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第十五話 真実

 

「名はなんと申す、今すぐ答えよ」


 王の鋭い声が謁見の間に飛んだ。

 床の上に座らされたミハエルは、顔を上げると静かに口を開く。


「全てお答えします。ですがその前に、しばらくわたしの話にお付き合いいただきたい」


 彼は落ち着いていた。本物の公子が既に帰国したと知った時の、暗い笑みはどこにもない。

 覚悟を決めた青年の凛とした姿勢に、シャルロッテも逃げ出したくなる気持ちを抑えつけてその場にとどまった。

 自分がこの場に呼ばれた意味を重く受け止める。嫌なことから目を逸らす時期は終わったのだ。


「いいだろう。話してみろ」

 青年の言葉を受けて、王は背もたれに体を倒し深く座り直した。

 どんな言い訳が飛び出してくるのか、充分吟味をしてやろうと、油断ならない顔つきで彼を見つめている。

 この場にいる全員が、水を打ったように静まり返り、固唾を飲んで次の一言を待ちわびた。彼らの視線を集めて、青年は話を切り出す。


「わたしは確かに公子ミハエルではありません。ですがわたしも、サフラン公アルバーンの息子には違いないのです」


 その一言に場が騒然となった。

「なんだと、今何と申した?」

 王が驚嘆して大声を上げる。王だけでなく全員が驚いて嘆声を漏らしていた。それ程予想外の告白だったのだ。シャルロッテ自身も意味のなさない呻き声をこぼしながら、ミハエルを凝視していた。

「ではお前も……、公子の一人なのか?」

 カラカラに渇いた声で王は質問を重ねた。青年が黙って首を振り返す。長い黒髪が動きに合わせ、頼りなげに揺れていた。


「いえ、わたしは公子ではありません。わたしの存在はサフランでも、おおやけには認められておりませんから」

「どういうことだ?」

 眉をひそめる王の側に、老大臣グレファムが近づいて行った。

「なる程、そういうことですか」

 大臣の勿体ぶった言い方に半ば王は機嫌を悪くして、詰問するような厳しい声を出した。

「お前、分かるのか?」

 グレファムは大きく頷き目前の青年に目を向ける。

「つまりあなたは、アルバーン様の庶子なのでしょう?」

 ミハエルは頭を伏せて肯定した。

「そういうことになりますね」

 皆の目が驚きのあまり一段と大きく見開く。

 再び静かになった空間に、淡々とした青年の声だけが響いていた。

「わたしの母は流れの舞踊団にいた踊り子でした。ある時城に招かれ披露した演目で、アルバーンに目をつけられてしまったのです」

 ミハエルは顔を上げて涼やかな面差しを晒した。彼の美しく整った顔立ちは、きっと母親に似たからであろう。父を同じくした本物の公子とは、あまり似ていないのがどこか皮肉にさえ感じられる。

「アルバーンは無理やり母を城に閉じ込め、自分のものにしました。お陰で母は自由を奪われ、舞踊団とも引き離されてしまったのです。それからしばらくして母は子供を授かったのですが、それがわたしです」

「それで君と母上は、その後どうなったんだ」

 王の低い声はいつの間にか和らいでいた。青年に向ける眼差しも、柔和なものへと変わってきている。

 ミハエルはギンダーを見上げた。だが、その横にいるシャルロッテとは視線が合うことはない。


「わたしが産まれて数年間かは、それでも穏やかな日々だったと思います。母は妃とは認められず、わたしもアルバーンの子とは認めてもらえなかったが、母は城に部屋をあてがわれ、実質は側妃の一人として生活していた。だが、そんなある日、突然公妃の侍女から部屋を明け渡すよう命じられたのです」

 ミハエルは瞳を陰らせて口元を歪めた。

「つまりはアルバーンが遂に母に飽きてしまい、わたし達の処遇が、公妃の一存に委ねられたという訳でした。あれはまだわたしが、年端もいかない少年の頃のことだった」

「聞いたことがありますな」

 グレファムが、一息ついて口を噤む青年を、憐れむよう言葉を重ねてくる。

「アルバーン様には沢山のお子様方がおられ、その中には正式に認められていない方もおられるとか。そうですか、どうやらただの噂ではなかったようですね」

「うむ。だからサフランよりの使者はお前を置いて帰ったのか。庶子の面倒までは見ないと言うことだな」

 ギンダーは眉間に深いしわを寄せ、考え込むよう黙り込んだ。シャルロッテしか子供のいない自分とは、大いに違う状況に言葉も出ないらしい。

「それからの僕らは……、いえわたし達は、生きるのに必死だった。なにしろこうの比護を失ったも同然の身。母とわたしは公妃の機嫌を損なわないよう、何でもしてきた。下働きのような仕事から公子達の尻拭いまで、何でもです。わたし達には公妃の言うことは絶対だった。あの城に居場所をつくるため、文字通り石にかじりついて生きてきました」

