第三話 王と大臣
「サフラン公国の、ミハエル公子だと?」
深いブルーの瞳でシャルロッテを食い入るように見つめながら、グルセン国王ギンダー三世は重々しく口を開いた。
枯れ葉色したくすんだブラウンの髪の毛だけが、彼とシャルロッテの親子関係を唯一主張しているところだ。
ギンダーは四十半ばにはなっていたが、いまだ若々しい印象を与える逞しい体つきの男で、遅くに出来た一人娘のシャルロッテを大層可愛がっていた。
「はい……、お父様」
体をガチガチに固まらせて、彼女は父へ返事を返す。堪えようと我慢をしても、立っているのが精一杯なほどに緊張は頂点に達しており、いつしか酷い目眩すら感じるようになっていた。
愛娘の酷く落ち着かない様子に、国王の眉間の皺がだんだんと深くなっていく。
「どういうことだね、それは。シャーリー詳しく話してごらん」
ギンダーは自分の側へと来るよう彼女に手招きをして、近づいたシャルロッテの目を覗き込むと、表情を和らげて優しく問いかけてきた。
ここは国王の執務室である。
明るい陽光が背の高い窓からふんだん入り込み、王宮内でも特に日当たりのよい場所にある部屋だ。隣には会議などに使われる大きな円卓の置かれた広い部屋もあるが、こちらは国王と彼を補佐する大臣が数名入るのみのこじんまりとした空間だった。
だが今現在は、国王ギンダー三世と筆頭大臣を努めるグレファム、そしてシャルロッテの三人だけしかいない。
三人は昨夜開かれた夜会を受けての今後の方針と、また夜会中に逃亡したシャルロッテへの事情聴取も兼ねて、朝食もそこそこに話し合いの時間を持っていた。
そして、つい先ほどのこと。
大臣が夜会後に決まった花婿候補について説明をしている最中、思い余ったシャルロッテが爆弾発言を噛ましてしまったのだ。
そう、昨夜のミハエルとのひとときを、目の前の二人にとうとう白状したのである。
「つまり、お前はその方と、広間からいなかった時間を共にしていたと、そう申すのか?」
「は、はい。でも偶然です。公子様とは偶然庭でお会いして、ほんの少し王宮をご案内しただけで……」
「そうか」
シャルロッテはビクビクと震えながら、王の様子をこっそりと窺っていた。ギンダーはその目に深い苦悩の色を浮かべ、難しい顔で何やら思案している。
父はきっと怒っているに違いない。自分のためにと開かれた夜会を勝手に抜け出して、なおかつ彼が思う相手とは違う男と一緒にいた娘を。
そんなふうにギンダーの心の内を想像すると、シャルロッテの心臓はチクチクと痛んでせつなくなった。
その時突然ハッとしたように王が顔を上げ、慌てたようにシャルロッテの瞳を覗き込んできた。
「シャルロッテ、その男は、いや、ミハエル殿はお前に何か……しなかったか?」
父のあまりの剣幕に、一瞬怯んだ彼女が彼に真意を問い直す。
「……何かって?」
「う、うむ。それはな……」
王は言いにくそうに口籠りながら続けた。
「例えば……、お前に無体なことをしたのではないか? 何か酷い仕打ちとか」
カッとなって彼女は大きな声を出した。
「されてません!」
知らず知らず涙が溢れてきていた。
「あの方は優しくして下さいました。泣いてるわたしを慰めてくれて、涙を拭いてくれました。酷い仕打ちなど、何も……」
理由の分からない涙が止まらなくなる。悔しくて悲しくて、何故そんな気持ちになるのだろう。
酷い仕打ちをしたのは他の花婿候補達で彼ではない。彼らは、彼女の心を冷たい視線と態度で切り裂いていった。むしろミハエルは救ってくれたのだ。あんなに優しくしてくれた男性は初めてだった。
「悪かった、シャーリー。言い過ぎた」
王が声を落として、彼女の背中に静かに手を添えた。
「わたしの勘違いだった。許してくれるか?」
真摯に許しをこう父の声が、嗚咽を我慢する彼女にも届く。父をあまり困らせてはいけないだろう。
はい、と鼻声で答え何度も大きく頷くシャルロッテを見て、ギンダーもホッと息を吐いたようだ。
彼は彼女の柔らかな額に優しくキスを送り、
「それでどうして、その時泣いていたんだ?」
と、諭すように穏やかな声をかけていた。
***
「お前は知っていたのか?」
グルセン国王ギンダー三世は、側に控える筆頭大臣グレファムに向かって険しい顔で詰問した。今の今まで娘に見せていた甘い表情など、その上目遣いで睨む眼差しのどこにもない。
「何をでございましょう」
見事な白髪の老人が、落ち着きはらった声で返答する。王の恐い顔など、何とも思ってないような余裕たっぷりの態度であった。
「決まってる! 招待客らのシャルロッテへの振る舞いだ」
わざとらしいほどの落ち着きを見せる相手へ、微かに苛立ちを覗かせてギンダーは吠えるように言い捨てた。
大臣と二人きりの執務室では、優しい父親の顔など必要ない。
