第七話 お茶会
「どうぞ、席にお着き下さい」
シャルロッテは居間へとミハエルを先導して入り、テーブルの方へ彼を誘った。
テーブルの横には侍女達が準備した、お茶のセットが乗ったワゴンがある。侍女長のバーバラは約束通り、お茶うけの菓子も用意してくれていた。焼きたてのクッキーが、香ばしい匂いをさせている。お昼を抜いていたシャルロッテは、匂いに釣られお腹が鳴りそうになった。
ミハエルはキョロキョロと落ち着きなく首を動かしながら、入念に周囲の様子を窺い、ゆっくりと居間の中へ入って来た。まるで未開の地に足を踏み入れた猫のように。
そんな態度を取る彼に、意味もなくシャルロッテは苛立つ。
「そんなに心配されなくても、もう誰もいませんから」
ツンと顎を上げて指摘をしてやると、彼は媚びるような笑顔で近づいて来た。
「心配なんてしてないけど」
「そうかしら?」
この青年は何を言っているのか。
わざとらしいくらい、おっかなびっくりで入って来たくせに。
気づいてないとでも思っているのだろうか。侍女がいやしないかと、辺りに気を配っている様子は見え見えだった。
そう、ミハエルが気にしているのは侍女であって、シャルロッテではない。シャルロッテと二人でいるところを、彼は誰にも知られたくないのである。
お陰で彼女のツンツンとした表情は、一向に消えそうもなかった。
自分に対して何ら気を使おうとしないミハエルの態度が、どうしても鼻についてしまう。
こういう場合、普通はもっと彼女に対して下手に出てもおかしくない筈だ。
何と言っても彼は彼女の、正確に言えば王のだが、誘いを断って撥ね付けた人間なのである。彼女には何の落ち度もなかった筈だから、断ったということは彼の側の一方的な理由な訳で、つまりは礼儀に反した行為と言えるだろう。
おまけに彼は花婿候補の一人であり、夜会後も自分の意志で宮殿に留まった立場の男だ。花嫁側からしたら、結婚に乗り気であると考えたって少しもおかしくなかったわけである。
にもかかわらず、王の誘いに応じなかった。
いくらうぶなシャルロッテにだって、彼の仕打ちに不信感くらい浮かぶ。
それなのに、どうしてこんなに堂々と会いに来れるのか。王が同じことを彼女にしたとして、こんな当たり前然としてやって来るであろうか……、いや、そんな勇気はないだろう。
王でなくても、誰だって来ない。さすがに相手を気遣って出来やしないのが普通だ。
「座ったらいいの?」
無言で考え込むシャルロッテに、ミハエルが問いかけてくる。憎たらしいくらい華やかな笑顔で、彼はこちらを見ていた。
「どうぞ」
彼女は思案をやめてワゴンへと近寄った。答えの出ないことなど考えるだけ無駄な気がしていた。
ワゴンの横に立ちカップへお茶を注いでいく。
ミハエルの視線には気づいていたが、不思議と手元が震えることはなかった。
多めに用意されたカップに彼と自分の二人分お茶を入れ終わると、それぞれ置いて回る。静かな部屋の中には給仕をするシャルロッテの靴音と、カップを下ろす時にテーブルと接触して鳴った小さな音しか聞こえなかった。
「お茶会みたいだね」
「えっ?」
「だから君と僕、二人だけのお茶会」
席に着いたシャルロッテに、ミハエルは頬を緩めて話しかけてくる。彼は「頂きます」と澄まして言うと、カップに口をつけた。
「あ、あ、あ……、」
「ん、何?」
「あなたは何を考えてるの?」
シャルロッテは呆れ果てて大きな声を漏らす。キョトンとした顔でこちらを見つめるミハエルの顔を、信じられない面持ちで凝視していた。
言うに事欠いてお茶会とは、あまりにも状況を把握出来ていないのではないか。
シャルロッテとミハエルは、正式に開かれたお茶会で共に過ごす予定だったのだ。そう、彼が断りさえしなければ。こんなコソコソとしたものではなく、もっと華やかな茶席を楽しめた筈だった。
