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クライス  作者: 桝克人
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第21話

 母親の思惑も、父親が何を思っていたのかも、すでにこの世にいない二人に問いただすこともできない。誰にもぶつけられないもどかしさを抱えたまま、次の日も変わらぬ生活を送る。昨日のことは何もなかったと、三人とも示し合わせたように話題に触れなかった。リルからもう少し話を聞き出したい本音に一度蓋をして、リルの精神安定を第一にしようとリヒャルトと決めていた。イアンは早く普通の子供のように過ごして欲しいと焦る気持ちも少なからず頭をもたげていたが、今の状態を保つことがリルのためだと何度も自分に言い聞かせた。


 そんな歯痒い日を数日送っていたある日、イアンが望んでいたリルが外へ出るきっかけが外からやってくることとなる。

 夕飯の準備を始めようとした頃に、インターホンが鳴った。予定のない来客は殆どないこの家では珍しく、イアンは首をかしげて玄関へと向かう。のぞき穴から外の様子を確認すると、思ってもいない人が立っていた。イアンは警戒を解いてすぐにドアを開ける。


「ジャニーネ。どうしたんだ」

「どうしたもこうしたもないよ。最近全く店に来ないから心配したんだよ」


 リルを預かる前から店によく足を運んでいた。自身で料理をするのは嫌いではなかったけれど、しみったれた男所帯で毎日飯の準備をするのはやりがいがそれほどない。リルがやってきてから変わった。一生懸命食べている姿を見ることも、おいしいと言ってくれることもやりがいにつながっていた。


「それは悪かったけれど、家にまで来るなんて珍しいな。それにダスティンは?」

「今日はあの人に店を任せてきたんだ。全く、あんたが来ている間は直接家のことも訊けるけれど、しばらく顔を見せないから不安になってね。男所帯に女の子が一人いるなんて、それも子供に慣れていないあんたたちの生活が破たんしているんじゃないかって。とりあえず入らせてもらうよ」


 ジャニーネは有無を言わさずイアンの脇を通り過ぎて家の中へと入った。


「意外だね。綺麗にしているじゃないか。あんなごみ屋敷だったのに」


 歯に衣着せぬ物言いに言い返せない。以前は決して綺麗とは言い難い家だった。料理も掃除も洗濯も気が向いたらやっていた。言い換えれば気が向かなければやらなかった。とくにリヒャルトは物をためこむ癖があるので、共同生活の場にも平気で荷物をあちこちに置きっぱなしにする。勝手に片づけることは許されず、結果放置することがイアンの中では最適だったのである。イアンが料理をする回数が増えるのと同じようにリヒャルトは家の掃除を手伝うようになった。物が減ったわけではないが、二階にある自室や空いている物置部屋に片づけるようになったのである。


「はあ……人は成長するもんだねえ……」


 感嘆の声を漏らしながらつかつかと奥へと進む。


「おや、あんたがおちびちゃんかい」


 ダイニングテーブルに座って書き取りの練習をしていたリルはジャニーネに声をかけられて、さっと椅子から降りイアンの後ろへ隠れる。シャツの裾をぎゅっと握りしめて背中から少し顔を覗かせて様子を伺っていた。


「あっはは!恥ずかしがりやなんだねえ」

「他所の人に慣れてないから……リル、この人がジャニーネだ。外で買ってくるごはん食べてるだろう」

「おさかなの?」

「そう。いつも美味しいって食べてるだろ」

「そりゃ嬉しいねえ。今日も持ってきたよ。特製の魚料理」


 両手に持っていた袋を持ち上げて笑った。


「おばちゃんも一緒に食べてもいいかい?リル」


 リルは大きく頷いた。


「さて、それじゃあテーブルを綺麗に拭いて準備をしましょう。リル手伝ってちょうだい。あんたはリヒャルトを呼んでくるんだよ」


 たちまちジャニーネが中心となり、イアンは言われた通りすごすごと階段へと向かった。階段を下りる前にダイニングを振り返る。多少緊張した面持ちではあったものの、突然現れた他人に心を閉じることなく、ごく自然に受け入れている。リルが外の世界で生きて行けるか憂いていたのは、もしかしたら取り越し苦労だったのかもしれないとイアンは愁眉を開いた。


 ジャニーネが来ていると伝えると、一緒に食べるのは渋っていたリヒャルトを引っ張るようにしてダイニングへ連れてきた。いつもなら料理を詰め込んだ箱のまま食べるが、全て皿に移し替えてあった。この家にない()()()()()()()()()()()を設えられているだけで豪勢にみえた。乱雑さに安心感を覚えるリヒャルトはあからさまに嫌な顔をしている。ダイニングの椅子は三脚しかないことをいいことに、リヒャルトは自分の食事をリビングソファへ持っていき「ごゆっくり」と譲った。

 食事を終えたあと、ジャニーネは食事の後片付けを始めた。リルは洗った食器を拭いて、イアンがそれを受け取り食器棚へ片づける小さなリレーが出来上がる。


「ねえ、ジャニーネ」

「なんだい」


 リルはジャニーネの腹に視線をやってからもう一度顔を見た。


「赤ちゃんがいるの?」

「そうだよ。もうすぐ生まれるってお医者様も仰ってるけど、なかなか出てこなくてねえ……」


 リルはまじまじと膨らんだ腹をみた。


「妊婦のおなかは初めて見るのかい?」


 首をかしげて肯定も否定もせずにいる。


「どうして赤ちゃんがいるの?」

「ええ?」リルの質問の意図を汲みかねてジャニーネは唸った。「そうだねえ……赤ちゃんに会いたかったからかな」

「会いたいの?どうして?」

「おばちゃんにはね、家族がいるの。恰幅が良いけど少し気弱で、でも頼りがいがある優しいおじちゃん」


 絶対本人には直接言わないであろう言葉にイアンは自分が聞いてもいいのかと戸惑い、聞いていない風に装って時間をかけながら食器を片づける。


「そのおじちゃんと二人でいるのも楽しいけれど、二人より三人の方がもっと楽しくなるはずだっておじちゃんと話してね、赤ちゃんに来てもらったんだよ」

「そうなんだ……」


 リルは渡された食器を、心ここにあらずといった様子で何度も拭いている。


「親って皆そうなの?」

「ん?」

「親は皆、赤ちゃんに会いたいから生むの?」

「さあ……どうだろうねえ……おばちゃんはおじちゃんのことが大好きで結婚したけれど、世の中にはもっと合理的な人もいるし、体裁を重視する人もいるからね。赤ちゃんに会いたくて生む人もいれば、世間体を気にして生む人もいるんだよ」

「ふうん……私のママもそうだったのかな」


 重重しく問うリルの言葉にしんと静まり返った。嘘でも世の中の母親はみんな子供を愛していると言えればどれだけ気が楽なんだろうとイアンは項垂れた。

 ジャニーネは最後に洗ったカトラリーナイフを手渡した。


「おばちゃんはあなたのママのことを知らないからわからないけれど、あなたに会いたいのは生む人だけじゃないとおばちゃんは思うな」

 リルは小首をかしげた。ジャニーネは笑って視線を動かした。リルは視線を追うと、そこにはイアンやリヒャルトがいた。二人は目を反らしたり、頭を掻いたりして面はゆい思いを誤魔化していた。

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