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クライス  作者: 桝克人
第一章
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29/40

幕間① 

※暴力表現あります

 男は人込みに紛れても腹の虫がおさまらない様子だった。我が道だと言わんばかりに向かってくる人にも遠慮なく、足早にまっすぐ進んでいく。すれ違う人からちらちらと怪訝そうに、または恐れの目を向けられて一層腹が立っていた。


(くそ!くそ!こんな小汚い下層部なんかに来させやがって。しかも知らないだと?すっとぼけてんのか、それとも()()()がデマでもふいたか?)


 どれが本当か見極めが出来ない男は舌打ちをしてみるが気は晴れない。晒し踏板の階段を上る際に物乞いが目に入る。どうやら階段下の隙間を寝床にしているようだった。あちこちが欠けでいる煤けた器を置いて襤褸衣を頭からかぶり膝を抱えて座っていた。


 襤褸衣で顔はよく見えないが、ぼんやりとした影の中にある大きな目がこちらを見ていた。この辺りではあまり見ない綺麗な身なりが珍しいのだろうと男は鼻で笑う。物乞いは骨が浮き出た腕で「お恵みを」と欠けた器を持ち上げた。腕が震えていたので器の中に入っているわずかな小銭がからからと音を立てる。

男は物乞いの前に立ち見下ろした。物乞いは何かにありつけると安心したように歯の隙間をみせて笑うと、男もにやりと整った歯をみせる。


 男は理不尽にも憐れな物乞いに自身の怒りをめい一杯こめて蹴り上げた。物乞いは何が起こったかわからないと言った様子で呆然と暴力を受けた。宙に浮いた器は地面に落ちると、すでにあったひびから音をたてて割れる。今日のわずかな収入にも目もくれず、物乞いは痛みと恐怖から逃れるように必死に走った。男はその背中に下品な嘲笑を唾と共に投げた。気分よくなった男は階段を靴底で鳴らしながら笑い上って行った。


 下層部を抜けて広場までたどり着くと男は漸く息が出来るとこれ見よがしに思いっきり吸い込んだ。それでも男にはゲフィングニスの空気は合わないとまた舌打ちをする。


 生まれてこの方住み続けたゲフィングニスは男にとってこの世の地獄だった。曾祖父の代に知りあいに誘われて大陸から此処に移住した。商売がうまかった曾祖父は中層部に家と店を構えた。その店は祖父に、父に継がれていったが、軌道にのっていた商売に陰りを見せたのは、父の代になってからだ。店が傾き始めた頃、母は愛想をつかし一人家を出た。何処へ行ったのかは誰も知らない。このゲフィングニスのどこかで新たに所帯を持ったのか、それとも大陸へと渡ったのか、子供だった男は色々想像をめぐらしてみたが答えはわからない。自分は置いて行かれた事実だけが残り、孤独感が心を蝕んでいった。


 それからの生活は荒れに荒れた。商売がうまくいかない腹いせは全て男に向けられた。それでも逃げ場がなかった男は耐え続けた。店が持ち直すことはなく、あっけなく潰れてしまった頃、父親は男と共に心中の道を選ぶ。もう何年も研がれていない包丁を取り出して、さび付いた刃先は男に向けられた。しかし男はただの子供ではなくなっていた。男は父親を制する程に成長していた。父親を床に押し倒し包丁を取り上げて、さっきまで自分に向けられていた刃先をためらいなく男の胸へと落とす。苦渋に滲んだ顔に男は狂ったかのように嗤い声を落とした。


 ここは碌に法が整備されていないゲフィングニス。一人殺したところで誰も男を咎めない。夜中のうちに男は物言わない父親の肢体を家から引きずりだした。何処へと捨てに行ったかはもう覚えていない。そしてどうなったかも男は知らない。

 その日から男は煩わしさがなくなったと清々しい気持ちで心が満ちていた。眼前に広がるゴミで満ちた家の中で男は次への人生へと歩みだした。まっとうな道ではなく、得意の暴力に訴えて人からものを奪って生活をした。それでも誰も男を止められなかった。強いものが生き残ることを学んだ男に怖いものなどなかった。


 しかしそんな日も長くは続かない。ある日、久しぶりに家帰ってきたら何人かの見知らぬ人が荒れ果てた家の前にいた。この辺りではみない礼装のような整った服を身にまとっていた。そのうちの一人が男に近づきこの家の家主かと尋ねる。


「だったらなんだ」


 悪態をついて答えると、相手はひるむことなく笑みを浮かべる。


「実はね、周辺の住人から苦情が上層部にまで届いていてね。君を拘束しに来た」


 ロングコートの内ポケットから、革製のケースに入った身分を示すカードを見せた。


「あ?なんだてめえ……」


 身分証には目もくれず、優男の顔面を殴って歪ませてやりたくて拳を振り上げた。その拳は相手に届くことなかった。視界はぐるっとひっくり返り、気づけば共に地面に叩きつけられていた。一体なにが起こったのか理解するのに時間がかかる。どうやら二人の男が自分を押さえつけているとわかったのは、体が全く動かなくなったからだ。ちかちかする目に影がうつる。優男は微笑んで立ったままこちらを見下ろしていた。


「安心なさい。君を悪いようにはしない。おとなしくすればね」


 優男は二人の男に合図をすると、男は抱えられるようにして立たされた。


「てめえ、何者だ」

「さっき身分を明かしたはずだけれど」

「知らねえよ」


 男の無礼な振る舞いも物ともせずに微笑みを絶やさず口を開く。


「私はヴィンセント・ツィックラーと申します。以後、お見知りおきを」


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