第25話
意外にも手術の時間はそうかからず終わった。医師が部屋から出てくると、ダスティンはすぐに立ち上がり医師に詰め寄った。
「先生!ジャニーネはどうなったんすか?子供は無事何ですか!?」
「落ち着きなさい」
医師から宥められてもダスティンは鼻息荒くしたままだった。医師はため息をついて口を開く。
「無事だ。滞りなく終わった。今は眠っている。とはいえ多く血が流れている。暫く入院してもらうぞ」
ダスティンは長く息をついて腰が抜け倒れそうになったところをイアンが支えた。医師はイアンたちが座っていた椅子に「よっこらせ」と掛け声をして座る。
「しかし驚いた。あんなことがあるとは」
「あんなこと、とは」
イアンが尋ねると医師はズボンのポケットから煙草を取り出して一緒にしまい込んだライターで火をつけた。一服すると再び話し始める。
「あの子供はお前の子か」
「え、はあ……そうですね」この場で引き取った子供と訂正する必要もないかとあいまいに返事をする。
「母体の出血が止まらなくて、病院に運ぶか、その場で手術を施すか決める瀬戸際だった。あそこは飲食店だ。清潔とは言い難いだろう。出来ればすぐにでも運びたかったがそれが叶わんと思っていた矢先だ。子供が飛び出してきてから、出血が止まった。一体何が起きたのか、理解できんかった。今でもわからん。奇跡としか言いようがない」
奇跡。リルの力が何かしら作用したのかとイアンは思案する。
「とにかく、あの子供に感謝するんだな。信じがたいが、細君が助かったのはその奇跡だ。神のような奇跡のな」
ダスティンは大泣きして医師やイアンに何度も感謝の意を述べていた。
ダスティンはジャニーネと赤子の傍にいると病院に残った。戸締りと、明日の臨時休業の知らせをドアに貼るように頼まれたイアンは店へと戻る。夜が明けたのか、静かだった通りにまた少しずつ人が増え始めていた。店の扉をあけると、カウンターに座っていたリルが顔をはっとあげる。
「ジャニーネは?」
「無事だ。手術は無事に終わったんだ」
「本当?」
「ああ、本当だ」
「よかったあ……」
そう言うや否や、リルはふっと目を閉じる。ゼンマイが切れたブリキのおもちゃのように倒れそうになったところをイアンは慌てて受け止めた。気を失ったのかと心配したが、リルは寝息を立てて寝ているだけだった。
(そりゃあ、そうか。一晩中起きていたんだもんな)
「おう、戻ったか」
リヒャルトはあくびをしながら二階から降りてきた。
「店の片づけしてくれてたんだな」
此処で出産をしていたと思わせる鉱石が何一つなくなっている。家主がいない店は少し寂しげだったが、帰ってくるのを待っているかのようだった。
「まあな。料理食っちまったし」
顎でカウンターをさすとジャニーネが作っていた料理が綺麗になくなって調理器具は洗ってあった。
「代金分くらいは働いといただけさ」
「そうか」
「リル寝ちまったか。ぎりぎりまで起きていたんだけどな」
「ついさっきだよジャニーネが無事だと知ったら安心したのか糸が切れたみたいに寝ちまった」
「手術も終わったか」
「ああ。大事をとってしばらく入院だけどな」
「そうか。無事に終わってよかったな」
リヒャルトは安堵の息をつき喜んでいた。イアンも感悦に浸っていたが、憂いに変わるの遅くなかった。
「なあ……」
「どうした深刻そうな顔して」
「ちょっと話がある」
イアンはリルを抱えたままカウンターの席に座って、医師から言われた奇跡の話を聞かせた。ひとつ席を開けて座っているリヒャルトは眉間にしわを寄せながらじっとイアンの話を聞いた。
「これはリルの力と考えていいのか」
「そうだな。血液を液体と認識して無意識に使ったんだろう」
「液体であれば、操れると?」
リヒャルトは左目をこすってから「そうだな」と簡潔に返事をする。
さっきはリルの力が人を救うことが出来たとイアンも内心素晴らしい力だと喜んでいたが考えを改めた。水を発生させること、液体そのものを操つること、人体の中にまで影響を及ぼすことが出来てしまうことに只ならぬ恐怖を覚える。どんなことができるのか、リヒャルトに尋ねるべきか悩んだが、今は聞きたくなかった。
「少し、おまえさんが言っていたことが分かった気がする」
――人類にとって救いにもなるし滅びにもなる。リヒャルトの言葉を反芻する。実際今日はジャニーネの命を救った。しかしもし血液の流れを止めることも可能であれば。そこまで考えてイアンは息をのみ口を押えた。
「それでも、リルに力の制御をつけさせれば、問題ないよな」
「あとはよからぬ輩に目をつけられないことも重要だ」
イアンの頭にあった厭わしい想像を、リヒャルトは見透かすようにきっぱりと言い放った。
「水を発生させれば多くの人を一度に殺せるし、体内の水分を操作すれば一人ずつ簡単に死に至らしめる。本人にその気がなくても、おまえのようなリルにとって大切な人間を人質に取られてみろ。やらざるを得ない状況に追い込めば傷つくのはリル自身だ」
「そう、だよな」
「今回のような人を救うことの方が珍しいと思った方がいい。忠告しておく。リルに力の制御をさせるのはもちろんだが、使わせないことも必要だと。人の役にたつことを無邪気に喜ぶ年頃だからこそ使わせたくはない」
リルが起きたらもう一度褒めようと思っていた。それで無理に与えられた運命でも救いになるのかもしれない、そんな期待は簡単に弾けて消えてしまった。




