第十四話 顛末
見送りに現れたシャルロッテに気がつくと、マイセン侯爵家のラズヴェルはホッとしたように表情を和らげた。
彼は丈の長い上品なマントを身につけ、片手に同色の帽子を抱えていた。それはこのあと帰城するための、旅装姿に他ならなかった。
明るい陽光が降り注ぐサロンの中には、彼とシャルロッテ、それから数人の使用人しかいない。ほんの少し前まで人々の談笑に包まれていたこの部屋は、まるで嘘のように静まり返っている。
「ラズヴェル様……、遅くなってごめんなさい。お発ちになるんですね。あの、この度は色々とありがとうございました。またお会い出来る日を楽しみにしております」
シャルロッテがおずおずと挨拶を口にすれば、青年は矢も盾もたまらないとばかりに駆け寄ってきた。
「シャルロッテ姫。良かったよ、間に合って」
彼は随分長い間、彼女の到着を待ちわびていたようだ。嬉しげな表情を見せるラズヴェルに、シャルロッテは申し訳なくなり頭を伏せる。
既に他の候補者達は宮殿を後にしていた。ラズヴェルだけがシャルロッテの訪れを待っていたのだ。
彼は扉の側で険しい表情を浮かべる自分の侍従にチラリと視線を送ると、小声で話しかけてきた。
「驚いたよ。急に滞在の中止を告げられてさ。お陰で朝から用意が大変だった。王宮の侍従が言うには、花婿の選別は延期になったとか。いったい何があったんだ?」
ラズヴェルは腑に落ちないというように首を傾げている。シャルロッテは言葉をなくして口を噤んだ。ーー言える筈がなかった。
シャルロッテと、ミハエル公子を名乗る二人の青年との間に起こったことは、他の候補者達の耳には一切がふせられていた。
当然である。
未婚の少女が邪な考えを持つ男と、密室に閉じ込められていたのだ。何もなかったと言ったところで、いらぬ憶測を呼んでしまうだろう。そんな危険をおかせる筈がない。
幸い三人がいたのは、王宮でも人通りの少ない目立たない場所だった。グレファムを始めとする大臣達は素早く事件の収拾を図り、痕跡をあっという間に消してしまった。
彼女は婿取りを予定している身だ。その評判に僅かの傷すらつけられないのだ。
しかし、シャルロッテの心の中はそう簡単にはいかなかった。
恐怖とショックに晒された彼女の精神は、このまま淡々と予定を進め、花婿を決めることに耐えられそうもなかった。
そこで父親であるギンダーは娘の精神の安定を図るため、強引にも花婿選択の儀の延期を決めてしまう。そしてそれらが今朝、宮殿に滞在中の全ての候補者達の耳に、告げられたのであった。
黙ったままの彼女に気がつかないのか、彼は質問を更に続けている。
「もしかしてだけど、僕達のことがバレてしまったの? それで陛下がご立腹になって……」
「違うわ、違います」
シャルロッテは慌てて彼の方を向いた。
いや、正確には違わないのかもしれない。少なくともギンダーは二人を疑っていた。だから彼女達の面談の場にいきなり現れたのだろう。
そしてそのあと、シャルロッテが危機にみまわれた際には、いやに迅速に兵が姿を見せた。これらの事実を見るに、彼女の行動はとっくに父の知るところだった筈だ。それは即ち、彼のことも見抜かれていたということである。
だが、今回の事態の理由は他にあった。
それは厳密に言えば、ラズヴェルには関係ないことだったのだ。
「違うか。そうだよね。それだったら僕だけが退場の筈だった。皆帰されたということは、他に事情があった訳だ」
こちらを窺うような眼差しが痛い。
シャルロッテは緊張のあまり、体中が固くなってしまった。
「ーーなんて、どうでもいいか。……いや、よくはないけど」
ブツブツと口籠もる青年に思わず視線を向ける。不思議そうに自分を見返す彼女を、ラズヴェルは微笑んで見下ろし、その手にさりげなくキスを落とした。
「しばしのお別れを、シャルロッテ姫。君がよき伴侶と巡り会えますように」
「ラズヴェル様……」
「……それが僕だったら、なお良かったんだけどねーー」
