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第二話 秘密

3/24早朝、シャルロッテの台詞の言い回しを少し変えました。

お見苦しくてすみません。

 

「ミハエル……公子様?」

 

「う……ん」

 

 瞬きもせず青年を見つめるシャルロッテを、彼は困ったような苦笑いで見返していた。

「そんなに大きな目で見つめられたら、目のやり場に困ってしまうんだけど。僕の顔、変かな?」

「と、とんでもない!」

 変だなんて。

 絵本の中から飛び出てきたみたいに、綺麗な男の人なのに。

 その綺麗な顔を、自分は遠慮もなくじろじろと見つめていたらしい。涙と化粧でぐちゃぐちゃになった、信じられないほど汚い顔を晒している自分がーー。

 シャルロッテは恥ずかしさと惨めさでいたたまれなくなる。

 釣り合いが取れるような美しい顔をしているならまだしも、みっともない自分自身が滑稽で消えてしまいたくなっていた。

 

「ご、ごめんなさい」

 

 顔色を変えてその場にしゃがみ込んだシャルロッテに、ミハエルは驚いて同じように膝をつく。彼女と目線を合わせるように背中を屈めて、「僕の方こそごめん」と彼は目を伏せた。

 黙って俯くミハエルの顔がとても近い。閉じた瞼を縁取る長い睫毛を、隠すように前髪がさらりと影を落としていく。

 シャルロッテはぼんやりとその様子を眺めていた。

 本当になんて綺麗な人なんだろう。

 こんな時なのにまじまじと彼の横顔を盗み見て、シャルロッテは顔を赤くした。

 気がつくとミハエルが目を開けてこちらを見ている。急いで横を向いたシャルロッテを、からかうようにクスクスと笑って彼は呟いた。

 

「ーー可愛いね」

 

「可愛いですって?」

 カッとなって彼女は彼に顔を向ける。それから、「うん」と頷いて微笑むミハエルを目を見開いて睨み付けた。

「本気で言ってるの? 馬鹿になんかしないで」

 目の前の美しい青年と違って、地味で魅力のない顔だと充分すぎるくらい自覚していた。王や王妃以外の今まで会った誰だって、彼女を可愛いと評した人間などいなかったのだ。今夜のパーティーでも、どの花婿候補もドレスを褒めこそすれ、彼女自身については触れもしない。それは何故なのか。言うべき長所がないからだ。

 むしろその方が、ある意味誠実と言えよう。正直なのだから。

 それなのにその彼女に向かって可愛いなどと言うなんて、この男は残酷なことを平気で口にする。優しい人だと思ったのに、返って彼女を傷つけている。

 

「本気で言ってるけど……、君はーー」

 ミハエルは少しも悪びれず彼女の顔を覗き込んだ。堂々とした態度にシャルロッテは一層眉間に皺を寄せていく。

「君は、白いスフレのような柔らかそうな頬を丸めて、チョコレートボンボンをあしらったみたいな二つの目で僕を睨んでる。それから添えられた莓みたいな唇をプクッと膨らませて拗ねてるんだ。ほら、今みたいに」

 彼は我慢出来ないと言うように目を細めて噴き出した。

 

「これが可愛くなかったら何だって言うんだろう。君、教えてくれないか?」

 

 そう言って笑うミハエルは、穏やかな優しい目をしていた。本心からの言葉だと彼女にも伝わるぐらいに。

 シャルロッテは何も言えなくなる。だってこんなに温かな視線で、彼女を見つめる王以外の男性などいなかったから。他人からの好意に慣れていない彼女には、対処のしようがなかった。ましてや相手は冷たい筈の異性である。

 ミハエルは、赤面して震えるシャルロッテの顔を更に近づいて覗き込んだ。

 

「だけど涙のあとはいただけないな。痛々しくてこっちが辛くなる」

 

