第八話 散歩
「美しい庭ですね」
声をかけられて、シャルロッテは我に返った。いつの間にかぼんやりとしてしまい、心ここに有らずだったようだ。
「え、ええ」
母の自慢の庭でしたーーそう続けようとして、声を発した人物を振り返り言葉を飲み込む。
彼女の数歩あとを追いかけていた筈の、マイセン侯爵家の子息ラズヴェルが、離れた場所で足を止め、キョロキョロと周囲を窺っていたからだった。
ーー何をしているのだろう?
「あの……、ど、どうされたのですか?」
恐る恐る近づくシャルロッテに、ラズヴェルはチラリと気のない視線を寄越して囁いた。
「シャルロッテ姫」
「は、はい」
ビクリと体を竦める彼女を、彼は呆れたように見つめて言う。
「誰もあなたを取って食べたりは致しません。一々ビクビクしないでいただきたいのですが……」
「ご、ごめんなさい。わ、わたくし……」
シャルロッテは思わず俯いて、情けないほど小さな声を出した。
マイセン侯爵家は、ここグルセン王国でも一二を争う名家だ。その家系は古く、歴代の王家とも深い縁で結ばれている。
そしてラズヴェルは、二十歳になったばかりの体格のよい青年で、文武共に優れ、将来を嘱望されている若者の一人であった。
家柄、血筋、人物とどれをも兼ね備え、国王ギンダー三世及び筆頭大臣グレファムの考える、花婿候補の最有力と見てまず間違いないだろう。
シャルロッテと彼は王と大臣が段取りした散歩に、昼食を済ませたあとほどなくして、追いたてられるように送り出されていた。
二人が歩いているのは王宮にある中庭だ。庭の中央には噴水があり、それを取り囲むように色とりどりの花々が見事な配色で植えられている。
辺りには人影はあまりなく、たまに使用人らしき姿を見かけるのみである。彼らの邪魔をする者は誰もいない。そう、建前上は二人きりだ。
ラズヴェルの背後には陽光を弾いて輝く白亜の宮殿が、青空を背景に美しく悠然とそびえていた。
シャルロッテとラズヴェルが共にこんな時間を過ごしている訳は、ミハエルに断られた茶会のショックで流れていた面談の約束を、ようやくここにきて果たすに至ったからである。
彼以外の候補者達と会う予定も、少しづつではあるが埋まり始めていた。その合間には勉強時間もあるから、シャルロッテの日常はかなり忙しいものになってきている。
この忙しいスケジュールの理由も、もしかしたら王達による配慮の賜物かもしれない。余計なことを考える時間を与えなければ、公子から受けた傷も早く消えるだろうときっと考えているのだろう。
そう、彼らはシャルロッテとミハエルが、一応の和解を結んだことを知らない。その上彼らの目を盗んで、こっそり会う約束をしていようとは知りよう筈もない。
「なにも謝る必要はありません。それより相談があるのです」
「相談?」
ニコリともしないラズヴェルに、こわごわとシャルロッテは聞き返す。
ラズヴェルという青年は彼女に対して素っ気ない態度は取るものの、一定の礼儀は弁えているようであった。何と言ってもシャルロッテは国王の娘、彼は王の臣下になるのだから当たり前と言えばそれまでなのだが。
「あなたにはどなたか、心に決められた方がおられますか?」
「えっ?」
「つまり、わたし達候補の中にそんな相手はいらっしゃらないのですか?」
鈍いなとでも言いたげに、目の前の侯爵家の貴公子は顔をしかめてくる。シャルロッテは思ってもない質問に気が動転して、それでなくても赤らんでいた頬が、いよいよ茹でたように真っ赤になってしまっていた。
「あ、あの……」
頭の中には一人の青年の顔が浮かんでいる。
「そのご様子だとおられるようですね?」
焦って言葉もままならなくなった彼女を見て、ようやくラズヴェルは緊張の糸をほぐして表情を和らがせた。
「安心致しました」
ホッとしたような笑みを見せて、彼はシャルロッテの方へ振り向いた。
「それでは今ここで、わたし達がこうして共にいる必要もないでしょう。わたしはこのまま失礼致します。幸いこちらを監視していた者達も先ほど姿を消したようですし、あなたもお好きなところへ行けばいい」
「え、どういう……」
意味が分からず戸惑うシャルロッテを置いて、一方的に「では」と手を上げ彼は立ち去ろうとする。
「ま、待って下さい」
必死で追いすがる彼女を無視することも出来なかったのか、仕方なしにといった風体でラズヴェルは振り返った。
「まだ何か?」
「あ、あの、わたくし……意味が」
分からないのですがーーと、彼女は小さな声でようよう呟く。
それに対して大きなため息を吐き出すと、彼はシャルロッテの顔を覗き込んできた。
「鈍い方ですね。つまりこれは協定ですよ」
「協定?」
「そう。今後わたし達二人が会う時は、監視の目が離れたあとは、お互い好きなことをして時間を潰しましょうと言ってる訳です。その方が建設的だと思いますが、どうですか?」
「あ、あの……」
目を白黒させて答えあぐねている彼女を無視して、青年は早口でまくし立てた。シャルロッテは置いてけぼりになる。
「あなたは思う相手のところへ行けばいいですよ。それで適当な時間に部屋へ戻って下さい。そうですね。わたしとのことを尋ねられたら、話が弾んで中庭から宮殿内へ場所を異動した、とでも言ってくれたらそれでいいでしょう。そうすればこの場からわたし達が消えていても、不審には思われないと思いますよ」
「あ、あの……そ、それはーー」
「それでは、そういうことで。よろしいですね?」
いまだ言葉が出てこない彼女を置いて、彼は今度こそ踵を返し、シャルロッテの前からいなくなってしまった。
一人取り残されたシャルロッテは、呆然として立ち尽くす。宮殿に向かって去って行ったラズヴェルの後ろ姿は、あっという間に花の陰に隠れ見えなくなった。
城に残っている花婿候補達が、皆彼女との結婚に積極的ではないということぐらい分かっていた。
だが、夜会の時の男達よりずっとましに見えたラズヴェルですら、二人で会うのは嫌だと逃げ出してしまうのだ。
自分にはよっぽど、魅力なんてものがないらしい。それに今更傷つくなんて馬鹿みたいである。そう、気にしたって仕方ない。分かりすぎるくらい分かっていたのだから。
でも……。
「分かってたけど……」
「何が分かってたの?」
誰かが彼女の独り言に言葉を返してくる。
「えっ?」
誰かーー? いや、この声は聞き覚えがある声だ。まさかーー。
「ミハエル様なの?」
キョロキョロと周囲を見回した彼女の前に、いる筈のない青年が姿を現した。
薔薇の茂みから出て来た金色の髪を揺らす異国の公子は、悪戯が見つかった子供のように幾分ムッとして答えた。
「当たり」




