9.穏やかな日々に寄せて
彼がその村を訪れたのは数年ぶりだった。村で唯一の義足の男に会いに行くと、家の中で縄を作っていた男は快く彼を出迎える。
「アレク! 久しぶりじゃねーか」
「お久しぶり、エイザム。聞いたよ、結婚したんだって? おめでとう」
「ああ……ありがとな」
彼の知っている男の境遇を思えば、祝いの言葉に返す口調が照れているわけでもなく微妙な色合いを帯びるのは当然のことだった。
エイザム以外出払っている家で、お茶を呑みながら話をする。
「そろそろ義足暮らしも板についてきたぜ。あの時あんたが医者を呼んでくれたおかげで一命を取り留めた時には、なんてことしてくれたんだと思ったけどな。今は生きていて良かったと思うぜ」
木の足を撫でながらエイザムが言うと、アレクは笑った。
「そう言われるとこっちも気が楽になるよ。村で教えてもらってちょっとだけ見かけたけれど、奥さんとても優しそうな人じゃないか。君にも良くしてくれるって」
「はは。本当にな。こんな義足の男に……。美人でもなけりゃあ俺より年上で、皮肉も吐かない、男と喧嘩なんかしたこともない女だ」
「エイザム」
言葉の後半に含む意味合いに、アレクは憐れむように眉根を寄せた。
だが真に憐れなのは彼の方ではないのかとエイザムは思う。
「アレク、お前こそ今どうしてるんだ? まだ、昔のままの仕事してるのか?」
「ああ」
「あんた、王都での最低限の魔物討伐への従事期間は終えたんだろう。なんでまた……やっぱり、あいつのことか?」
「うん、そうだよ。“あいつ”のことと言うより、“あいつら”のことかな」
街での最後の対決の後、ラーイに片足を喰いちぎられたエイザムは、何とか一命を取り留めた。
あの当時は、本人としては自分も死ぬ覚悟でミリカを追っていたのだ。義足となってまで生き延びて何の意味があるのかと嘆いていたが、数年が経ち、隣村の女性と結婚もした今では幸せそうに暮らしている。
一方の、アレクは。
「青い魔獣を連れた赤い魔女の話は、今や国中に広がっているよ。今度はデシャナ地方だ。これからはとりあえず、そちらに向かうよ」
「……アレク」
アレクは、過去を振りきれなかった。青い魔物への恨みも、今は赤い魔女と呼ばれるようになった少女への想いも忘れられず。愛の裏返しの憎悪を糧に、一人と一匹を追い続ける。それは途方もない道だ。
「結婚しようとか、子ども作ろうとかそういう考えはないのか? あんたいい男なんだから、経歴知られていても案外モテるだろ?」
軽口は笑顔で流された。今ではアレクもそこそこの有名人なのだ。王都の魔物退治人の一人である金髪の美青年が、高潔な騎士のように誰の愛も受け入れないという噂は田舎のこの村まで届いている。
だがエイザムは知っている。騎士のようとも王子様のようとも言われるこの青年が愛を捧げるのは清らかな姫君ではなく、外見は美しいが口と性格の悪い魔女だということを。
「結婚する気はないよ。エイザム、君は君で今幸せなんだろう。そして僕も……この生活で幸せなんだよ」
「……そうか」
彼にこれ以上の言葉をかけることをエイザムは諦めた。アレク自身がその道を選ぶのであれば、もはや誰にも止められない。
日が暮れて別れを告げる頃になり、戻ってきた妻と共に月並みな挨拶で送り出す際に、エイザムは言う。
「今度、子どもが生まれるんだ。その時は会いにきてくれよ」
「ああ、必ず」
その時もきっとこの男は魔女と魔物を追い続けながら独りなんだろう、そう思いながらエイザムはアレクの後姿を見送った。
◆◆◆◆◆
「さぁてラーイ、次はどこの街に行こうか」
『どこへでも。お前の行く所なら』
「それじゃ参考にならないでしょうが。あんたもちゃんと考えなさいよ」
『我は地図が読めぬ』
「そんなこと言ってると、次の街ではあんた用の勉強道具一式揃えるわよ」
人の身では到底登れるはずもない高い崖の上で眼下の世界を見下ろしながら、今日もミリカとラーイは変わらぬやりとりを繰り広げる。
『そう言えば前の街で、王都とやらで活躍中の金髪の男の話を聞いたぞ』
「……そう、アレク様、頑張っていらっしゃるのね」
『我を退治する方向にな』
「その時はあたしも一蓮托生だから安心しなさいよ」
『安心できぬ。だから逃げる。次の目的地はあの男から離れる方へ行くのではどうだ?』
「あー、そうなると王都から遠いこっちの村に……」
心地よい風を感じながら、ミリカはラーイの、ふわふわの青い毛皮に顔を埋めた。青い毛と赤い髪が絡み合う。
魔物は少女を愛し、少女は魔物を愛した。
そして少女は魔女となり、魔物と共に生きている。魔物を恨み、今は魔女となった少女を愛する男はまだ当分死ぬこともなく、二人の魔物を追い続けるだろう。
なんて酷い話。
「生きているって素晴らしいわね、ラーイ。初恋の人に命を狙われるとか滅茶苦茶ドラマティック。だからさっさと逃げるわよ」
『そうだな、ミリカ』
だが今は、たとえどんな形でも、この生を謳歌していることを素直に喜ぼう。
了.