 そして手に持つハンカチで優しく目の縁を拭った。彼女の心を慰めるような、穏やかで安心できる柔らかい感触に、シャルロッテは自然に目を閉じていく。

 しばらくすると彼の手が止まっていることに気づいた。

 不思議に思ったシャルロッテが恐る恐る目を開けると、ミハエルはぼんやりとした面持ちでこちらをじっと見つめていた。

 急にどうしたのだろうか。

 

「あ、あの……公子様?」

 

 シャルロッテの呼び掛けに彼はハッとしたように焦点を戻して、急いでハンカチを懐に戻す。それから慌てたように立ち上がり、笑顔になって彼女に手を差し出した。

「ご、ごめん、悪かった。ほ、ほら、綺麗になったよ」

「ありがとう……」

 彼が出した手のひらに、当たり前のように彼女は自分の手を載せていた。ミハエルがその手を引っ張り上げ、羽根でも生えたかのように体が軽く浮き上がる。

 並んで立つと、身長の高い彼とは少し距離が出来ていた。何故だろう、それが無性に寂しい。

 

 とても不思議な感じがした。普段のシャルロッテでは考えられない。

 初めて会った人なのに、名前ぐらいしか知らない人なのに、とても寛いだ気分で接しているのだ。

 だが同時に、答えが分かる気もした。

 それは多分、この青年の本質を信じているからだ。彼は悪い人ではない。

出会って数分しか経ってないけど、信用出来る男の人だと彼女には分かった。

 だから、勇気を出してシャルロッテは打ち明けた。

 

「……ご、ごめんなさい。わたし戻りたくないの、あの場所に。だから、公子様をご案内することは出来ません」

 

「あの場所って?」

「……夜会をしている大広間よ」

 顔を強張らせるシャルロッテを、ミハエルは黙って見つめている。彼の視線を避けるように、彼女は硬い表情で闇夜に揺らぐ王宮を仰ぎ見た。

 ここでこんなに安らぐ時間を過ごしてしまったら、尚更あの場所が針のむしろに思えてきた。冷ややかな花婿候補達の輪の中で、耐える自信はもうない。

「わたしはもうしばらくここに残ります。宮殿に戻れば誰かいると思うので、その者にーー」

 

「どうして、と聞くのは無粋なんだろうね」

 青年が彼女の手を、握り締めるように優しく包み込んで囁く。

 それで思い出した。

 彼の手の上に、自分の手を重ね合わせたままだったことを。シャルロッテは焦って外そうと身じろぐが、ミハエルは気づかないのか力を緩めてくれない。

 どうしよう。何故すぐに手離さなかったのだろう。

 

「ねえ、シャルロッテ姫。遠回りをするというのはどうだろう? 広間ではなく、他の場所を少し案内してもらって、それから、会場が分かる場所まで連れて行ってくれたらいい。どうかな、それも駄目?」

 

 ミハエルのブラウンの瞳が、シャルロッテを映して揺らぐ水面の月明かりのように揺れ動いた。

 もっと遊んで、とつぶらな目でねだる小さな犬みたいにせつなげだった。

 

「そ、それは……」

 

 そんな顔をされたら嫌とは言えないではないか。

 彼の悲しげな顔つきは、まさしく凶器のような力を持って彼女の胸を締め付けてくる。

 シャルロッテが絶句して口を閉ざすと、彼はにっこりと満面の笑みへと表情を変えた。そして、握り締めたままだった彼女の手を強引に自分の方へと引き寄せ、勝手にどんどんと歩き始めた。

 

「決まり! さっ、どこから行く?」

 

「えっ? あ、あの……公子様?」

 

 すっかり青年のペースに引き込まれてシャルロッテには、何が何だか分からない。あれよあれよと言う間に、いつの間にか彼のお願いを承諾したことにされてしまっていた。

 

「ミハエルでいいよ。シャルロッテ姫」

 

 振り返って青年が笑う。整った顔に不似合いの、子供っぽい愛嬌のある笑顔。

 だから彼女もいつしか微笑んでいた。

 やんちゃな少年の姉とはこんな感じなのかもしれない。一人っ子だった彼女にはよく分からないけど。でもーー。

 照れ臭いような、こそばゆいようなこの妙な気持ちは喜びから生まれてきてるのだ。

 ミハエルと今暫く過ごせるのが嬉しいから。だから心が弾むのだ。

 

 好き……なのかな?

