第26話
ジャニーネの出産以来、イアンたちの懸念とは裏腹にリルはみるみる元気を取り戻していた。ジャニーネの命を助けたことに自信がついたのだとイアンは思う。リルが元気でいるならば、それに越したことはないかと思いながらも、リルの力には極力話題に出さないように気を付けていた。
リルは外に出ることを嫌がらなくなり、また自信がついたことで精神状態も落ち着いていた。外に出るときは「イアンと一緒に」とリヒャルトから条件を付けられ、積極的に買い出しや散歩に自ら申し出ていた。
「まだジャニーネのお店開かないね」
店の張り紙はあの日のままだった。ジャニーネは少し入院が長引き、ダスティン一人では店が回せないので臨時休業が続いていた。
「そうだな。でもそろそろ退院できるかもってダスティンが言ってたぞ」
「本当?早く会いたい」
「そうだな。ジャニーネのごはんが恋しくなってきたし」
「それはだめだよ。お母さんは赤ちゃんのお世話があるから、ジャニーネはごはんを作るんじゃなくて、作ってもらわなくちゃってカトリンが言ってた」
「うん……そうだな」
カトリンの店にも時々足を運んだり、カトリンが家に来たりすることも増えていた。そのたびにリルの新しい服の仕立てを勧められている。リルはカトリンにもよく懐いていた。年は離れていてもカトリンやジャニーネのような同性の友人はリルの心の安定の助けになっていた。
「ジャニーネが帰ってきたら、パーティしようよ」
「パーティ?」
「カトリンとね、みんなで集まって赤ちゃんが生まれたお祝いをしたいって話してるの」
「ふうん?」
「ちょっといい料理を用意してジャニーネのお店でしたいの。そうしたら赤ちゃんやジャニーネが眠くなってもすぐに休んでもらえるでしょう」
おそらくカトリンのアイデアなんだろう。リルは聞いた言葉をなぞるように話した。
「わかった。ダスティンに話してみるよ。きっといい返事をもらえるはずだ」
リルは飛び跳ねて喜んだ。カトリンからもたらされた楽しいイベントはリルがゲフィングニスに来て初めてのこととなる。
夕飯を済ましてから夜にダスティンの家へと赴きパーティの件を伝えるとすぐに了承してもらえた。そしてまた数日が経ち、ジャニーネと赤ちゃんが返ってくる日がやってきた。
朝からダスティンに店を開けてもらって準備に取り掛かった。店の飾りつけをリルとリヒャルトが行い、イアンとカトリンで料理を作っていた。リヒャルトがリルに簡単にできる飾りを教えて二人でちまちま作り上げていた。昼前には見慣れた店内は紙で作った様々な色の花が咲き乱れていた。稚拙なものだろうとイアンは想像していたが、たくさん集まれば立派な花束に見えた。
料理もカトリンが主体で動き、肉料理やサラダ、パンなどがカウンターに並べられパーティの準備は整っていった。
「案外手際が良くてびっくりしちゃったわ」イアンはカトリンの指示に従って動いていただけだったが、そう言われて悪い気はしなかった。
「料理する機会が増えたからですかね」
「ふふ。ちゃんと『パパ』してるじゃない」
「そう、ですか?」
リルが外に出られるようになってから、一緒に歩いていると親子と間違われることが何度もあった。実際に年は離れているのだから当然のことではあるが、最初こそは気恥ずかしいような気もしたし、まだ自分には親の資格がないと感じていたことから、しっくりこないなとイアンはそんな違和感を抱えていた。ただ決して否定はしなかった。
それはリルも同じだった。イアンのことを『パパ』とか『お父さん』とか、どこへ行っても決してそんな風に呼ばなかった。それでも「パパとおでかけ?」などと聞かれてもリルは「うん」と返事をしていた。
次第になれてきたのか他人から呼ばれる『パパ』は、自分の心身にしっくり嵌るようになっていた。まだ照れくささはあれど。
「それはそうとして」カトリンは飾りつけをしているリルをちらりと見てから、イアンに近づき「仕事は大丈夫なの?」と耳打ちをする。
「と、言いますと?」
「傭兵なんでしょう?お財布事情が厳しいんじゃないかって。この間も支払いの時に少し渋い顔をしていたでしょう」
その原因の一部はカトリンの進める仕立てだと一言突きつけたい気持ちを押さえてから口を開く。
「ご心配なく。ずっと独り身でしたから蓄えはありますよ。ただずっとこのままでいるわけにもいかないとは思っています」
傭兵は稼ぎがよく、武器の扱いにも長けていたと自負しているからこそ一番向いていると信じて続けていた仕事だった。しかしリルを引き取った以上それは難しいと感じ始めていた。
「一度大陸に行けば長い期間家に帰れなくなるんですよ。一番儲かるんですが、リルと離れてまでしたい仕事かと問うとそうじゃないなって。少なくともリルが巣立つ日までは傍にいてやりたい」
ようやくリルが子供らしさを取り戻す一歩を踏み出した。その成長を見守りたくなってきた。イアンは心の底から湧き上がる感じたことのない感情の名前の正体をまだ知らない。
「しばらくはダスティンの船に乗せてもらって仕事を探そうかなって。稼ぎとまではいかなくても生活の足しになるくらいにはもらえるそうですから」
「そう……困ったらいつでも私の店で猫の手をさせてあげるわ」
カトリンはいたずらに口角をあげた。




