第一話 出会い
「シャルロッテ姫、是非わたしとダンスを」
「いえ、いえ。次こそわたしとお願いします」
四方八方から伸びてくる、ダンスを申し込む無数の手を前に、シャルロッテは途方に暮れて視線をさ迷わせた。
「あの、わたくし……」
まるで彼女を脅迫するかのように、怖い眼差しで見下ろしてくる目前の男達に弱々しい声を上げる。
今は王宮で開かれている夜会の真っ最中。逃げ出すことなど出来やしない。
しかもこれは、言わばシャルロッテのために開かれているパーティーなのだ。男達と踊るのはむしろ義務であろう。
だけどーー
シャルロッテは恐々と、自分を取り巻く人だかりを見上げた。
彼らは一様に、冷淡とも言える真剣な顔つきの中に、こちらを値踏みするかのような老獪な一面を覗かせている。そこには彼女への好意などと言った、良い印象は微塵も感じられない。彼女にダンスを申し込んでいる筈なのに、少しも感じることが出来ないのだ。
それでもシャルロッテは、既に両手では足りないほどの男性と、踊りの輪の中へ何度も足を踏み入れていた。
姫君としての責務を果たそうと、慣れないながらも懸命に努力をして、普段の何倍もの時間、気合いと労力を割いて挑んできたのだった。
そのため、高いヒールの靴を履いた足は今や使い物にならないほどガクガクで、コルセットで固めた腰は呼吸をするのも辛く限界が近い。
流行りか何か知らないが、宝石やらレースやらでゴテゴテに飾られて結われた頭はずしりと重く、首や肩に多大な負担を強いており、背中にまで達する疲労感で全身が悲鳴を上げているのが分かる。
このように、肉体的にも考えられないほどの困難を極めていたのだが、更に大きな精神的問題を彼女は抱えていた。
それはダンスの相手に話しかけられた際は、微笑みを浮かべ優雅に受け答えをしなければならないという、宮廷での作法である。
社交の場に出る淑女なら誰でも身につけていて当然のそれを、彼女は最も苦手としていた。なにしろ極端な人見知りと口下手のお陰で、シャルロッテは酷い対人恐怖症を発症していたのだ。
みっともなくどもり、舌を噛みながらようよう返事をする彼女を、相手の男達は珍しい生き物でも見るように不躾な視線で見返してきた。それは十五歳になったばかりの少女にとって、心挫く異性からの反応だった。
今夜王宮に招かれているのは、近隣の諸国などから集められた王候貴族や名家の子弟等、そうそうたる面々ばかりである。その中には年頃の娘はいない。女性と言えば既婚者しか見当たらず、綺麗に着飾ったレディはシャルロッテしかいなかった。
それは何故なのか。
全てはシャルロッテのためだから、と言っておこう。
この大陸でも大国であるグルセン王国の姫君、シャルロッテの花婿を決めるために開かれた夜会だったからである。
それが分かっていたから。自分のためだと充分すぎるくらい分かっていたから、対人恐怖症をおして彼女も出席した。でも、もう耐えられない。
例え、彼女の父ーーつまりこの国の王ギンダー三世の命令だとしても、もうひとときだって留まる気力は残っていなかった。
「申し訳ございません。わたくし……」
シャルロッテは喉が干からびるほどの渇きを感じながら、必死で声を振り絞った。
男達の目が一斉に注がれる。
「わた、わた、わたくし。少し休ませて頂きましゅわ」
緊張のあまり、また舌を噛んでしまった。周囲の無言の反応が肌に突き刺さる。
彼女は羞恥心で真っ赤になった頬を、手にした扇で思わず隠して走り出した。
「シャルロッテ姫、お待ちください」
「姫!」
主役の逃亡に気づいた侍女の追いすがるような声や、おざなりのように引き留める男達の声が聞こえてきたが、振り向きもせず会場を後にした。
きっと王からお叱りを受けてしまうだろう。
ちらりと頭の隅にそんな考えが浮かんだけれど、王の落胆するであろう姿は彼女の心を申し訳なさでいっぱいにはしても、抑制力としては働かなかったのだ。
***
会場である王宮の大広間から、漏れ聞こえる華やかな楽団の演奏が遠くきれぎれに届く。
宮殿中の部屋に明かりという明かりを灯し、庭には松明を切らすことなく掲げ、夜の闇の中、豪奢なその姿を浮かび上がらせた王宮には、身を隠す場所などなかなか見つからなかった。
シャルロッテは人の気配を察する度に声をかけられないよう走って逃げ、いつしか庭をブラブラと歩いていた。