 

 シャルロッテの心に甘い気持ちが芽生えていた。 

 

 

  ***

 

 

 

「その先を真っ直ぐ行けば大広間よ」

 

 シャルロッテは弾む息を整えながら説明をする。

 ミハエルとした探検は新たな発見ばかりだった。その高ぶった興奮がなかなか消えてくれない。

 

 彼女が指差す先には長い通路の突き当たりがあり、その角を曲がれば夜会会場である大広間だった。

 音楽と人々の談笑する楽しげな気配が、二人の元まで漂ってくる。主役がいなくても何ら滞ることもなく、夜会はそれなりに進んでいるらしい。

 

 当たり前かもしれない。元々花婿候補の目的はシャルロッテなどではなく、グルセン王国にあるのだから。ギンダー国王に顔を売ることが出来ればそれで良い訳で、花嫁のシャルロッテは言わば付け足しみたいなものだ。

 王の方でも、既に彼女を捜すことを諦めているかもしれない。はっきり言ってしまえば、相手など彼がいいと思えばそれでいいのだ。彼女の意見はそれほど重要ではない。王の言葉に背くことなど、ある訳がないのだから。

 だが、ここは暗がりのある外と違って明かりのある室内だった。しかも広間は目と鼻の先である。あまりのんびりしていたら、見つかって連れ戻されてしまうかもしれない。

 

 シャルロッテは言葉を切って、躊躇ったようにミハエルを見上げた。

 青年は静かな微笑を湛え彼女を見返している。

 彼の笑顔を見ていると泣きそうになってくる。

 

 これで、この青年とはお別れなってしまうだろう。

 

 そして、もう二度と会うこともない筈だ。

 

 何故なら王は、彼を花婿候補として重要視してないからだ。その証拠にシャルロッテは、彼を王から紹介されていなかった。王の中では特定の人物が既に何人か浮かんでいて、その中に彼はいない。

 

 王の望む男が彼女の夫となる。それは変えられない運命。相手など誰でもいい、王が喜んでくれるなら。そう思っていた。

 でもーー。

 

 キリリッと小さく胸が痛みを訴える。

 

 嫌だった。せっかく友達になれたかもしれないのに、そんな相手はこの先二度と現れないかもしれないのに。

 心を通わす相手と結婚したいと思うのは駄目なのだろうか。彼女には許されない、過ぎた幸せなのだろうか。

 

「シャルロッテ姫、君はこれからどうするの?」

 

 無言で俯くシャルロッテに、ミハエルは優しく問いかける。

 

 これから?

 どうしよう。

 

「分からない、多分部屋へと戻って……」

 そして見つかり、あの夜会の場へと引き戻されるのだろう。

 結局逃げても同じなのだ。たどり着く結末に変わりはない。

「僕は君に……」

 ミハエルが小声になって何かを訴えかけていた。

 呆然として彼を見上げるシャルロッテを通り越して、彼は何かに気づいたように表情を変え口を閉じる。それから急いで付け加えた。

「ーー僕は君にまた会いたいな」

「えっ?」

 

 どういう意味?

