第五話 公子
「お父様、いったい、どうされたの?」
扉の所で仁王立ちで立っている国王に、シャルロッテは驚いて声をかけた。
「うむ……何でもない」
そう言いながらも王はなかなか近寄って来ようとはせず、シャルロッテとグレファムの顔を見比べながら頬を引くつかせている。
「陛下、先触れもなくお越しになるとはお行儀が悪うございますぞ」
そんな王に老大臣グレファムは澄ました顔でピシャリと言ってのけ、ギンダーの険しい眼差しを素知らぬふうで無視していた。
「グレファムよ、俺はこの国の王だぞ? 娘の部屋に入るのに遠慮はいらんだろ。だいたいお前が余計な話をーー」
「陛下、姫は年頃のご婦人ですぞ? この年齢の娘と言うものは、とかく男親を厭うものです」
「厭……う?」
大臣に文句を言ってやろうと前のみりになっていた王は、自信満々で持論を展開する老人に出鼻を挫かれ唖然とする。
訳が分からないといった反応を示す王に、グレファムはきつい一言をお見舞いした。
「さよう、年頃の娘の部屋へ問答無用で立ち入るなど、『汚らわしい、不潔!』と罵られても致し方ない行為ですぞ。なにしろ男親と言うだけで忌み嫌われることもあるのです。勿論、陛下だとて例外ではありません」
「何、それは、本当か?」
慌てたようにギンダーは、シャルロッテへと近づいて来る。彼は呆然と二人の会話を聞いていた彼女の手を取り、焦ったように尋ねた。
「シャーリー、わたしを厭わしく感じているのか?」
「お父様……」
父の取り乱した様子に、シャルロッテは破顔した。
「とんでもない。わたしはお父様が大好きです」
「シャーリー……」
ホッと胸を撫で下ろす王の背後から、クックックッと笑い声が聞こえてくる。
「お前、グレファム?」
ここにきてようやく、からかわれたと悟ったギンダーが、真っ赤な顔で老大臣に噛みついて行くのを、シャルロッテも肩を振るわせて微笑みながら見つめていた。
「それで、お父様。わたしに何のご用だったの?」
侍女達が入れたお茶を手に、シャルロッテは父へと問いかけた。
直に昼食の時間と決まっているため、テーブルの上には簡単なティーセットしか用意されていない。
老大臣グレファムは所用が出来て部屋を辞していた。お陰で賑やかだった雰囲気は、落ち着いたものへと変わっている。
「うむ……」
娘と大臣におおいに笑われてしまった国王は、威厳を戻すべく殊更厳しい顔をしているように見えた。
シャルロッテは目をパチクリと見開いて、父の言葉を待つ。いったい何の話だろう。
「お父様?」
「シャーリー。実はな……」
王は意を決して話し始めた。
「お前の話していた公子殿にお会いした」
「えっ、ミハエル様に?」
焦ったような呟きが口から漏れてしまった。指が震えて仕方がないので、カップをそっとテーブルに戻す。名前を聞いただけで動悸がするなんてどうしたらいいのだろう。あまりの動揺振りに自分でも呆れてくる。シャルロッテは狼狽えながらも、平常心を必死で装った。
しかし王が、娘の変化に気づかぬわけがない。ギンダーは真っ赤な顔の娘を凝視して、益々苦いものへと顔つきを変えていく。
「シャーリー、お前……」
「えっ?」
反対に、逆上せてしまったシャルロッテの方は、父親の表情に全く無頓着だ。能天気にも、自分の慌て振りを隠せていると信じきっている。
「いや、何でもない」
王は彼女から視線を逸らすと、ごく自然な口調で告げてきた。
「それでな、公子殿を茶会に招待した」
「えっ?」
「お前がホストとなって、公子殿を茶会にお招きするんだ」
「わたしが?」
「ああ」
びっくりして息を飲むシャルロッテに、王は目線を送り頷いて見せる。
「む、無理よ」
