第十二話 遭遇
「ねえ、どういうことだと思う?」
隣を歩くラズヴェルがこそりと耳元に話しかけてきた。
シャルロッテは背後を窺い首を振る。
「全く……、分かりません」
「もしかして、バレたんだろうか」
ラズヴェルは顔をしかめて天を仰ぐ。だがすぐに後方から漂うただならぬ気配に身をただし、コホンと咳払いを一つすると、わざとらしくシャルロッテに微笑んでみせた。
「頑張ってなんとかやり過ごそう」
二人がいるのは宮殿の東に位置する馬場である。
広い厩舎に隣接し、兵達の訓練も行われる、最新の設備が整うグルセン自慢の広大な施設だ。
バレたって……、嘘でしょう?
シャルロッテはこそこそと後ろに目をやった。
そこにはやたらと厳しい表情を顔にのせた王が、二人の様子を見張るかのように散策に付き添う姿があった。
「今日はわたしも同行しよう」
突然王が彼らの面談の場に現れ、そう宣言したのはつい先程のこと。シャルロッテとラズヴェルは、有無を言わせぬような物々しい出で立ちのギンダーに呆気にとられ、疑問すら口にすることが出来なかった。
「二人はどのようなところを見ているのか?」
異様な空気を放つ王を気にしながら黙りこくって歩いていると、後ろから声がしてくる。
「そうですね……」
ラズヴェルが媚びを売るように笑顔で振り向いて、しかめ面の王と目が合い言葉を失った。
「いつもは……その……あの……」
彼はシャルロッテに助けを求めるように視線を向けてくる。彼女は唾を飲み込んで父親に向き直った。
「お父様、どうしてここに?」
「わたしがいたら何か困るのか」
娘に向ける目さえいつもとは違う。シャルロッテは逃げ出したくなる気持ちを抑え言い返した。
「困ると言うか、……邪魔だわ」
「何だと?」
「お父様に監視されていたらつまらない……もの」
ギンダーが眉を上げて、食い入るように彼女を見つめてきた。悲鳴をあげそうになりながら、シャルロッテは声を絞り出す。
「こ、恐い顔をして睨まれたら、ラズヴェル様だって萎縮しちゃうでしょ。……わたしもよ」
「シャルロッテ……」
茫然としたように立ち尽くす王を尻目に、彼女はラズヴェルの手を取って早口で誘いをかけた。
「行きましょう」
「えっ? あっ」
強引に青年の手を引っ張り彼女は駆け出した。王の様子など確認する余裕はなかった。
しばらく走ったあとでシャルロッテは後ろを振り返る。目に入る景色の中には誰の姿もない。ギンダーは二人のあとを追いかけるのを諦めたのだろうか。そうだといいのだが。
「シャルロッテ姫」
すぐ横でラズヴェルの声がした。シャルロッテは彼の手を握りしめていたことを思い出し、慌てて離す。今の今まで忘れていたことに驚いた。自分のしでかしたこととは思えない。
「ごめんなさい」
「いや」
焦って俯いてしまうシャルロッテに、ラズヴェルは苦笑を漏らすと彼女を優しく見つめた。
「君って案外……」
「えっ?」
「ううん」
顔を上げた彼女に彼は何でもないと首を振った。それから片目を瞑って囁く。
「でも……、ちょっと。君の意中の男が羨ましい……かも」
意味深な言葉を残して、ラズヴェルは「じゃあ」と去って行った。シャルロッテの頭に軽くキスを残して。彼女はポカンと彼の後ろ姿を見送るしかなかった。
「陛下」
ぼんやりと娘達の消えたあとを眺める王の背に、背後から声がかかる。
「グレファムか」
「はい。追いかけなくてもよろしいのですか。そんなところでぼーと突っ立ったままで」
辛辣な物言いをする老大臣に、王は頬を歪めて振り返った。
「相変わらず悪趣味な奴だな。覗いてたのか」
「覗くなどと、とんでもない。わたくしは後方より、あなた様の支援をさせていただきに参っただけでございます」
「よく言うよ。俺の不甲斐なさを笑いにきたくせに」
「わたくしに内緒で単独行動に出るからです。ネィルソンが泣きそうな顔で相談してきたからよかったものの、そうでなければ気づけませんでしたぞ」
グレファムの遠慮のない口振りで、さすがの王も気が抜けたのか、表情を和らげて笑った。
「すまなかった。またシャルロッテの奴が酷い目に合っているのかと思ってな」
「先程のご様子ではそのご心配は無用のようですね」
「ああ、あの子が俺にあんな口をきくなんて驚いた」
王のしみじみと漏らした呟きに、老大臣も眉を下げて答える。
「本当にわたくしも驚きました。姫にあのような、毅然とした一面があるとは……」
「お前も驚いたか。お陰で俺はあいつらを、追いかけることすら出来なかったよ」
「……陛下」
「あいつにも……、アレグラの奴にも見せてやりたかった、今日のシャルロッテをな」
独り言のようなギンダーの言葉を、グレファムは頷いて聞いていた。
