第32話 上層部への扉
夜の帳が下されても、ゲフィングニスはまだ眠らない時間。イアンは家からかき集めた衣類やクッションをリルの大きさに膨らませて、最後にブランケットを頭から全身を覆っているように見せるカモフラージュする。それを抱き上げて人通りが多い道を進んだ。家を見張っていたうち二人がイアンの後を着いてきているのは確認が出来た。どうやらもう気配を隠すつもりもないらしい。一定の距離を保ち急がずに歩き続ける。
内心はそわそわしていた。これがカモフラージュだとばれれば、家の前に残った連中がすぐに乗り込むだろう。時折軽く揺らしてみたり、子供をあやしているように見せた。それが功を奏したのかもしくはわかって見逃しているのかはわからなかったが、着いてきている二人は決して距離を詰めようとはしなかった。
何度も上り下りしたゲフィングニス下層部から広場へ続く階段を上った。そして広場を過ぎてもまだ上る。イアンが通っていた本屋も過ぎて、初めて踏み込む上層部に近い中層部の階段を踏んだ。住宅街に近づくにつれ、下層部の騒がしさがなくなり、ひんやりとした空気と共に静けさが漂っていた。少しスピードを速めると、着いてきている二人の足音もイアンに合わせてきた。
階段の終わりまで上がり切ると、体力に自身があるイアンでも息が上がっていた。靄がかかっているような頭に、大きく息をして酸素を回す。笑いそうな膝を抑え、事前にリヒャルトから教わった壁伝いを進み歩数を増やしていく。そしてついに扉の前にたどり着いた。
(これが上層部につながる扉か)
ドアノブはなくパネルがある。ガラス部屋と同じ構造だとわかった。誰かに開けてもらうしかないのだと思ったとき、後ろからついてきていた二人組の男が見計らったように話しかけてきた。
「イアンだな」
わかっているだろうに形式的に尋ねる男をねめつけてから頷いた。男たちはイアンの腕の中にあるカモフラージュをじろじろと見た。流石にばれたかと抱き寄せるふりをしてみせた。扉周辺はぼんやりとした薄暗さだったおかげか、男たちは確認せずに互いに目配せした後、一人の男はパネルに手を置いた。イアン予想道理に扉は水平に開いた。
「入れ」
背中を押されこそはしなかったが、ここで踵を返すことは許さないとイアンを囲むようにして後戻りの道を塞いだ。イアンは意を決して足を踏み入れる。彼らも後から入って扉を閉める。中層部の住宅街で感じた静けさとは異なり、風の音もしないような静まり返った狭い空間に階段が伸びている。一人の男が先を行き、後ろからもう一人がイアンの後ろをついてくる形で階段を上がる。イアンの足取りは一歩一歩重くなっていた。疲れからではない。上へと進む自身の一歩が地獄への道を歩んでいる足音のように思えたからである。
突き当りにたどり着くとまた扉とパネルがあった。先導していた男がパネルに手を置くと、スムーズに開いた扉から、薄暗さが一変、目がくらむほどの白い光が飛び込んでくる。イアンは反射的に目を眇めて少し顔を背ける。
目は間もなくして慣れてくると、連れてこられた先が全く別世界だと思い知らされた。終日広場意外に光が届かないゲフィングニスと違って、光が満遍なく行き届き、今の時間帯が昼だと錯覚するほどの明るさが満ちている。
六人の警備兵が扉を囲むように並び、一人の警備兵が先導していた男の身分証を確認する。そして別の警備兵がイアンに近づいて「下せ」と腕の中のカモフラージュを指さした。イアンは一人一人の顔をねめつけてから、手をぱっと放して手をあげる。瞬間に一同はそれが一人の子供だと思っていたはずで、反射的に手を伸ばして助けようとした。イアンは屈んだ警備兵の頭に手を置き、ひらりとその上を舞うように飛び越え、後ろから警備兵の銃剣を奪った。すぐさま構えると、同じように残りの五人の警備兵が銃口をこちらに向ける。
「くだらん謀りか。無駄なことを」
後ろからついてきていた男が吐き捨てる。もう一人の男はジャケットの襟元を持ち上げて口元へと運び突入の指示を出している。
「面倒なことを起こしてくれたな」
「碌に確認しないまま連れてくる方も悪いだろう」
ぼやいた男の顔が歪む。指示を出していた男の顔色が変わった。耳に添えていた指を離し、イアンの方へと白眼視を向ける。
「やってくれましたね」
男の言葉にイアンはうまくいったとほっとした。これ以上自分には役目がなくなった。銃口を下して、その場でゆっくりとしゃがみ銃剣を床に置いた。両手を耳の横であげて反撃の意志がないことを示す。警備兵たちはイアンに銃口を向けながら取り囲み、銃剣を奪われた男によって後ろでを取られる。
「ヴィンセントに話をさせてくれ」
警備兵の一人がイアンの言葉を無視するかのように銃床で頭を打ち付けた。電気が走るような強い痛みを覚えて床に倒れる。男は床に突っ伏したイアンを見降ろした。
「ええ。いずれは会わせますよ。態度を改めればですが」
薄れゆく意識の中で聞いた言葉にそれだけはごめんだと口を動かしたが、声にはならなかった。