彼女は手を固く握り締めて、声を絞り出した。
「お父様、わたしには無理です。そんな、そんな茶会を開くなど……」
何しろ最近まで、忘れられた存在のようにひっそりと暮らしてきた自分である。当然茶会を開いて誰かを招くと言った、華やいだことなど一度もしたことはない。
それなのに、いきなりそんな大役が出来るとはとても思えない。きっと惨めに失敗してしまうだろう。
「大丈夫だ。侍女達もいる。彼女達に任せておけば安心だ。それになーー」
優しい声で、不安を訴える娘に国王は囁いた。
「それに?」
「ああ、公子殿と二人きりではないぞ。わたしも付き添うから大丈夫だ。なっ? これでお前の心配も一気に消えただろう?」
「ええっ? お父様が?」
絶句するシャルロッテの前で、王は自信満々に頷く。
その様子を見た彼女の頬が、ピクリと動いてそのまま固まってしまった。どう見ても、安堵してるとは言いがたい表情だ。
「シャーリー?」
娘の微妙な反応に気づいたギンダーが、声をかけようとした時侍女が近づいて来た。
「失礼します。グレファム様がお見えになっています」
「グレファムが?」
侍女に導かれ部屋へと入ってきた大臣は、直ぐ様ギンダーに近寄りこそこそと何やら小声で囁き始めた。
そこには普段の飄々とした風貌はなく、随分余裕のない雰囲気を漂わせている。
シャルロッテは、部屋を出て行く前とあまりに変わった大臣の様子に、不思議に思いながらカップに口をつけた。
「何だって? それは本当か……」
大臣から話を聞いたギンダーが、目を見開くと彼女に視線を寄越してきた。
何だろう?
意味が分からず当惑する彼女を余所に、二人は難しい顔でこちらを見つめてくる。
「お前な、俺はもう話してしまったんだぞ……」
王が責めるように大臣に詰め寄った。
「大変申し訳ございません」
珍しくふざけた態度も取らず、グレファムが王へと頭を下げている。
益々分からない。だが、どうやらシャルロッテに関係あることのようだった。
「いや、お前のせいではなかったな。すまない、つい当たってしまった」
ギンダーはグレファムに呻くようそう告げると、覚悟を決めたようにシャルロッテへと向き直った。
「シャーリー……」
「なあに、お父様?」
父のただごとならぬ様子に、知らず知らず彼女も緊張してくる。
「さっきの茶会の話な……、あれはなくなった」
「えっ?」
「ミハエル公子から断る旨の返事が届いたそうだ。そういう訳だから、いらぬ心配はなくなった。悪かったな、不安にさせて」
何?
何のことだろう?
父は何を言ってるのだろう。
頭の中に何も言葉として入ってこない。不思議に思い耳をすませてみるが、聞こえてくるのはノイズのような意味のなさない雑音ばかり。何故なんだろう、父はさっきから何かを訴えているみたいなのに。
シャルロッテはぼんやりと、悲しげな表情で必死に何かを口にする父親の顔を、じっと見つめていた。
***
「お前な、本当にタイミングが悪過ぎるだぞ」
「申し訳ございません。これでも急いで参ったのですが……」
執務室へと戻る道すがら、ギンダーは腹に据えかねる思いを吐き出した。
茶会のことを打ち明けた途端、その話がなくなったと伝えねばならなくなった。
それは仕方ないにしても、せめてもう少し早く知らせが入っていたなら、話自体しなかったものを遅いではないか。きちんと返事を貰ってなかったにも関わらず、娘にベラベラと打ち明けてしまった己の甘さにも悔やまれる。
だがまさか、断ってくるとは思わなかったのだ。
男が何も考えず、シャルロッテに近寄ってきたとは思えない。候補の一人として夜会に来たのなら、当然ただの親切だけではないだろう。