 ミハエルの言葉で室内から物音が消えた。誰もが身じろぎもせず、硬い表情で彼を見下ろしている。

 青年の知られざる半生に、シャルロッテは乏しい知識を手繰り寄せた。それでも彼の苦労の半分も理解出来てないだろう。いったいどんな日々を送ってきたのか。王宮の奥深くで親しい人々に守られるよう生きてきた彼女には、想像することすら難しい。

 いつしか立ち込めてきた物憂げな空気を振り払うかのごとく、王はフンと短く鼻を鳴らす。

「そんな惨めな生活をしていた者が、どうしてこんな大それたことをする羽目になったと言うのだ?」


 王の声にミハエルが口元を引き締めた。彼は迷いのない目でギンダーを見上げると口火を切る。

「それは、グルセンから届いた招待状がきっかけでした」

「招待状?」

「はい、この度の夜会の……招待状のことです」

 説明をしながら、青年はシャルロッテの方へ視線を向けてきた。彼女が謁見の間に入ってから、初めて彼が意識を向けてきた瞬間だった。

 一瞬の出来事なのに、目と目が合っただけで心臓がうるさく飛び跳ねる。シャルロッテは彼の眼差しから、情けないことにあっという間に逃げてしまった。


 ーーわたしったら、どうして……。


「なんと、あの招待状は、第三公子カレイユ様宛に送ったものですぞ」

 グレファムの声が素早く反応してきた。青年はそれに答えるべく、衣擦れの音を立て大臣へと背筋を伸ばす。

 彼の視線が逸れて彼女は少しだけ安心して、ホッと息を吐いた。あの眼差しに捉えられてしまったら、心臓がいくつあっても足りやしない。

「ええ、そうです。招待状はミハエルのものではなかった。ミハエルはカレイユの侍従に金を掴ませ、彼に来ていた話をこっそりと盗み取ったのです。ミハエルは言ってました。グルセンは公子の確認など特にしないだろう。それに自分も公妃の産んだ公子には違いない。グルセンにとっては実際に来た公子が違う者であろうと、特に問題はない筈だと」

「何ということを、何故そんなことをした?」

 王が怒りに震える声で青年を問い詰める。

 この青年は公子本人では勿論ないが、王の中では二人の男は同化していた。いずれにしろ答えを出せる者は彼しかいないのだから、非難が集中するのは仕方ない。

「その理由は、サフランの現状にあるのだと思います」

 美しいブラウンの瞳を瞼で隠し青年は口を開いた。あくまでも本人ではないのだから予想の範疇を出ないが、いやに堂々とした口振りだった。きっとミハエル公子という男は、感情が表に出やすい、底の浅い人間なのだろう。

「今のサフランは混乱の極みにあります。肥沃な土地を持つ大国グルセンとは違い、サフランは極小の貧国だ。にもかかわらずアルバーンは国政を放り出し、お陰で癒着や贈賄が横行して国家は堕落しきっている。彼の後継者すら今だに確定しておらず、その話は流動的で、公子と言えども将来は安定していません。ましてや公子の数は多い。ミハエルのように遅くに産まれた子供は見捨てられ、誰からも相手にされてないんです」

「なるほどな。だから奴はグルセンでの婿取りをチャンスだと思ったのか。それで兄弟にきていた話を奪ったという訳だな?」

 王の低い声を肯定して青年は頷いた。

「うむ、奴の動機は分かった。だかな、お前は何しに来たのだ? お前の役目は何だったのか答えてもらおう」

 王は意地悪く目を細めて問いを続ける。厳しい視線の先には肩を強ばらせ、移ろう瞳で床を見下ろす青年がいた。

 

「お前は公子に誘われグルセンに同行したのだろう? わたしの前に現れた公子は確かにあの男だったが、シャルロッテの前で公子を名乗っていたのはお前だな?」

「……ええ、わたしです」

 消え入りそうな苦しげな声がシャルロッテの耳に入ってくる。滑らかに動いていた青年の唇は、いつ止まってしまったのか、あとが続かない。

 突然出てきた自分の名前に戸惑い、彼女は息を飲んだ。急いでギンダーを振り向くが、横に座る父親はこちらを見もしなかった。

 泡立つ気持ちを落ち着かせることも出来ない。速まる心臓を抱え、打ち震えるシャルロッテの前で、王の冷たい声が振り落とされた。

 

「お前は公子の振りをしてシャルロッテの前に出ていった。それから甘い言葉でこの娘を手懐け信じ込ませた。夜会で候補者達につらい目にあわされていたシャルロッテには、さぞかし輝いて見えただろう。何しろ、その見た目だ。お前には簡単だった筈だ。そして準備万端に整えておいて、シャルロッテをおびき出した。あの男の元へな」

「それは……」


 言葉をなくして固まるミハエルと、初めて出会った夜会の日の彼が重なる。

 シャルロッテの胸に苦い想いが蘇ってきた。

 夜会会場を抜け出して、庭へと逃げ出した先に彼はいた。

 泣いてるシャルロッテに気さくに話しかけてくれ、涙を優しく拭いてくれた。

 

 あれは全部仕組まれたもの。彼女を可愛いと励ましてくれた言葉も全て嘘だったのである。


 そんなこと、とっくに分かっている。あの、彼とはまるで違う雰囲気の男が、いつまでもミハエルを信じるシャルロッテを嘲笑うかのように教えてくれたのだから。

 絶望する彼女に対して、彼は否定すら口にしないで打ちひしがれていただけだった。それはつまり、真実だということだ。


 だけど、本当にそうなのだろうか?