「王妃様がご覧になれば、さぞかしお喜びになられたことでしょう」
「ああ。あいつはシャルロッテのことを、最期まで心配してたからな」
二人の男はしばし言葉を詰まらせて、遠い過去に思いを馳せた。
優しい風が彼らの体を撫でるように吹き抜けていき、新しい何かが生まれようとしている予感めいた心地に包まれる。
娘達にはあっさりと逃げられてしまったが、王の心の中には不思議と悔しさと言った負の感情はなかった。
それはきっと、自分にいつも自信が持てずビクビクとするばかりだったシャルロッテが、僅かながらも意志を持ち、それを表すようになってきたからだろう。
娘を変えたものは何だったのか。ギンダーはそれが知りたかった。
「マイセン家の息子だが、あの様子ではシャルロッテに無体なことをしている訳ではなさそうだ。だがネィルソンの話だと、奴はシャルロッテとの面談をいつも途中で抜け出しているらしい。馬鹿にした話だ」
「そのようですね。実に嘆かわしいことです……」
「ああ、しかしそのことはもういい。今はシャルロッテだ。あの子はマイセン家の息子と別れたあと、どこでいったい何をしているんだ」
「その件ですが、どうかわたくしにお任せを」
王の前で老大臣が慇懃に頭を下げる。
「グレファム、……お前?」
唖然とする王に大臣は眉の下の小さな目を細めて、ニィッと笑いながら告げてきた。
「陛下、先程わたくしは、ご支援させていただきに参りましたと申し上げました。覚えてらっしゃいますかな」
***
ミハエルと約束をしてるいつもの部屋にたどり着いたシャルロッテは、あたりに漂う違和感を感じて扉を開ける手を止めた。
思わず周囲に視線を送るが、特に不審なところは見当たらない。しいて言えば、少し静かすぎることぐらいか。
だがこの部屋の周辺はたいていこんな感じだった。シャルロッテは自分の用心深さに苦笑を漏らし、取っ手に手をかけた。
部屋に入ってすぐに、異変に気がついた。
昼間なのに室内は薄暗く、目を凝らさなければ何も見えなかった。
知らない内に掃除を請け負う侍女か誰かが、厚手のカーテンでも引いたのだろうか。
平素は使われていない、物置でしかない場所だ。中に置いてある絵画などの貴重品の変色を防ぐため、彼女達がここから明かりを締め出すことは有り得る気がした。
だがこれでは、誰かが部屋に入って来ても顔が見えない。この場所でミハエルと落ち合うのは、いささか不都合になってきたようだ。
暗い部屋の中は不気味に静まり返る。
物音すらしないが、ミハエルはいるのだろうか。
「ミハエル様」
心細くなったシャルロッテは声を出した。暗闇に目が少しだけ慣れてきて、窓際に誰かが立っているのが分かった。
「ミハエル様、いらしたんですか」
彼女はホッとしながら、黙って立っている人物に近寄る。ミハエルの不思議な行動を、訝しく思う心と戦いながら。
彼は何故、カーテンを開けないのだろう。どうして何も声をかけてくれず、暗い部屋で彼女を待っていたのだろう。
まるで息を殺して潜んでいたみたいに。
もしかして、ミハエルではなく別人なのだろうか……?
何故だか分からないが、他の人間が何らかの用事でたまたまこの場に居合わせたのか?
「ミハエル様……でしょう?」
その声に答えるように人影が振り向いた。
カーテンの隙間から差し込む光に晒され、彼の金髪がキラキラと暗闇に浮かんだ。
「ミハエル様」
シャルロッテはホッと安堵の息を吐く。
やはり窓の側にいたのはミハエルだったのだ。きっと彼女をからかうために、意地悪をしていたのに違いない。
「酷いわ。脅かすなんて……」
シャルロッテはミハエルの横に並ぶと、カーテンを開けながら拗ねてみせた。
少しは恐怖を感じたのだから、文句の一つぐらい言ってやらなければ気が済まなかった。
横の人物がクスリと笑って口を開く。
「確かに僕はミハエルという名前だけどーー」
聞いたこともない声にギョッとして、シャルロッテは男を見上げた。男は彼女の知るミハエル公子とは、全く違う声をしていた。
カーテンを開けたお陰で室内には光が入り込み、おぼろげだった男の顔や体つきがはっきりと視界に入ってくる。
明るく輝くような金髪を除けば彼と似たところなど、どこにもない男だった。そのことに驚愕してシャルロッテは喉が引きつる。
彼女はあろうことか、見ず知らずの男の側に立っていたのだ。
「だけどね、君が言う『ミハエル』とは違うんだ。あっちは偽物。僕こそが本物なんだよ」
シャルロッテのよく知る美貌の青年とは似ても似つかぬ下品な笑みを浮かべた男が、小馬鹿にしたような意地の悪い目つきで、こちらをねっとりと見下ろしていた。




