第24話
イアンはリルに店で待つように伝えて、すぐに店を飛び出した。下層にいる医者は一人しかおらず、ジャニーネもそこの病院で診てもらっているはずだと、夕方を超えて増えた人の波を潜り抜けて真っ先に向かう。
細い道に入っていくと寂れた小さな病院がみえてくる。そしてちょうど今明かりが消えたところだった。
「まってくれ!」
イアンは扉を思いっきり叩くと、ドアが開いて怪訝な顔をした老いた女性の看護師が隙間から顔を覗かせた。
「なんですか」
「あ、あか、赤子が生まれそうなんです」
「どこの人?」
「ジャニーネ。えっと、ジャニーネ・キルシュ」
「ちょっとお待ちください」
ドアをばたんと音を立て閉めた。ドア越しに足音が遠のくのが聞こえる。間もなくして二人分の足音が近づきドアが開けられた。出てきたのは、医師らしき女性と同じくらい年老いた小さな男性だった。「すぐに行こう」それだけを言って男性は先を歩いた。腰が少し曲がっているにも関わらず、すたすたと歩いていく。イアンは医師と看護師に着いていった。
店に戻ると、外では近所の人が集まっていた。その中には常連客もいる。
「どきなさい」
医師が一括すると道が開いた。医師はドアを開けて中へと入り、イアンもそれに続いた。
中では通路に二階から持ってきたであろうブランケットやタオルを敷いてその上でジャニーネはもだえ苦しんでいた。ダスティンはジャニーネに声をかけながら背中をさすっている。
「イアン」
リルはイアンにとびついた。
「他所もんは外に出ていなさい」看護師から促されてイアンはリルと一緒に外へ出た。
外では相変わらず中の様子を気にしてざわついている。常連客からジャニーネの様子をきかれたが「まだなんとも」と言葉を濁す。外に出てもリルはイアンにくっついたまま離れようとしなかった。
「心配いらないよ」
急に産気づいた様子を見たことで動揺しているのだろうと、リルの頭を撫でるが小さく返事をするだけで顔から憂いの色は消えていなかった。
「一度家に帰るか。生まれるまでにはまだ時間がかかるだろうから」
「駄目!」
リルはイアンの服の裾を掴んで引き留めた。
「帰っちゃだめだよ」
「でもまだ時間かかるよ。此処にいても何もすることはないさ」
「それでも、駄目だよ。なんか嫌な予感がするの……お願い」
必死に懇願するただならぬ様子のリルにイアンは観念し、店の前で待つことにした。
刻々と時間が過ぎるにつれ、集まっていた人も去っていく。待つのも飽きるころが来るとイアンは思っていたが、リルが根負けすることはなかった。夜も更け人通りはしんと静まり返っても、二人は店の前に座って待った。店の中から聞こえるジャニーネのうめき声とダスティンの励ます声がくっきりと聞こえてくる。
「帰ってこないと思ったら」
店から漏れるあかりの下に座っている二人の上に影ができる。見上げるとそこにはリヒャルトが立っていた。
「リヒャルト」
「この声、産気づいたのか」
「ああ、時間がかかっていてな」
「そうか。此処にいてもどうしようもないぞ。いったん帰ったらどうだ」
「そう言ってるんだけれど……」
リルは膝を抱えて必死に目を開けている。普段ならとっくに眠っている時間だ。
「成程」リヒャルトはリルの前にしゃがみこんだ。「嫌な予感を無視はできないな」
「何か心当たりがあるのか?」
「そういうわけじゃないけれど、子供の予感っていうのはなかなか馬鹿にできないぞ。それにリルは水の力がある。影響している可能性はゼロじゃない」
そういった瞬間、中から甲高い赤子の泣き声が聞こえてきた。三人ははっと目を大きく開けて立ち上がる。
闇を裂くような泣き声に、顔を見合わせて湧き上がる喜びに誰もが笑顔になった。しかし束の間ダスティンの悲痛な叫び声が響いた。
「ジャニーネ!しっかりしろ!」
ただならぬ様子にイアンは店のドアを開けた。眼前にはじぐったりとした真っ青な顔をしたジャニーネの体から、止まらない鮮血に息をのむ。医師は必死に止血を試みるが、止めどなく流れ出てきているようだった。
「ジャニーネ!」
リルはイアンの足元をするりと抜けてジャニーネにかけよった。
「こら!こっちにくるでない!」
医師の制止を無視してリルはジャニーネの手を握った。
「ジャニーネ!ジャニーネ!」
リルは必死に名前を呼んでいた。
「ん?」処置にあたっていた医師の反応がかわった。「これは……」そう言って医師は振り返りイアンを見据えた。
「あんた、力強そうだな。今すぐ儂の病院まで運ぶぞ。すぐに手術を始める」
イアンは頷いて、ジャニーネの体をタオルで包みダスティンと協力してそっと持ち上げる。「揺らすなよ。ゆっくりだ」しきりに医師は忠告した。リヒャルトが店の扉を押さえている間に外に出て病院へと運んだ。ジャニーネは意識をなんとか飛ばさないように、ずっとダスティンの名前を呼び続け、ダスティンもジャニーネの名前を呼んで励ましていた。
病院の奥へと運ぶと医師はすぐに手術を始めると言ってダスティンと共に追い出された。中にはジャニーネと医師と看護師、そして赤ちゃんが残され、扉がまるでこの世の境のように思えてイアンは落ち着かなかった。それ以上にダスティンは青い顔をして立ち尽くしている。大きな体が震えて心ここにあらずといった様子だった。イアンはダスティンを座らせて隣で背中をさする。命の灯は簡単に消えることを知っているイアンは、神の存在を信じることはなかったが、今は闇雲に何かに祈るしかなかった。




