第29話
カトリンを連れてイアンたちは家へと戻った。家にたどり着くまで終始誰も口を開かなかった。
「降りるぞ」
普段この家に住むイアンやリル以外の人間を地下に降りることを許さなかったリヒャルトが先行し案内する。カトリンは大人しくついていった。リヒャルトはスツールを円状に並べて座るように促した。
三人が向き合って座る。リヒャルトは目を据わらせてじっとカトリンに視線を向けている。カトリンは妙に落ち着きを払っていた。イアンは動揺しながらもリヒャルトに言われた様に余計な口をきかないように誰かが口火を開くのを待った。
「大人しくついてきたということは話す気があるんだな」
カトリンは何も答えず、誰をみることもなく、宙の一点をみつめていた。
「カトリン、いつからだ。いつから連中と繋がっている」
カトリンは暫く沈黙したあと、目を閉じてゆっくりと息を吐いてから口元だけ笑みを作る。
「少なくともあなたと繋がっているわ。そうでしょう?」
「つまり俺以外にも繋がっているということか」
「情報を売って生計をたてるなんて、ゲフィングニスでは珍しいことではないでしょう?」
それはそうだとイアンは納得する。実際ダスティンも漁師と、ジャニーネの店の経営だけでなく、情報の売買をして暮らしている。そういった人間は少なくない。
のらりくらりと答えるカトリンにリヒャルトは苛立ち、たばこを胸ポケットから取り出して火をつけた。
「単刀直入に問おう。リルを売ったか」
カトリンの表情が固まった。わずかに眉根が動いた。
「そうね。売るつもりだった。それが父の望みだったから」
「父親?」
「リヒャルト、確かに私はあなたが想像しているような相手と繋がっているわ。それが私の父親なの」
「父親の名前は」
「フーグベルト・ジーゲル」
「は……それは想像していたよりも大物じゃないか。フーグベルトなる人は知らんが、ジーゲル家といえば代々クライス法執行機関の重要なポジションについているよな」
「そうらしいわね。ごめんなさい。父の家のことや仕事のことは詳しくないの」
所詮庶子の子なのねとカトリンは苦笑した。そして居住まいを正しぽつぽつと語り始めた。
「私は生まれも育ちもこのゲフィングニス。物心ついたときから母との二人暮らしで父は時々家にやってくる人だった。それが私の日常だったから不思議には思わなかったけれど、周りの友達には両親が揃って家にいることを知って母に尋ねたの。そうしたら父は上層部に住む偉い人なんだって教えてくれた。そんな偉い人はこんなところには滅多に来ないのよって笑っていた」
「生まれが誇りみたいなジーケル家の一族が、外に子供がいるってだけでも御当主が許さんだろうに」
リヒャルトは皮肉っぽく吐き捨てた。
「今思えば自分の家族を選んでくれない父に対して寂しさや憎しみがあっても必死に取り繕っていたんでしょうね。母は死ぬ間際まで父が来ないことを気にしないと言わんばかりに笑っていたわ。私がいるから大丈夫だって。その笑顔はあまりにも孤独で寂し気だった」
カトリンは顎を震わしている。声を絞り出すように言葉を続けた。
「最期を看取りに来なかった父を私は許せなかった。けれど母が死んだあとも父は変わらず、時々私の様子を覗きに来たわ。母が死んで一人になった私にはそんな父の不器用な愛情が恋しかった。許せなくても突き放せなかったのは、きっと私の弱さなのかもしれない。実際生活の援助もしてくれていたから母と私は不自由なくいられたもの。それって父なりの懺悔の気持ちと愛情、そうでしょう?」
カトリンは懇願するように尋ねる。イアンはアルトゥールを思い出していた。連絡を絶っていなくなってしまった育ての親に抱いた当時の自分を、カトリンから感じる孤独さと重ねる。
「母から教わった裁縫の技術を見込んで仕立て屋を勧めてくれたのも父よ。立派なお店を構えてくれて、上層部のお客様を斡旋してくれたから上客のお得意様もできた。おかげで暮らしていけるわけ」
「それでも、情報屋も掛け持ちしているのは何故だ」
「それ、は……当然でしょう?父から頼まれたら断れないもの」
