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クライス  作者: 桝克人
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第22話

 食事の片づけを終えるとジャニーネは帰ると言ったのでイアンは家まで見送ると申し出た。ジャニーネはバイタリティに溢れる女性だが、疲れが出ているのだろう。短い歩幅でゆっくりと歩き、時折自分自身を励ますように掛け声をかけながら階段を昇っている。しっかりしているとはいえ躓いたりしないか心配で、イアンは横目でちらちらと様子を見ながら並んで歩いた。


「あの子は素直でいい子だねえ。あんたたちの家に引き取るって聞いたときは、きちんと世話ができるのかと思ってたけれど、思ったよりちゃんと生活出来ていて安心したよ」

「そんなにダメな大人だったか」

「子供が生活できる環境ではないよね」


 イアンはそれまでの生活を思い出してみる。それなりの料理、それなりの掃除、それなりの洗濯、決して悪くはないと思っていたが、それらは気が向いたときにしかしなかったし、身を入れてやったことも殆どなかった。リルが来てからの方が丁寧にやっている自覚はあったので「確かに」と呟くように返事をする。


「ダスティンも心配していたんだよ。初日に会ったときは随分やせ細っていたっていうじゃないか。なんだかんだ世話焼きのあんたのことだから任せていて大丈夫だとは思うけれどって言いながらも、毎日のようにあの子は元気にしてるのかって」


 父親の自覚がでてきたのかねと笑って言った。


「そう言われたら少し安心した。男所帯で目が届いていないことも多いし、あの子から話しづらいことも多いと思う。でもジャニーネが来てくれたおかげで、あの子の本音みたいなものに触れた気がするよ」


 イアンはどんな環境で育ったかは想像するしかない。親から愛されていたかなんて直接訊かれたらなんと答えていただろうかと自問してみるが答えが見えてこなかった。


「やっぱり同性の方が心を開きやすいのかな」


 ついぽろっと弱音をついてしまった。初対面のジャニーネがリルの本音を引き出せたことに、実のところ尊敬と嫉妬が入り混じり胸がチクりと痛んでいた。自分のふがいなさを実感する。


「馬鹿言ってんじゃないよ」ジャニーネは間髪入れずにぴしゃりと言い切った。「あの子が心を開いているのは、あんたたちが、きちんと向き合っている証拠じゃないか」


 イアンが驚いているとジャニーネは困ったように片笑む。


「リルが初対面の私に心を開いたのは、普段から誰かの愛情を受け入れている器がないと出来ないことさ。傍にいる大人を信頼しているからこそ、他人を受け入れる準備ができるのさ」

「そう、なのか?」

「他人の子供を育てるっていうのはさ、これから生まれてくる私らの子育てとも違って大変だと思うよ。自分のところに生まれてくる子供と違って、それまで別の人生があったんだ。価値観も考え方も異なる場所でさ。大人だって他人と生きるのはすり合わせが必要だけれど、それを子供がやらなきゃならないし、あんたらみたいな子育ての経験がない状態だと急に生活自体ががらっと変わるだろう?」

「まあ……そうだな」

「生活に馴染むだけでも大変な環境で、あの子には気持ちにゆとりがあるように見えた。それはあんたたちが頑張ってきた証拠だろう。調子に乗ることじゃないが、ちょっとは自信を持ってもいいんじゃないかい」


 ジャニーネはイアンの背中を叩いた。力強い暖かな手に体がふらつきながら、心に棲みついていた靄のような不安が散ったような気がした。


「送ってくれて助かったよ」

「いや、気にしないでくれ。リルが俺たち意外の人間と話す機会がもらえてよかったよ」

「そうかい。またいつでも店に連れてきなよ。ダスティンも楽しみにしているからさ」

「また近いうちに」

 「イアン」帰ろうと踵を返してからすぐに声を掛けられすぐに振り返ると、ジャニーネは眉尻を触りながら何かを言いたげにイアンではなく宙に視線を流している。

「その、私もさ、まだ母親じゃないのに分かった口を聞いちゃって……気を悪くしていないかい」

「そんなわけないだろう。らしくないな」

「あんただけじゃないよ。自分が親になる自信がないのはさ、私も同じさ」


 いつも胸を張って仕事に励んでいるジャニーネの眉は下がっている。口元では必死に口角をあげているように見えた。


「もうすぐ生まれるっていうのに、いつだって不安は付きまとってるんだ。無事に生まれるのかなとか、生まれても育てられるのかなとか、そんなことばかり考えてるよ」

「そんな心配をしているのはたぶんジャニーネだけなんじゃないか」

「どういうことだい」

「ジャニーネがリルや俺たちのために心配してくれるように、俺たちもおまえさんら夫婦と生まれてくる子供のことを想っている。誰よりもダスティンがいるじゃないか。頼りがいがある」


 リルに言った自分の言葉を思い出したのか、ジャニーネは恥ずかしそうに目を反らした。


「一人で悩む必要なんかないだろう。俺だっていつだってかけつけるよ。暫く傭兵の仕事もないしゲフィングニス(此処)にいるさ」


 ジャニーネは眉を開き息をついて「頼りにしてるさ」と笑った。ジャニーネは店のドアを開くと常連客の「おかえり」と迎える賑やかな声が聞こえる。どうやら今日も盛況のようだ。イアンはその声に背を向けて来た道を戻っていった。

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