「あなたという方が分かりません」
硬い口調で彼女が口を開くと、ミハエルは曇り一つない澄んだ輝きを放つ宝石のような瞳を、クルリと開いて興味深げに見返してくる。
「だってそうでしょう? あなたはわたしとのお茶会を断ってらしたんですもの」
「それで君は機嫌が悪かったの?」
カップを置いてミハエルは呟いた。シャルロッテの発言に少しも動じた素振りはない。彼の堂々とした態度に、彼女はますます苛立ちを募らせた。
「当たり前じゃありませんか! いったいどういうつもりなの? わたしとのお茶会を断られたのに、何故わたしの前に現れるのですか? わたしが気にいらないのなら、こうして会いに来ないで下さい。迷惑です!」
思わず大きな声を上げて、シャルロッテは荒い息を吐く。興奮した彼女の向かいで、ミハエルはブラウンの瞳を翳らせ俯いた。
「君を気にいらないなんてことは、断じてない。信じられないかもしれないけど」
「嘘は仰らないで! 気にいらないから断ったのでしょう?」
「嘘じゃない。茶会を断ったのは、君の父上の思惑に身がすくんだから」
「えっ?」
「招待されたのはありがたいし光栄なことだ。けれどそれは君本人からではないだろう? 実質は君の父上の厳しい審査を兼ねた、気の抜けない堅苦しい一席になるだろう」
シャルロッテはギンダーの言葉を思い出した。父は自分も茶会に同席すると言っていたのだ。それを聞いたとき胸に浮かんだのは、安心感とは別の感情だった。
あのときは何故だか分からなかったが、今の話を聞いていると分かるような気がした。
父が同席していては、彼との時間に入り込むことなど難しかったことだろう。常に誰かの視線を意識しながらでは、物事に没頭し楽しむことは出来ない。
きっと父の申し出を素直に喜べなかったのは、心のどこかで、そのことを敏感に感じ取っていたからなのであろう。
「僕はそういう席には向いてないんだ。恥ずかしい話だけどね。どうも礼儀というものを知らない性分らしい。いつも気がつけば他人を不快にさせてしまう。だからきっと、失敗してしまうと思ったんだ」
「そんな……」
シャルロッテには理解しがたい言い訳だった。目の前でうっすらと微笑みを浮かべて説明をするミハエルは、どう見ても礼儀知らずの無作法な人間には見えない。彼の姿勢や話し方、表情に至るまでとても洗練されていて美しかった。
確かに彼女に対しては、礼儀を弁えない行動をしているとも感じたが、だからと言って、大事な場で失敗をしてしまう彼を想像することは出来なかった。
そう、常にみっともなく失態を仕出かす彼女自身とは違って。
「嘘だわ、あなたがそんな……」
なおもかぶりを振るうシャルロッテを見て、彼は僅かに表情を曇らせる。
「本当のことだよ。僕は他人をイライラさせる。そんな気はなくても僕の存在自体、人から見れば疎ましいものなんだよ」
「えっ?」
戸惑うシャルロッテの目前で、ミハエルがハッとしたように顔を上げた。
「公子様であるあなたが、疎ましい?」
「あ、いや……今のは違う。口が滑った」
青年は慌てたように笑顔になった。
「どうも君といると調子が狂う。そう、僕は公子だ。サフラン公国の第八公子……」
言い聞かせるようにミハエルは口にした。そして神妙な顔をして唇を引き締める。
「聞いてくれ、シャルロッテ姫。僕は君を傷つけた。どんなに謝っても許されないことをした。それは分かってる。こんなこと言えた義理ではないことも、だがお願いだ。君の父上に尻込みして、せっかくの機会を潰してしまった未熟な僕を、僅かな情けでいい、どうか許してほしい」
ミハエルは椅子から立ち上がると、シャルロッテの前まで近づいてきた。