所々に灯された松明の光源のお陰で、恐怖を感じることもない。辺りを窺いながら、シャルロッテは当てもなく歩いて行く。
部屋へ戻ることは少しも考えなかった。
今頃彼女が立ち寄りそうな場所は、軒並み侍女達によって押さえられている筈だった。彼女の行動パターンは掌握されてしまっている。元々趣味などもなく、おとなしくて部屋でじっとしていることの多かった娘なので、行き先などそんなにありはしない。
だから今夜はその裏をかいて外へと出て来た。
見つかればあの気づまりな会場に連れ戻されるのは目に見えていたので、彼女も必死だった。
シャルロッテはグルセン国王、ギンダー三世の一人娘だ。
大国グルセンの後継者は彼女しかおらず、結婚は逃げることの叶わぬ跡継ぎに課せられた重大な責任であった。
だが彼女は十五になるまで王宮の奥深くで大切に育てられた箱入り娘で、世間に疎く内気な性格の面白味にかける少女だった。しかも外見は、美しいと評判だった亡き王妃アレグラとは異なり、平凡な顔立ちの地味でパッとしない容貌を持つ。
つまり自分の全てに自信の持てない、引っ込み思案の少女だったのだ。
そんなシャルロッテは、今まで王宮での夜会に参加したこともなかった。
王も一人娘にはとても甘く、それを許していた。だがさすがにこれではまずいと気にし始めたのだろう。このままでは国の存亡にもかかわる。今すぐ結婚は無理でも婚約ぐらい決めておかねば、娘は一生一人身で過ごすことになりかねない。
そういう訳で、今夜の夜会は開催されることになった。婚約を交わす相手を見つけること、それがこの会の目的だった。
早速、主だった国の独身の男性に招待状が送られる。家柄、血筋、人物像と吟味に吟味を重ねて招待客は選ばれた。
そしてシャルロッテの方でも準備に取りかかった。さぼっていた淑女としての教育を、侍女長を始め数名の教師から厳しく指導され、なんとか今日の日の体裁を整えた。
だがーー
「こんなところで油を売ってないで、そろそろ戻るとするか?」
突然、話し声が聞こえシャルロッテは慌てて壁伝いに体を沿わせ息を潜めた。
いつの間にか、また宮殿近くに舞い戻っていたらしい。声は彼女のすぐ上のテラスから聞こえてきていた。
「だって、なあ……」
会話を交わしているのは二人の男性のようだった。今夜の招待客のいずれかだろう。シャルロッテはぎゅっと体を固くすると、気配を消すように動きを止めた。
「見ただろ、あのお姫様」
「ああ、シャルロッテ姫だろ?」
男達の話題は彼女のことらしい。心臓が早鐘を打つように激しく動き始める。
答えた声はプッと鼻で噴き出した。
「アレグラ妃の忘れ形見と言うから期待してたんだけどね、とんだ期待はずれだったよ。もう少しなんとかすればいいのに、ドレスや化粧が浮いてて侍女の方がよっぽど美しく見える」
笑い出した男に同調するように、もう一人の男もぼやいた。
「全くだよ」
「それに君、姫と踊ったか?」
「いいや」
「酷かったぜ。ステップはバラバラだし、話しかければ舞い上がって支離滅裂なことを返してくるし」
「そんなに酷かったのか?」
「ああ、いくらグルセン王国が手に入るとしても妻があの姫では……、しかも側室を取るなど婿入りした身では叶わないだろうからな。一生あの姫に縛られなければいけない……」
男は忍び笑いを漏らして続けた。
「ある意味、地獄だよ」
「違いない!」
二人の大きな笑い声が響き渡る。
その時、声に気づいたのか、侍従らしき別の声が聞こえてきた。
「こんなところにお出ででしたか。広間の方へお戻り下さい」
「ああ? 今戻ったところで仕方ないだろ? お姫様は雲隠れ中だからな」
「全く、どこに逃げたのやら」
ですが、と弱々しい声を上げる侍従を無視して男達は笑っていた。
周囲を覆うような馬鹿笑いを背に、シャルロッテはふらふらと壁から離れる。足を踏み出した彼女からは小さな物音が響いていたが、男達は誰もその音に気づいた者はなかった。
しばらく歩くと彼女は再び走り出した。宮殿の建物から離れ、暗がりを目指して小走りに駆ける。
涙が出てきた。
色白なことだけがただ一つ自慢出来る柔らかな頬を、涙が流れて化粧と混じり合いいくつも筋を作っていく。レースの手袋を嵌めた手で乱暴に拭えば、ますます顔が汚れてしまっていた。
分かっていた。
自分がどう思われているかなど。
