第35話 生かすために
「それにしても、見て来たかのように話すんだな」
視界に流れる美しい景色が色あせて見えるようになったイアンは投げやりに尋ねる。
「実際目にした光景だからな。ただ子供だったからその時はそれらの出来事の理解が出来なかった。研究室の記録の閲覧を許されてから一連の意味を知ったんだ」
「見ていたのか?」
「ああ」
「それなら何故リルをそんな実験に……悲惨な光景を見て何も思わなかったのか」
ヴィンセントはまた少し沈黙をしてから口を開く。
「必要だからだ」
「必要?あの力がか?」
「そうだ」
「あの力で何をするって言うんだ。大陸の小競り合いしている連中に戦争でも仕掛ける気か」
ヴィンセントは一瞬だけ口を歪ませて不快感を表した。しかしすぐに真顔に戻りイアンは幻でも見た気持ちになる。
「此処……」
前ばかり向いていたヴィンセントは、イアンと反対側に少し首を傾けて視線を動かした。イアンはそれを追うようにヴィンセントの先にある景色に視線を投げる。
「美しい景色だろう。クライスには人工建築物のひとつとは思えない。何千年も前に存在していた時と同じ風景と言われている。二百年前には書物の中にある全く信じられていない幻想だったものを初代研究者が見事に再現させた。無論そこには意味がある」
それが何かわかるかと尋ねるような視線をイアンに寄越した。イアンは口を閉じたまま怪訝な顔をした。
「当時は遺跡の発掘に大陸では大いに盛り上がったそうだ。古代文明の研究のために各地の研究者が集まって船に乗り込み夢のような遺跡へと向かった。それは研究者だけでなく、物見遊山の人々も多く集まった。一度滅び海に沈んだ無辜の遺跡にはあまりにも美しく、傷一つない建造物に誰もが目を奪われた。暫くは研究者たちが研究するために住み始めた。次第に人は増えていく。研究者の家族、研究に必要な人員、初めこそはあくまでも研究員が長く遺跡の調査がスムーズに行うための移住だった。しかし人の流れは止めどなく続き、関係ない人々が新たな移住先に選び多く押し掛けた。しかし研究の邪魔になるとそう言った人々は追い返される。それに素直に従う人もいれば、なんとしてでもしがみつく人も少なくなかった。彼らは円状に家を構えられなかった彼らが追いやられた先が、現在はゲフィングニスと呼ばれている」
ただの空洞だったゲフィングニスに、トタン板を張り巡らせ、階段を設置し、二百年かけて大きな市街地へと変貌を遂げた。
「今でも謎なのは、あの穴だ。海へと続く穴をどうやって空けたのかはわからない」
大きな穴が出来たことでより大陸との行き来がしやすくなったのは事実だった。連絡船に乗るために上層部の人間もよく見かけた。
「いずれは塞がないとな」ヴィンセントはため息をつくように呟いた。
「大陸との連絡船が出来て、よりゲフィングニスは発展した。それは闇雲に人が多く流れ込むばかりで、止める手段がなくなった。当初は自治警察のようなものも組まれたが、所詮上層部の人間も流れ者だからうまく制圧が出来ない。それどころか、反乱に乗じて自分たちの住まいへ乗り込まれることを恐れた上層部は、急速に整備を整えることを優先した。真っ先に必要としたのは食料だ。食糧が安定すれば不必要な暴動は起きないと考えた」
車が徐々にスピードを落としている。気づけばゲフィングニスのような大きな筒状の影が見えてきた。またイアンが捕らえられていた建築物と同じものも視界に入る。ヴィンセントは建物の前に車を停めて降りた。大きなガラスの扉がイアンたちの前にふさがっている。違いと言えば、人が警備兵一人いなくてひっそりとしていた。ヴィンセントはパネルに手をかざすと扉はやはりゆっくりと開いて、風が流れ込んだ。ヴィンセントは先へと進みその後ろを追いかけた。中に入ると同じような造りだった。人の気配がしなくて靴音だけが反響している。白い壁、高い天井、全く同じ建造物なのに雑踏がないだけで神聖さすらも感じた。
奥へと進んでいくと、ゲフィングニスから上層部につながる広場にはいくつか机と椅子が数脚ずつ乱雑に設置してあった。白衣を身にまとった二人の研究員らしき人のうち、年若い女性は本に熱中し、無精ひげを蓄えた男性は何をするでもなくだらりと椅子に腰を掛けている。ヴィンセントが目に入ると軽く会釈をした。
「お疲れ様です」
「お疲れっす……珍しいですね、クライス法執行機関の方がこんなところに来るなんて」男性研究員は背伸びをしながら言った。「それで何かありました?」
「いいえ。ただの視察です」
「視察ねえ。特に変わった様子はありませんよ。中ご覧になりますか」
「ええ、お願いします」
男性は机に置いてあるパネルを持って、よいしょと自分に掛け声をして立ち上がった。ヴィンセントに流通しているノートのような大きさのパネルと、ペンを差し出した。ヴィンセントはそれらを受け取るとさらさらとサインをしていた。
「これ、なんですか」
「ん?」イアンの質問に男性研究員は怪訝な顔をしてヴィンセントの顔を伺った。
「クライスの遺物のひとつだ。データの管理などに使われている」
代わりにヴィンセントが答えた。パネルの画面が変わり、どうやらモニターのようなものなのだとイアンは理解する。
「そちらは?」
「私の連れだ。サインはいらない」
「いや、しかしですねえ……」
不満を露わにしたが、ヴィンセントは顔色一つ変えずに男性研究員を見据える。研究員は頭をがしがしと掻いて「KLEの特権ですか」と嫌味とため息をついた。研究員は自分のサインを書いてパネルを机に置いた。
「じゃ、こちらへどうぞ」
抑揚をつけず感情のない声でそう言うと、扉のパネルに手を置いて開く。
「案内は必要ない」
「はいはい。どうぞ、ごゆっくり」
研究員は演劇のように大げさに手を動かし扉の向こうへと促した。