なのに、こちらからの誘いを断るとは。いったい何を考えているのか、ミハエル公子とか言う男は。
「それで理由は? 何だって言うんだ」
王は目が合った相手を殺しかねない勢いで、周囲に険しい視線を飛ばしながら横を歩く大臣に尋ねた。
「腹痛だそうです。朝から調子が悪かったそうですが、先ほどから歩くのも困難になったとか」
「何?」
「グルセンの食事が合わなかったんでしょうかな? お気の毒に」
そう言いながらも、グレファムの表情は全く気の毒がっていない。王はカッとしたように叫んだ。
「何が腹痛だ! 俺と会った時はケロッとしてたぞ? あれからそう時間は経ってないだろう。見え透いた嘘をつきおって」
「嘘かどうかは分かりませんぞ、陛下。そんな都合の良い病もありますゆえ、仮病とか……」
「だからそれを、嘘と言うんだろ」
ギンダーは苦い顔をして老大臣を見下ろした。まともに話しているのが馬鹿らしくなる。
「それでもう一つの方はどうだったんだ? そろそろ調べがつく頃だろう?」
王の投げやりな問いかけに大臣は深く頷いた。
「はい。こちらも先ほど、返事が戻っておりまする。それによりますと、ミハエルと言う名の公子は、確かにサフランにいらっしゃるようですな」
「な……に?」
「第八公子ミハエル様は、サフラン公と公妃リザベート様との間にお産まれになった五番目の男子のお子様で、現在は国許にはおられないようです。これはまあ、我が国にお出でだから……ということでしょうか」
グレファムは鼻で笑って続ける。
「年齢は十八、決まった相手はいないようです。公妃譲りの金髪が特徴の青年で、継承権はあるものの五番目ということですので、次のサフラン公を継がれることはまずないでしょう」
「第八公子……」
「さよう。サフラン公アルバーン様は、大層女好きで有名ですからな。側妃の産んだ公子や公女も沢山おられるようです。他にも正式に認められてないお子様も、ゴロゴロいるとかいないとか、下世話な噂もあるくらいですし」
ギンダーはしかめっ面になり口を閉じた。しかし大臣の説明は、終わりそうもない。
「そこへいくとミハエル様は、公妃様のまごうことなきお子様のようですし。家柄、血筋、人物……の方はまだよく分かりませんが、まさに陛下が大事と考えていた条件に、合う殿方と言えるやもしれません」
「本物だったとはな……」
王はポツリと呟いた。
「あなた様は、もしや公子というのも嘘だと、そう思ってらしたのですか?」
グレファムが呆れたように問いかける。王は鬱陶しそうに唇を曲げて答えた。
「ああ、およそ品というものを感じなかったんでな。ヘラヘラと俺に対して媚びへつらうばかりで、何の気概も感じなかった。正直分からなかったよ。何故あの娘が引かれたのか」
「父親とはそういうものですよ。自分が見つけてきた男はよくても、娘が気に入った男はどんな人間でも気に入らない」
「違う! 俺が言ってるのは、そんな馬鹿馬鹿しい話ではなくてなーー」
慌てて大臣の意見に反論をしてみせた王に、老人はニヤリと人の悪い笑みを向けた。
「まあ、よかったではないですか。相手が戦線離脱してくれたんです。これで姫も目が覚めたことでしょう」
「う、うむ……」
本当だろうか。
本当に公子は、身を引いたのだろうか。
大臣の言う通り、これは王にとって喜ばしいことの筈だ。
だがーー、
何故か割りきれない思いが込み上げてくる。
いや、多分考えすぎなのだろう。
小者にしか見えなかった公子。王から見たミハエルは、少しも見所のある男ではなかった。あの男にたいしたことなど出来るわけがない。
つまりは公子も他の花婿候補達と同じように、いざシャルロッテからアプローチをされてみると、やはり姫が気に入らず邪険にしてしまった。そういうことなのだろう。きっとそれだけのことだ。