 

 だが、真意を確かめることは叶わなかった。何故なら彼女に気づいたらしい侍女達の大声が、すぐ側まで迫っていたから。

 

「い、いらしたわ! シャルロッテ様よ!」

 

「何ですって、シャルロッテ様が見つかった?」

「シャルロッテ様! お捜ししたのですよ。さ、早くこちらへ」

「誰か、国王陛下にお知らせを!」

 

「ま、待って、わたし……」

 

 わらわらと湧いて自分を取り囲む侍女達を払い除けるよう動いて、シャルロッテは必死で、つい今しがたまで行動を共にしていた青年を探した。

 だが、呆れたように彼女を見つめる侍女達の他には、急に降って沸いた騒動を見物がてら覗き見にくる招待客ぐらいで、肝心の青年の姿はどこにも見当たらなかった。

 

「まあ、何てことでしょう。ドレスやお髪が乱れてしまって」

「姫様、早速ですが控え室でお直し致しましょう」

 

 侍女達に無理やり拘束され連れて行かれる中、シャルロッテは青年が消えたとおぼしき辺りをもう一度振り返る。

 

 彼が最後に残した、

 君にまた会いたいーー

という言葉を噛み締めながら。

 

 

 

 

「行ったな」

 

 背後からかけてきた声に、ミハエルは振り向きもせず硬い表情のまま応えた。

「ああ」

「なかなか様になってたじゃないか、王子様が。姫はお前を見てトロンとした目をしていたぞ」

 背後の声はヒヒヒと品のない笑い声を上げて、ミハエルを揶揄してからかった。だがそんな態度にも慣れているので、怒りの感情が湧くことはない。彼は平然と返す。

「そうだった? それはよかった」

 

 ミハエルの横に男が並んでくる。彼に似たブロンドの髪の毛が目立つ男だ。だが、目立つのはそれぐらいで、あとは特に特筆すべきところはない。

 二人が立っているのは、先ほどまでシャルロッテが侍女達に囲まれていた通路の、近くにある空き部屋の一つだった。

 ミハエルは侍女達が現れた時、咄嗟に直前まで視界に入れていたその部屋に逃げ込んでしまった。この男が潜んでいたことには気づいていたが、無意識に反応してしまっていた。いや、後悔しても仕方ない。どうせこの男は、首尾を聞くまで彼を放しはしないのだから。

 

「全く顔がいい奴は得だよな。だからお前を連れて来たんだけど」

 

 男はミハエルの全身を上から下まで舐めるように検分して、ほくそ笑む。そのねっとりとした下卑た視線に、青年は辟易したように顔を背けた。

「で、どうだったんだ。あの姫様は?」

「どうって別に……。普通のーー」

「噂じゃ、とんでもなく愚図で間抜けなお姫様らしいじゃないか。僕の方まで姫の話題が聞こえてきたぜ」

 ミハエルの言葉を断ち切り男は話し始めた。最初から彼の意見など、この男は求めていなかった。相も変わらず自分勝手な男に、気づかれぬようミハエルはため息を漏らす。

「せめて見た目がよければ引く手あまただったろうにな。あんな出来損ないが跡継ぎでは、さぞかし国王も頭が痛いだろう。あれでは、結婚相手もままならないだろうからな」

 シャルロッテの境遇を面白がって男は醜く顔を歪めた。そのまま何がおかしいのか、腹を抱えて大げさに笑い出した。

 男のヒャヒャヒャと言う耳障りな声はなかなかおさまらない。他人を馬鹿にすることに慣れきってる人間特有の声だった。

 

「あんたはその姫が欲しいんだろう? 違うのか」

 ミハエルが苛立つように問いただすと、男はピタリと静かになった。それから唇の端をいやらしく上に曲げて彼の顔を覗き込む。 

「なんだお前、あのお姫様に惚れたのか?」

 ミハエルは男を見据えて即座に切り返した。

「惚れるわけないだろう? あんな世間知らずな、箱入り娘」 

「そうだよな、あんなチンクシャ」

 男も頷いて彼の言葉に同意した。

 それから笑みを消して、きつい視線をミハエルに投げかける。

「余計なことは言うなよ! お前は僕の言う通りにすればいいんだ。失敗は許されない。分かってるな?」

 

 ミハエルは冷淡な視線を向けてくる男に、正面から見返して宣言した。

「ああ、分かってる。シャルロッテ姫の心だろ。簡単だよ」

 その顔には暗い笑みが浮かんでいた。




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