」
「ふざけるな!」
淡々と答えるヴィンセントの言葉に全身の筋肉が張り詰めて、力の限りこぶしを握り締めガラスの壁を打ちつけた。全くびくりともせず、力は自身に返ってくる。
「あの子の人生はあの子のものだ!おまえらや未来の人類のために生きているわけじゃない」
イアンはヴィンセントに近づき胸倉を掴みあげた。
「おまえさんの子供だったからリルを引き取り育てるつもりだった。でも今は違う。おまえさんはあの子の父親でも何でもない」
「元より父親のつもりはない。あの子が力を得た日から。だから君に託したんだ」
「ああ、そうかい。ならば俺の思うようにさせてもらう。俺はあの子をおまえさんには絶対に近づけさせない」
「結構」
ヴィンセントはイアンの手を取った。イアンは考える間もなく自身の体が押し返されて気づけば視線は宙へと向けられていた。後頭部を階段に打ち付けたことで吐き気とめまいがした。ヴィンセントはイアンを覗き込んだ。
「たとえ君が黙り続けたとしても、人工精霊に生まれ変わった彼女はここに帰ってくるしかないんだよ。力を抱えて外で生きるにはあまりにも過酷だからね」
どういう意味だと尋ねたかったがうまく口が動かない。それを察したヴィンセントは言葉を続けた。
「私の妻は大陸の人間でね。特に愛してもいなかったが、必要だったから婚姻を結び子供を作った。君も知っている通り大陸では、つまらない小競り合いから本格的な戦争までいつだって誰かが争っている。そんな彼らに知恵を与えた。人智を超えた力を手にすれば、争いは終わるだろうとね。わかるかい?妻をはじめ彼らはリルは戦争の道具にするために生み出されたんだ。人工精霊の噂はどこまで伝わっているかな。なあ、イアン、今彼女はどこにいる」
イアンは薄れゆく意識の中で、今頃は船の中だろうかとぼんやり考えていた。
<第一章 了>