驚いて固まるシャルロッテの手を取り、彼女の前に跪づく。彼の真剣な眼差しに、彼女は何も言えなくなった。
「お願いだ、シャルロッテ姫。僕にチャンスをくれないか。君の怒りを解きたい。君の父上ではなく君自身に、僕を判断してもらいたい」
「な、何故……?」
「君に嫌われたくないんだ。このままグルセンを去ってしまったら、後悔で一生を終わりそうだから」
顔を上げたミハエルがすがるように彼女を見つめていた。潤んだように輝く双眸から、目を離すことなど出来やしない。
ほんのちょっと前まで、不実な人だと責めていたのに。やめといた方がいい、別の冷静な彼女がそう警告を発しているのに。
彼の本心は今の言葉の中にこそあるのだと、信じたくなってしまう。悪い人ではないーー初めに感じた自分の直感に、しがみつきたくなってしまう。
シャルロッテは身動きもせず、ミハエルと向かい合っていた。彼に対して遠慮もなく言葉を投げ掛けていた彼女は、いつの間にか消えてしまっている。
仕方がない。自分は囚われてしまったのだ。
あの日、あの夜会の夜に、ミハエルの瞳に見入られてしまった時から。彼から目を逸らすことなど出来ない魔法に、かかってしまっていたのだから。
「約束する。君に完璧に嫌われてしまったら、潔く国に帰るから。だからもう一度だけ、憐れな男に機会を作ってくれないか? レディ・シャルロッテ」
甘く溶けそうな囁きと共に手の甲に落とされた口づけに、シャルロッテは顔を真っ赤にして、ただただ震えるばかりだった。
***
酷く胸が痛む気がした。
その痛みの理由を考えないようにして、ミハエルは部屋へ戻って来た。
意識しないようにしていても、じわじわと広がっていく嫌な後味は胸を刺す針となって彼を蝕み続けている。
部屋の中では退屈そうにソファーに寝そべっていた男が、彼の姿を見るなり勢いよく起き上がってきた。
「どうだった?」
せっかちな男は質問するのさえ時間の無駄だと言いたげに、答えを要求してくる。
「多分、大丈夫。約束を取り付けてきた」
「多分って、どういうことだ? おい」
ミハエルは問いを重ねる男を一瞥することもなく、その前を通りすぎた。
窓を開けて新鮮な空気を肺の中へ送り込む。出来ることなら記憶を全て消してしまいたかった。
頬を薔薇色に染めたシャルロッテの、頼りなげな顔が浮かんでくる。ミハエルの口から出たでまかせのような上っ面でしかない言葉に、おろおろと成すすべもなく震えていた少女。
彼女は知らない。彼の真実を。
だが、明らかに今回のことで、彼への疑問を持った筈だ。一時は迷惑とまで口にしていたのが、その証拠だ。
なのにーー、結局受け入れていた。
彼の言動を訝しみながらも、最後には結局こちらの思う通りになったのだ。
所詮、王と王妃に大事に育てられた箱入り娘。多少今回の夜会で辛い目にあったとしても、本当の意味での傷など付けられた経験は一度もないのであろう。
だから彼のことも信じた。人を疑うということすら、もしかしたら知らないのかもしれない。
「あっけない……」
「何か言ったか?」
男が眉を上げて彼を睨んでくる。詳しく話そうとしないミハエルに、相当苛立っているのだろう。
「別に……」
「別にじゃないだろう。お前は自分のやるべきことを、本当に分かっているのか?」
頬を紅潮させた男が掴みかかってきた。部屋で一人燻っていた男は、ストレスがかなりたまっていたらしい。それでなくとも茶会を断った理由を腹痛にしたため、食事を取っていないことも腹立ちの要因になっているようだった。
同じ赤い顔でも、あの娘とこの男ではどうしてこんなに違うのだろう。
ミハエルは喚く男をぼんやりと眺めながら、薄紅色の頬をした少女の顔が、悲しみに崩れていく表情を思い浮かべ、再び胸の奥に広がる痛みを苦々しく感じていた。