王はため息を吐いて、部屋に残してきたシャルロッテを思い出す。
ほんの数分の間に目まぐるしく変わった事の次第を、茫然と聞いていたシャルロッテ。
何を言っても反応が薄く、頭に入ってるようには見えなかった。
人形のようにぼんやりと座っている娘に、王が仕方なく退室を告げた時、シャルロッテは突然感情が溢れ出したかのごとく、堰を切ったように泣き出した。
すぐに侍女達がやって来て、泣きじゃくるシャルロッテを寝室へと連れて行く。王は大臣とも相談し、候補達との会食の中止を侍女長へ伝えた。
そのあと部屋から出る王の耳元まで、寝室からの微かな泣き声は届いていた。
無理もあるまい。
恋をしたと思ったら失恋したのだ。
初めてだっただけに傷つきやすかったのだろう。時間が解決してくれるであろうが、今、他へ目を向けることが出来るのかどうか。
難しいだろうなーー。
王は頭を掻きむしりながら、大きなため息をもう一つついた。
***
気がつくと、周りには誰もいなかった。
重たい頭を上げて、シャルロッテは部屋の様子を窺う。いったいどのくらい、伏せっていたのだろうか。ベッドの中から這いずるように出て息をついた。
カーテンの閉めきった部屋の中は、昼間だというのにどんよりとして薄暗い。まるで自分の心のようだと、口元に皮肉めいた笑みが浮かぶ。
人がいないのも当然だった。
ここは寝室であり、彼女は病人というわけでもない。それに部屋へ入る時、人払いをしておいた。だからいるわけないのである。
側に誰かがいる状況は、今は辛い。例えそれが大好きな父親でも、今は一緒にいて欲しくないのだ。
シャルロッテは、涙と鼻水で、腫れぼったく感じる顔にそっと触れてみる。肌に貼り付いた水分の残骸で汚れている今は、きっとあの夜会の夜より、醜い顔をしているのだろう。
こんなに落ち込んだのはいつ以来だろうか。
一番古い記憶はあの時だ。
忘れもしない。まだ何も知らなかった、幸せな夢の中にいた幼い少女だったあの頃。
あんたに、そんな資格はないーー
きつい目をした女が、嘲笑いながら叫んでいる映像が浮かぶ。
シャルロッテは唇を噛み締めた。
あれから何年経つというのだろう。なのにいまだに記憶は薄れていかない。
おめでたい子。何も知らないで、ぬくぬくと生きていて。
教えてあげる。あんたはねーー
女の指が、シャルロッテの顔を掴もうと伸びてきた。
ーーやめて!
思わずベッドの中に、逃げ込むように体を埋めた彼女の耳に、『コンッ』とガラスを弾く音が聞こえてくる。
な、何?
直前に頭の中を支配していた怖い女の残像が邪魔をして、その音を確かめる勇気が湧いてこない。彼女はベッドの中で、震えながら息を潜めていた。
コンッーー
だがそのあとも、コンッという奇妙な音は、まるで彼女を誘うように何度も何度も鳴ってくる。
コンッーー
何度目かの物音に、シャルロッテは決意したようにベッドから出た。
音が鳴る窓の側に裸足で近寄る。
コンッーー
カーテンを開けて窓の外を見た。
ガラス窓の向こう、宮殿の壁に沿えるように植えられた大樹の枝に、誰かが腰掛けこちらに視線を向けていた。
風になびくブロンドの髪と、微かに細められたブラウンの瞳。
涼しげな目元をした整った顔立ちの青年が、物憂げな表情で手の中の小石を遊ばせている。
彼は彼女に気がつくと、ふわりと笑った。
「ミ、ミハエル様」
シャルロッテは驚いて、思わず大声を上げた。
ガラス窓へ小石を投げつけシャルロッテを窓際まで呼び出したのは、彼女との茶会を断った筈の夜会で出会った王子様、サフラン公国のミハエルだった。