 最初から最後まで、嘘で塗りたくられた顔しか、彼は見せてくれなかったのか?


 思い返せば二人きりでお茶会をした時、彼は自分のことを、他人を苛つかせる性分だと低く貶めていた。

 あれは誰のことを言ったのだろう。公子本人のことなら美辞麗句を並べ立てていた筈だ。シャルロッテを騙すつもりなら、公子の悪い面など明らかにする筈がない。

 ならばいったい、誰のことだと言うのだろう。


 ラズヴェルとの最初の面談の時だって、彼の態度は変だった。

 シャルロッテにつれないラズヴェルを、本気になって非難していた。ラズヴェルに強く出れないシャルロッテには、毅然としろとまで言って怒りをあらわにした。

 何故そんなことで不機嫌になったのだろう。彼女が他人にどう見られようと、彼には一切関係ない筈なのに。むしろラズヴェルとは違う優しい言葉で、無責任にシャルロッテを甘やかせればいいだけだった。

 それなのに、彼は全く逆の感情をあらわした。

 

 そして、何よりあの日、彼女はミハエルの傷に触れたのである。

 完璧に見えたミハエルに、弱い一面があることに気づかされた。気遣うシャルロッテの視線をはねつけるように、強がって言葉を投げつけてきたミハエル。

 あれが計算されたものだとは、どうしても信じられない。


 ーーそれに……、それに……。


 シャルロッテは譫言のように呟く。自分の中のミハエルにすがりつくように。


「教えてくれ。何故最後まで、シャルロッテを騙しおおせた。この娘にほんの少しでも、情のようなものは湧かなかったのか?」


 記憶の中の青年とのやり取りに思いを巡らせ、彼の心を推し量っていたシャルロッテの耳に、ギンダーの責めるような声が飛び込んできた。

 情が湧かなかったーーという台詞に、父親としての切ない願いが込められているようで、その言葉は同じ強さでもって彼女の心も切り裂く。


 情が湧かない。

 ーーつまり、彼女に対して何の感慨もないということ。


「そんなことは……ありません」


 青年が苦悩するように顔を伏せ、言葉を絞り出した。

「何度も迷いました。僕を信じ切っている彼女を見ていたら、いずれ訪れる未来を予想出来て本当にやるせなかった。こんな計画、破綻すればいいとも思った。だが、僕には母がいる。国で母と僕を庇う人間はもうあの男しかいない。あいつの機嫌を損ねることは、どうあっても出来ない相談だった」

「だからシャルロッテはどうなってもいいと? 母親と自分を守るために娘を売ったのか、お前は!」

 王の厳しい怒声に青年は体を硬くした。のろのろと顔を上げた彼の瞳から滲む涙がうっすらと見える。その視線はシャルロッテへと向いているが、彼女を認識しているかは分からないほどに定まっていない。

「……本当はなかなか踏ん切りがつかなかった。あいつが早くしろと命令してきても、適当に言い訳を並べて先に延ばしていたんだ。だけどあいつは、遂に母さんを引き合いに出して脅してきた」

「ミ、ミハエル様……」

 王がじろりとシャルロッテを見下ろした。だが彼女はその眼差しを完璧に無視した。

 だってシャルロッテは彼の名前を知らないのだ。今の彼女には『ミハエル』としか呼びかけるすべがないのだから、仕方ないだろう。

 苦虫を噛み潰したような表情の父親を捨て置き、彼女は彼に向き直る。どんな言葉も今は聞き漏らしたくない。それだけだった。

「それで僕は最後の手段に出ることにした。君への複雑な思いに蓋をするには、君を軽蔑するしかなかった」

「えっ?」

 だが次の瞬間、頭が真っ白になる。ミハエルは何を言う気なのか。軽蔑なんて嫌な響きにシャルロッテは青ざめた。

「僕は君に問いかけた。妻を多く持つ男をどう思うかと」

「あ、まさか……」

「君は最初答えに窮していた。想像することさえ出来なかったんだろう。だから僕は分かりやすく説明することにした」

「い、いや……」

 知らず体が震えてくる。この得体の知れない胸騒ぎは、封印していた悪夢が呼び起こされる感覚に似ていた。


 そして、やっぱり、悪夢は呼び起こされた。彼女の目の前で彼の口から吐き出される。


「例えば君に、母上以外の女が産んだ兄弟がいたら、どう思うか? とねーー」




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