共に踊った相手でさえ、優しい笑みなど見せてくれなかったではないか。皆、彼女を見た瞬間、彼女の言動を目にした瞬間、がっかりしたような妙な表情を浮かべていたではないか。
分かっていたのだ。こうなることぐらい。
だから今まで夜会の類いは全て欠席していたのである。人目から逃れ、隠れるように暮らしていたのだ。
なのに。
大好きな父親が言うから。
シャルロッテの将来を案じて、王が頼むと彼女に頭を下げてまで言うから。
だから勇気を出して出てきたのだ。
彼女にとって唯一の居心地のよい空間から。
亡き王妃アレグラと過ごした、暖かい温もりの残るあの部屋から。
でもーー、結果は散々だった。
幸せな結婚など望んでいない。相手など、言ってしまえば誰だって構わない。だけどそれすら過ぎた望みだったのだろうか? 婚約を交わす相手を見つけることなど、所詮彼女には無謀な願いだったのか。
走り疲れてシャルロッテは立ち止まり息をついた。コルセットが深呼吸を邪魔して浅い呼吸しか繰り返せない。汗と涙で汚れた顔を上げ王宮を振り返る。遠くまで逃げてきたような気がしたが、夜空に白く浮かぶ宮殿はそんなに離れていなかった。
「わたしがお母様みたいになるはずないじゃない」
シャルロッテは宮殿に向かって不満を口にした。
「どうして?」
その声に誰かが問いかけてくる。
「だ、誰?!」
驚いて慌てふためく彼女の側に青年が姿を現した。「驚かないで。怪しい者ではありません」
そう言って近づいて来る青年を見て、シャルロッテは息を飲んだ。
明かりの灯る白亜の宮殿を背に立つ青年は、おとぎの国から抜け出てきたように美しかった。
ブロンドの柔らかそうな髪はさらさらと風になびき、彼の額を踊っている。高い額の下には好奇心に溢れたブラウンの瞳が、散らばる光を集めたように輝き彼女を見つめていた。
神殿の美しい青年像もかくやの、バランスのとれた端正な顔立ち。純白の装束に品よく身を包んだ姿は、天上人のような神々しささえ感じさせる。
年の頃はシャルロッテより二つ三つ年上であろうか。少年と青年が同居したような、しなやかで活発な若い牡鹿を思わせる印象だ。
そして、上質な生地で作られた服装に洗練された振る舞い。この青年は、どこからどう見ても上流階級の人間だろう。今夜の招待客とこんな場所でも会うなんて。
「いきなり声をかけて申し訳ない。迷ってしまったようでうろうろしていたら、君を見かけたものだから」
青年は恥じらったように顔を赤く染めて、人懐こい笑顔を見せた。
それから声も出せず彼を見つめるシャルロッテの側に近寄り、彼女の顔からスッと視線を逸らしたかと思うと白いハンカチを差し出してきた。
「これ、よかったら使って」
「え、あっ」
自分の顔の惨状を思い出し、シャルロッテは急いで頭を伏せそれを隠す。この綺麗な人に惨めな泣き顔を見られてしまったらしい。恥ずかしさのあまり身をすくませ、両手をぎゅうと握り締めて彼女は小さく叫んだ。
「お借りすることは出来ません。あ、あの、ありがとうございました」
そのまま踵を返し走りだそうとした彼女に、彼は咄嗟に声をかけた。
「待って! 僕、迷子なんだ」
迷子という台詞に驚いた彼女が振り返ると、罰が悪そうに青年は苦笑していた。
「ちょっと広間から席を外した隙に迷ったらしい。いったん庭に出たら会場の位置が分かるかと思ったんだけど」
青年は鼻の横をポリポリと掻いて照れたように微笑む。
「よけい迷ったみたいだ。だから君さえよければ、案内してくれると助かるんだけど、駄目かな?」
子供のようにあどけない表情を見せる青年に、シャルロッテは呆気に取られて足が止まっていた。気がつけば緊張していた筈なのに、肩の力が抜けすっかりリラックスしてしまっている。
「あなた、わたしが誰だか知らないの?」
ついつい口調も普段の自分に戻っていた。淑女らしくと気取った話し方をして、舌を噛んでいたことなど思い出しもしない。
青年は悪戯に気づいた友人を見るように、シャルロッテを見返してニヤリと笑った。
「勿論存じてますよ。ギンダー国王のご息女、シャルロッテ姫」
それから彼は茫然として身動きも出来ない彼女に、優雅に礼をとる。
「お初にお目にかかります。僕はサフラン公国の公子ミハエルです」
キラキラと夜空に輝く星が落ちてきて、彼の周りを彩っているみたいだった。目映いほどに素敵な王子様が、突然シャルロッテの前に現れた瞬間だった。




