第16話
先日カトリンの店で仕立てを頼んでいたリルの服も出来上がったと連絡があった。本屋を出た後赴くことにした。
「いらっしゃい」
店に入ると軽やかなベルの音と共に、カトリンの柔らかな声が店内に響いた。カウンターには男性の客の応対をしているカトリンがいた。イアンが会釈をすると、「あら、イアン。ちょっと待ってね」と後ろに振り返って、店の奥にいる従業員にリルの服を用意するように言いつける。イアンは待っている間、店内にある商品を眺めた。ハンガーラックには見本品のワンピースやコートがかかっている。棚にはネクタイやハンカチ、スカーフなどの小物類、そして先日カトリンがリルの為に持ってきた様々な動物のぬいぐるみが鎮座していた。
男性が引換券を受け取って店を出ていくのを目の端で追ってからカウンターへと歩んだ。
「お待たせ。取りに来てくれて助かるわ。持っていこうとも思ってたんだけれど、仕事が立て込んじゃって」
「大変ですね」
「そうよお。猫の手も借りたいってところなの」
「何か手伝えることはって言いたいところですが、俺にできることはないですね」
カトリンは弾むように笑った。
「当然でしょ。上層部にもご贔屓にしていただいてるみせよ。ちょっと愚痴っただけよ。堅物そうなのに冗談も言えるのね」
「はあ……」
妙にテンションが高い。化粧では隠し切れない眼の下の隈が疲れ滲んでいる。仕事が立て込んでいるのは本当らしい。カトリンは従業員が持ってきた衣装をカウンターに広げた。
「確認してね。ワンピースが二着と、シャツが二着、スカートとズボンが二着ずつ……十歳はすぐに大きくなるから、ワンピースはサイズ直しが出来るように少し大きめに作ってあるわ。もし何かあったらいつでも持ってきて頂戴ね。手直しするから」
「ありがとうございます」
「いいえ。それじゃあ、お支払いはっと……」
支払いを済ませて領収書を受け取った。礼を述べて店を出ようとドアノブに手をかけるが、ドアを開ける前にイアンは振り返った。
「カトリンさん」
「なあに?」
「本当に猫の手が借りたい時は貸しますよ。繊細さを知らない男の手ですが。配達くらいなら役立てると」
イアンは片笑んでから会釈し店を出た。残されたカトリンは目をぱちくりとさせながらその背中を見送った。
(あとはジャニーネの店で飯を受け取って帰るだけか)
左手にカトリンの店で受け取った大きな袋を持ち大通りの人込みの中を歩く。人の流れにあわせるように動かしていた足を徐々にスピードを上げていく。行きかう人のざわめきは時々言葉となって耳に入る。取り止めのない会話ばかりだ。親子による今日の夕飯の話、仕事の疲れを癒したい仕事帰りの男たち、これからどこへ遊びにいくか話す若いカップル。すれ違いざまに聞こえるそんな会話を払うようにイアンは意識を後ろに集中する。下層へ向かう階段を下りていくと大通りの賑やかさが少しだけ緩和される。イアンは歩みを緩めてゆっくりと歩いた。そして路地裏に入り、少し行ったところで振り返る。
(追ってこないか?)
イアンを追っていた気配が人の流れの中へと混ざり合い消えていった。
自分の後を追っている気配だと思ったが気のせいだっただろうかとイアンは怪訝そうに眉を寄せる。いや、そんなはずはない。間違いなく後をついていたはずだ。イアンは失敗したとため息をついた。こんなことならおびき出そうなどとせず、途中で振り返ればよかった。せめてその姿を見ておくべきだったと、過ぎたことを後悔するしかなかった。
追ってきた気配をもう一度誘い出すつもりでしばらく適当にうろうろしてみたが、その気配が蘇ることはなかった。ジャニーネの店に着いた頃には心拍数が上がっているのか息がいつもより浅く早くなっている。店のドアを開けると、調理中の音や客のざわめきが響いた。
「イアン、いらっしゃい」
ジャニーネは調理の手を止めずにイアンに声をかけた。イアンが店の中を見渡すと、ジャニーネとダスティン、そしてよく見常連の客ばかりで、いつもの日常に引き戻された感覚を覚える。
「今日も持ち帰りかい?」
「あ、ああ。三人前で」
「了解。座って待ってて」
作りたての料理を客に振る舞ってからジャニーネはダスティンを呼んだ。奥にある階段を下りてきたダスティンにイアンの注文の品を用意するように頼む。暫く待っているとダスティンは袋を差し出した。
「どうかしたんすか。顔色が悪いようっすけど」
「いや……最近変な奴とかみかけたか、訪ねてきたか?」
ダスティンは太い首をかしげて宙に視線を投げながら黙考してから口を開く。
「いいえ?いつも通り、常連客はよく来てたっすけど」
「そうか……変なことを聞いたな。悪い」
「なんかあったんすか」
「多分気のせいだと思うから気にしないでくれ」
イアンは立ち上がりダスティンにおつりが出ないようお金を渡して店を後にした。




