第31話 最後の食事
道筋が一本に絞られ決意を固めると、不思議と体も心も軽くなった気がする。いつだってくすぶっていた心配や不安が全くない。いろんな感覚が研ぎ澄まされており、薄暗いゲフィングニスがいつもよりも輪郭がくっきりみえたし、遠くの音まではっきりときこえた。おかげで今まではぼんやりしていたゲフィングニスに住む人とは違う気配も感じられた。リヒャルトが言うように見張られているのは間違いない様だ。
とはいえいつどこでリルに被害が及ぶかは想像できないので警戒しながらジャニーネの店へと向かう。見張られていてもついてくるような様子はない。もう逃げられないぞと言われているような不気味さが漂っていた。
「遅くなりました」
「お疲れっす」
店にはダスティンとリルだけがいる。リルは椅子から降りてイアンの傍へとやってきた。疲れからか眠そうに目をこすっている。
「ジャニーネはもう休んだ?」
「うす。エーリッヒを寝かしつけるとすぐに」
「そうか。色々騒がせて申し訳なかったな」
「とんでもねえっす。凄く喜んでいたっすよ。もちろん俺も」
リルのおかげでと付け足すと、リルは眠い目のまま胸を張っている。
ダスティンは、リルは晩ご飯も済ませていると言ってイアンとリヒャルトの夕飯を持たせてくれた。
「店に戻ってきたとき深刻そうにしてやしたけど、なんかあったんすか?」
ダスティンはリルに気を遣って声を押さえて尋ねてきた。イアンは何事もなかったように振る舞おうと努めて口角をあげる。
「ん?いや、確認したいことがあっただけで特に何も。心配かけて悪かったな」
「そうですかい?ならいいんすけど」
リルは大きな欠伸をしてイアンのシャツの裾を引っ張り早く帰ろうと促した。
「これ、ありがとうな」
これ以上踏み込まれるとだましきれる自信がなかった。丁度良いとばかりにダスティンにお礼を言って店を出た。
帰り道、神経は外に向けながらも、イアンはいつも通りを心がけようとリルに色々話しかけた。パーティは楽しかったかとか、赤子が可愛かったなとか、今日起こった影の出来事を覆い隠すように明るい話ばかり振った。リル自身は眠気と必死に戦っているようで生返事だった。家に着くや否やリルは自らガラス部屋へと直行し、ベッドに潜り込んだ。
「おやすみ。リル」
「うん……おやすみなさい」
とろんとした目で言った。イアンは顔にかかったリルの柔らかな髪の毛に優しく触れてシーツに流してやると、リルは擽ったそうに笑った。
「ねえイアン」
「ん?」
「明日もジャニーネの家に行っていい?エーリッヒのお世話がしたい」
イアンの口元が震えていた。ぎゅっと結んでから笑顔を作って頭を撫でる。
「ああ。いいよ」
リルは嬉しそうに目を細めて、そのまま瞼を閉じた。
いつもならガラスの部屋を出て扉を閉め、リルの眠りの記録を残すモニターの前にいるリヒャルトと少し話しをする。今夜は扉を閉めないでおいた。モニターは真っ暗でリヒャルトは最低限の荷造りをしている。
「飯にしよう」
イアンはスツールの上に置いたジャニーネの料理を指さすとリヒャルトは頷いた。
数刻前にカトリンと三人で膝を突き合わせていたスツールに座り二人で黙々と食べる。久しぶりの沈黙の長い食事だ。イアンはこの時間がリヒャルトと話す最後の機会だと思えば、これまでのい疑問を順番に尋ねるかと考えた。しかし二人で食べる静かな食事がやけに心地よく勿体なくなっていた。
結局食事を食事を終えるまで何も話さなかった。いつも通りコーヒーを淹れて手渡した。リヒャルトは何も言わずそれを受け取って啜る。
「おまえから預かっていた手帖なんだが」
「ああ、うん。何かわかったか」
「これまでリルの父親が何者かわからなかったけれど、ツィックラーだとすれば話が変わる。日付、何かしらの材料、そしてリルの力。おそらくクライスの上層部から運び出された結晶石だ。確信があるわけじゃないけれど、おそらく間違いないだろう」
「結晶石?それはどういったものなんだ」
リヒャルトはイアンの質問にすぐに答えることなくコーヒーを啜る。
「これは、クライスの中でも最重要秘密事項だ。それでも訊くか」
イアンは息をのむ。機密事項に近づくのは好奇心以上に畏怖が勝る。何も知らない方が傭兵業はやりやすいというのがイアンの持論だった。
「知っておいた方がこれから役に立つか」
「さて……どうだろうな。俺が話したい気分なのかもしれない」
リヒャルトは大きく息を吐いてから話し始める。それはまるでおとぎ話のようだった。イアンに頭で理解しようとしても心では受け入れられず、呆然とした状態でただリヒャルトが紡ぐ言葉をそのまま頭に詰めていくだけの作業になった。
――この世界には昔精霊が存在していた。精霊は大地の上で動物や、鳥や、虫、植物、そして人間と同じように生きていた。精霊は人間に力を貸して、人間は精霊を守っていた。長い共生の中でいつしか人間は精霊の力に目をつけて、文明を発展させる道具に変わっていった。精霊は徐々に減り続け、ついに人間は精霊の大元と呼ばれる四大精霊に目をつける。火・水・風・土の四大精霊の力を効率よく使うための巨大な建築を始めたのだった。
「それが、クライス?」
「そう。四大精霊はクライスを支える四つの柱に押し込められて、人間がその増大な力を管理していたって言われている。未だどんな力だったのか全ては解明されていない」
――しかし四大精霊の力も永遠ではなかった。精霊にも他の生物と同じように死が存在する。精霊がどのように生まれるかは確認されていないが、死は目に見えた。それが結晶石だった。精霊は死んでもなおその石には力があり、それらを人間は燃料にしていた。多くの精霊はそうやって人間の手によって数を減らした。四大精霊も大きな結晶を残して死を迎えた。
「それから何百年か、何千年かはわからないが、クライスは海に沈んだ。どのようなことが起こったかは分かっていない。それを復活させたのが二百年くらい前のことだ。今の上層部を仕切っている研究者たちの先祖が発掘して今でも研究が続けられている」
「なんの研究をしているんだ」
「人工的な四大精霊の復活だ。二百年の間様々な研究が重ねられて、四大精霊の結晶石を人間に埋め込むことで人口精霊を作る計画が立てられたんだ」
イアンは走ったわけでもないのに不自然に息が上がっていた。リヒャルトを見ていたはずの目は泳ぎ視点が定まらない。
「つまり……リルは……」
リヒャルトは目を伏せて左目をこすった。そして重い口を開き肯定した。
「リルは人工精霊の成功例だ」




