第37話 お目付け役
「俺だから?」
ヴィンセントの体勢が整ったのを確認してイアンは手を放した。いまだ心臓の鼓動が激しく脈打っている。
「君は君自身が思っているよりも懐が深い。相手がどのような人物でも助ける。この私ですら」
皮肉めいた言い回しがをするヴィンセントに苛立ちを覚え、イアンは眉間に深い皺を寄せた。
「とっさに手が伸びただけだ。おまえさんだから助けたわけじゃない」
「それだよ。君の中で助ける相手は善人でも悪人でも関係ない。そこに困った人がいれば手を差し伸べる。このゲフィングニスではなかなかいない素質だ。みな自分の生活で手がいっぱいだからね」
「俺だってそんな気のいい人間じゃない」
「君がどう思おうと別に構わないよ」ヴィンセントはわずかに口角をあげた。「それでも私は君を選んだ。それだけだよ」
「選んだっていうのは、俺がリルをここに連れてくることか?」
一度捕らえた粗暴な男が言っていたことを思い出す。イアン自身は全く身に覚えがなくても、ヴィンセントは本当にリルをここに連れてきてほしかったのだとすれば、と思いそう尋ねた。しかしヴィンセントは頭を振った。
「私が期待していたのはリルを大事にしてくれるかだ。リルが君になつき信頼を得ること。それが一番の条件だった。実際君は私の期待通りだった」
イアンははっとした。これまで見張られていたのは、リルを取り返すことなのだと思っていた。実際見張られていたのは、リルではなく、自分だったのだと理解した。
「俺に何を求めているんだ」
恐る恐る尋ねるとヴィンセントは何かを答えようとしたその時、イアンは水がゆらりと大きく揺らぎ光りが強く自身の左半身を照らされて目がくらんだ。それはヴィンセントも同じで二人はガラスの壁へと視線が動く。イアンは目を見開き口を震わせた。逆にヴィンセントは狼狽えることもなくじっとそれを見ていた。
「君が与えられたお役目と同じだよね」
液体の中を真っ白に輝く長い、おそらく立っても床につくのではないかと想像できるほど長い髪をなびかせながら悠々と泳いで、イアンの前へと現れた。見た目は重大後半くらいの年頃で、男女どっちともとれるような端正な顔立ちの人間だ。
(いや、人工精霊か)
呆気にとられているイアンを、あどけない笑顔を向けながら興味深そうに眺めている。
「ふふふ、楽しそうだねヴィンセント。そんな君を見たのはいつぶりかな」
「ミムン様、お戯れはおやめください」
「戯れなんてそんなつもりはないよ。いつだって君のこと心配している僕の身にもなってほしいな」
頬をぷくりと膨らませる様は全くと言っていいほどに子供だった。ミムンはイアンのほうへと振り返ってまた笑顔を見せた。
「君がヴィンセントの友達だよね。イアンでしょう?イアン・ヴェルナーかな。本当のファミリーネームはわからないんだっけ。ヴェルナーは育ての親なんだよね。僕はミムン。よろしくね。それにしても嬉しいなあ。ヴィンセントが友達を連れてくるなんてこれまで一度もなかったからね」
頬を紅潮させたミムンはイアンの前でガラスに手を置きながら矢継ぎ早に話した。返事をする隙間もないほどのお喋りな人工精霊にイアンは戸惑うばかりだった。
「ミムン様」
ヴィンセントはミムンを見据えて低い声で諫めるように言った。
「はい、はあい。君はいつまでたっても反抗期みたいな少年だねえ……」
まさに今その真っ盛りのような風貌の人工精霊は口をとがらせて液体の中をぐるっと泳いだ。ヴィンセントはひとつ咳ばらいをしてから口を開いた。
「この方がさっき話した地の精霊に生まれ変わった初代研究員のご子息だ。私はお目付け役の一人だ」
「お目付け役?」
「こちらに赴いて変化がないか様子を見たり、ご機嫌を窺ったりするんだ」
「平たく言えば監視だよ」
ミムンはまたイアンのほうへやってきて口を挟む。ヴィンセントは頭を抱え眉を指でこすり、あからさまにため息をついた。
「必要事項です。あなたの体調や状態の変化があれば、クライスも、あなた自身もどうなるかわからないでしょう。あなたは初めての人工精霊の成功体で、今後も健やかでいられるかなんて誰も保障ができないのだから」
「わかってますよおだ。今日だって上にいる奴と喧嘩せずにつまらない挨拶も済ませたし。二百年以上おとなしくしていることを褒めて欲しいな」
あっけらかんと話す本人の口から出た数字にイアンのほうが怖気づいた。
「二百年……本当に?」
「やだなあ。君も疑ってるの?よく言われるんだよね。初めてここに来た人たちはみんな僕を見てそうやって疑うんだ。でもヴィンセントは違ったよね」
「……記録に残っていますから。それを疑う余地はないでしょう」
「そうじゃなくて、初めて来たときだよ。何歳だったっけ?十歳くらいかな」
「七つです」
「行き場を失った君に与えられた仕事だったよねえ」
ヴィンセントは押し黙る。居場所を失ったとはいったいどういうことなのか尋ねてもいいのか悩み、わざとヴィンセントから目を離す。
「気になるなら聞けば?」
ミムンはイアンの心を読むように見抜いて言い放った。イアンはぎょっとしたが、ミムンは悪意のない目でけろりとしていた。
「父が死んだからだよ」
デリカシーがないミムンの対応には慣れているのか、どこか諦めた様子で自分から話し始めた。
「私には父だけが唯一の家族だったけれど、その父が七歳の時に死んだんだ。引き取る家族がほかにいなくて、家は残されたけれど、食い扶持がなくなったことで、気の毒に思った大人たちが私に与えた仕事が、ミムン様のお目付け役だった」