「えっ?」
「では、また」
青年は子供っぽい笑みを見せ一礼をしたのち、侍従を引き連れ扉を出て行った。
彼の呟きに度肝を抜かれて立ち尽くす、シャルロッテを一人残して。
ラズヴェルが去ってーー、宮殿からは全ての花婿候補がいなくなった。
ーーいや、全てではない。一人、実は残っている。その一人が、果たして候補と言えるのかは分からないが。
ラズヴェルの消えたあとを茫然と見送っていたシャルロッテの側に、近づく影があった。
老大臣グレファムだ。
彼はぴくりとも動かないシャルロッテの背中に、慇懃に声をかける。
「姫、お見送りはお済みになりましたか。陛下がお待ちです」
その声に激しく肩を揺るがせて、シャルロッテは振り向いた。踵を返して歩いて行く大臣のあとを、彼女は小走りについて行く。
「わ、分かったわ、グレファム。だから、ま、待って」
***
謁見の間に国王ギンダー三世はいた。
彼は玉座に腰掛け、憂鬱げに前方を見つめていた。視線の先には兵に取り押さえられ、ひれ伏すように床に座る男がいる。
と、扉の近くに控えていた侍従の一人が、何事かを伝えにやって来た。
侍従の耳打ちに頷いたギンダーは、兵に向かって軽く手を上げる。王の合図により兵は男から手を離し、少し後ろへ下がると厳しい顔つきでうなだれる背中を見下ろしていた。
侍従に促されグレファムと共に謁見の間へとたどり着いたシャルロッテは、罪人のように床に這いつくばるミハエルに息を飲んだ。
思わず足を止める彼女を、近づいて来た侍従が数人がかりで玉座の方へ連れて行く。
王の隣に半ば無理矢理座らされた彼女は、小さな声で呟いた。
「ミハエル様……」
「それはこの男の名ではない」
ギンダーが面白くなさそうに言い捨て、青年の肩がビクリと跳ね上がる。
「ーーグレファム」
王はシャルロッテと共に入室した大臣を短く呼びつけた。
「本物の、サフランの公子はどうした?」
老大臣が一歩前へ進み出て、長い髪を撫でつけながら口上を始める。
「その件でしたら、先ほどかの国より迎えに参った者と共に、国元へと引き揚げて行ったようでございます」
グレファムはその小さな目を、青い顔で俯く青年に向けた。黙ったままの青年は、微動だにせず座り込んでいる。大臣は再び王へと向き直ると言葉を続けた。
「サフランからは公子の仕出かした今回の不祥事に対して、内密とは言え、正式な謝罪と相応の慰謝料の申し出がありました。不幸な事件ではありましたが、被害も最小限度に抑えられたことでもありますし、国同士の利益という意味でも大事にするのは得策ではないでしょう。グルセンとしては今後結ぶであろう条約などで、あちら側より、有利な条件を引き出せるといった利点も期待できます。この度のことは割り切れないものもありましょうが、これにて手打ちということで済ませてよろしいかと」
「ーーうむ」
王は喉を唸らして目を細めた。
「分かった。サフランとのことはお前に任せよう。ーーだが解せんのだ。何故サフランよりやって来た使いの者は、この男を置いて帰る。こいつはいったい何者なのだ?」
王の厳しい眼差しが、一人の男を捉える。その場にいる全員の目が床の上に集まった。
そこにいるのは、公子本人とは似ても似つかぬ美貌の青年だった。
顔や体に疲れは見えるが、涼やかな容貌に陰りはない。髪色は違えども、シャルロッテには馴染み深い人でもあった。
但し、名前は偽りを教えられていたのだがーー。
そして無論、王や大臣に取っては、公子として現れた男とは別人であり、突然降って湧いた得体の知れない人物でしかない。
グレファムが重たい口をゆっくりと開く。
「この者のことは、知らぬと使者も申しておりました。グルセンにていかようにもされたしと……」
シャルロッテの目に、彼が微かに笑ったように見えた。見ているこちらの胸が、痛みを覚えるほどに寂しい笑みを。
ギンダーは息を深く吐き出して、厳しく青年を見据え問い詰める。
「そこの男、お前はいったい誰なのだ?」