シャルロッテには「何とかする」と安請け合いをしたのち先ほど退室させており、王は今後のことを考え頭を悩ませていた。
怒り心頭の王を宥めるように、グレファムは低い声を出す。
「……少しなら。噂好きの侍女達より小耳に挟んでおりまする。姫は大層傷つかれたことでしょう」
「お前、何故それを俺に言わない? 俺は何も知らないであの娘の夫を選別してたんだぞ」
「目に余る方にはご退場頂いております。今、あなた様が候補にと選ばれている方は、それほどでもなかった方ばかりです」
ギンダーは呆れたようにグレファムを見てため息をついた。狸め、と忌々しげに独りごちたあと、頭を掻きむしって唸り声を上げる。
「だが何故なんだ? 言っては何だが、グルセンは大国だぞ。その国を言わば手中に治めることが出来るのに、なぜ将来の妻となる女にいい顔をしない……」
ぶつぶつとぼやきながら、王は突如顔色を変えた。
それから、「まさか……」と言い淀み青い顔でグレファムを見上げる。
「あのことが広まっているのか? まさか……」
白髪の老人は酷い顔色の王を鼻で笑って一笑にふすと、元の無表情に戻り言い切った。
「その心配はないでしょう。そのような噂が流れていれば、この度の夜会を、あのように盛況に開ける筈もなかったでしょうから」
「それもそうだな……」
冷静に状況を判断するグレファムに対して、ギンダーは苦い顔で呻吟するのみだった。
「それより陛下、いかが致しますか」
「サフランの公子のことか?」
白髪の小柄な老人がしたり顔で頷く。国王は舌打ちしたくなる気持ちを辛うじて堪え、尋ねた。
「サフラン公国への招待状はどうした?」
「確かにお送りしています。ですが第三公子のカレイユ様宛てでした」
大臣グレファムは、自分の机から招待客の一覧表を引っ張り出してくると、それを確認しながら応えた。
「ミハエル公子とは?」
王の質問に、眉毛の下に埋もれそうな小さな目をパチパチと瞬かせ、グレファムは首を横に振る。
「分かりませんな」
「何だ、お前でも分からんのか?」
王は驚嘆したような大きな声を上げた。
グレファムの頭の中には、近隣の君主及びその子弟の情報が、余すことなく完璧に入っている。彼は膨大な情報を整理し管理するだけでなく、瞬時に引き出す能力もあった。まさに生き字引、王にとってはなくてはならない片腕だ。それだけに頭が上がらない。単に赤子の頃から色々と、弱味を握られているということもあるにはあるが。
「ミハエル公子様の御名は存じませんでした。現在のサフラン公アルバーン様は、大層な子沢山で知られておりますからな。わたくしも公子様方全員の御名を、把握してはおりません。公女様も加えられますと、お子様方は、ざっと二十人にはなるかと聞き及んでおります」
「と言うことは、どういうことだ? 案内を出した相手とは別の者がやって来たということか……」
王は口元に手を当てて考え込む。
「ええ、おそらく。ーーが、あるいは……」
ポツリと不穏な言葉を発した大臣に、ギンダーは剣呑な視線を送った。
「お前な、何故、招待客をきちんと確認させなかった? 大事があってからでは遅いぞ」
「申し訳ございません。わたくし共の手落ちでございました」
素直に頭を下げた老人に、彼より随分若い王は何も言えなくなり、プイッと横を向いて不満を表した。どう足掻いても老大臣に勝てないことを、自分自身でも気にしているらしい。
「ーーしかし、現状その男だけが、シャルロッテの心を掴む対応をしているという訳か……」
「そういうことになりますね」
「よりにもよって得体の知れない男だけとは……。だが他の奴らは更に問題だ。婚約前からそんな態度を取る男など言語道断だろ。妻を幸せに出来るとは思えん」
生暖かい視線を寄越す老人に気がつき、王は顔をしかめ一気に捲し立てる。
「いずれにしても、俺がその男に会わねばなるまい。何やらきな臭さも感じることだしな。それで、公子はまだ残っていると思うか?」
昨夜の夜会のあと、ほとんどの招待客は王宮を後にしていた。中にはグレファムによって、強制的に帰宅を促された客人達もいた。残っているのは王と大臣が最終的に選んだ数名と、自分の意志で滞在を決めた一部の者たちのみである。
その中に、サフランの公子がいるかは不明だった。
「先ほど調べにいかせましたが」
老大臣がのんびりと答えを返していると、執務室の扉を叩く者がいる。
グレファムは扉の方へ優雅に近づき外にいる者と二言三言会話をすませたあと、ゆっくりとした足取りで王の元へと戻って来た。
「滞在中でいらっしゃるようです」
「ーーそうか」
苛立ちを顔にのせた王が、苦い顔で一瞥して命令を下す。
「よし、すぐにその男に会おう。あちらへの知らせを頼む」
「かしこまりました」
白髪の老人は微笑みを浮かべたまま小さな目を閉じて、国王へ向かって恭しく頭を下げた。