リヒャルトはまだ残っているたばこの火を灰皿に押し付けて消した。
「親子の情っていうのは俺にはわからん。断れなかったにしても自分から進んで父親の望みを叶えようとしたにせよ、俺にはどちらでもいい」
リヒャルトはそう言い捨てる。カトリンは申し訳なさそうに視線を反らした。
「父親からリルをどうしろと言われていたんだ」
「正確には父の部下が来たわ。お得意様の一人なの。いつも優しげだけれど少し胡散臭い笑顔を浮かべている人よ。名前はヴィンセント・ツィックラー」
「え?」思わず声が漏れる。イアンは慌てて口を塞いだ。
「そいつには何の情報を売った」
「頼まれごとだったわ。今のリルよりもずっと小さい頃の写真を出されて探しているから、些細なことでも情報があれば教えて欲しいと言われたわ。ゲフィングニスの治安目的の情報が中心に求められてきたから協力に応じていたけれど、今回ばかりはおかしいと思ったのよ。初めはあなたが誘拐でもしたんじゃないかって思った。でもリヒャルトのところで身を寄せている人って知っていたし、そんなことするようには思えなかった」
イアンにはカトリンはリルを可愛がっていたように見えていたし、自分にもそれなりに心を許しているのだと思っていた。イアン自身もカトリンを信頼していた。
「ツィックラー氏の部下が何度かリルのことを尋ねにきたけれど適当に躱していたけれど様子が変わった。最近見るようになった新しい部下を名乗るガラの悪い男がイアンの居場所を尋ねてきた。はっきり子供を誘拐しているって言っていたの。もちろん信じなかったけれど、あまりにも荒れた人で今までにないアプローチのかけかたに違和感を覚えたの。リルに直接乱暴される可能性もあると思ったから、それを避けるために私からその男に接触した。男はイアンに直接伝えることがあると言っていたわ。どうにかおびき出してくれって頼まれたから、あなたたちに皆が集まるようにジャニーネの退院祝いを持ちかけたのよ。少なくとも私の目が届く場所にリルがいれば守れるって思ったわ。それからあいつにジャニーネの店にイアンが来るように呼び出すからと時間を指定して呼び出した」
扉の傍で「誰か来たみたい」と言うことがカトリンからの合図だったと話す。
「まさか、私のことをあなたたちに話しちゃうとまでは予想できなかったけれど。どこかで自分が安全圏にいるんだって己惚れていたのね」
「わかった。もういい」
リヒャルトは立ちあがり、モニターの方へと歩いていく。引き出しを開けて紙幣を数えてテーブルに置いた。一枚の便せんにさらさらと何かを記し、紙幣と共に封筒に入れた。
「これで付けはなしだ。帰ってくれ。此処には二度と来るな」
乱暴に差し出された封筒をカトリンは震える手で受け取る。リヒャルトはカトリンから体ごと顔を背けてリクライニング椅子へと座った。カトリンは深々と頭を下げてから階段を上っていく。
「おい、リヒャルト」
「見送ってやれ」
イアンはカトリンの後を慌てて追いかけた。
「カトリンさん」
カトリンは玄関で俯いていた。
「あの人、優しいのよ」
「え?」
「いいえ。なんでもないわ。もうお詫びのしようもないけれど、今の私には謝ることしかできないから。ごめんなさい。リルちゃんを危ない目に合わせてしまって」
結果をみればカトリンの謝罪を受け取ることはできなかったが、イアンは少し悩んだ後に口を開く。
「あなたが拒否しても別の誰かに頼んだことだろうから……」
「父が自分たちと一緒に暮らしてくれないことを母が恨まないのは強がりだと思っていたけれど、今なら違っていたと思えるわ。私みたいに恋しさを表に出して弱みに付け込まれないようにしていたんだわ、きっと」
目に溢れた涙をイアンに見せないように顔を背けた。
「カトリンさん……」声をかけるとカトリンは力いっぱい頭をふってイアンを拒否した。何度か息をしてからくるっと振り返る。
「じゃあね、イアン。元気でね」
カトリンは必死に作ったいつもの笑顔を張り付けて解れの言葉を口にして出て行った。




