第26話 主人の血とツケ帳簿の署名
近くで向き合った十四層の審問官は、噂よりずっと物静かな人だった。俺は作業台の向かいに座るルカン・ヘイルを見ながら、まず彼の胸のあたりで響く低くゆっくりした鼓動の音を数えてみた。一層の店の棚にある十四層の試薬瓶が、半月のあいだずっと示し続けていた、まさにあの65の脈だった。
そして彼の半歩後ろに立つ、黒髪の処刑人の女、イヴからは、一層で回収した銀貨袋(No.024)から嗅いだ屍毒の臭いを、銀の霜でひと度洗い流したかのような、ひんやりした冷気が漂っていた。左肩に包帯を巻いた盾兵は、天幕の柱の脇に立ち、長剣の鍔を床の石板に軽く当てて、外の路地の気配をうかがっていた。
「請求書に書かれた文言を見て、冗談だと思いましたが」
ルカンが作業台の上の折れた細剣(No.031)の柄を指して口を開いた。
「本当に、主人の血がなければ刃は出てこないのですか?」
「普通の鋼なら、炉に入れて叩けば済みます。ほかの刀まで血で抜いていたら、うちの店はとうの昔に店じまいしていたでしょう」
俺は素手の右手に持ったピンセットで、細剣の付け根の凍って裂けた断面をつまみ、灯りの近くへかざして見せた。
「ただ、この細剣(No.031)だけは例外です。最初に作った職人が、柄の芯に、主人の血と脈を覚えている古代合金の糸を仕込んでおきました。一層の店で私が柄だけ手入れして真鍮の配送カプセル(No.022)で送り上げたのも、私の血や他人の血を入れれば、刃が見当違いの形に捻じれるに決まっていたからです。それに、柄の内側に押されているこの頭文字の線の運びです」
俺は、革の端が内側へ折れた古い書記法の頭文字を指でなぞった。
「二十年前、私がまだ九十九層の調律工房にいた頃、文書庫で見たことのある古代の書記法です。下の階の工房で真似できる代物ではありません」
ルカンの眼差しが深くなった。彼は言い訳も感嘆もせず、淡々とうなずいた。天幕の奥に立っていたペク・ユラが、軍服の内ポケットの白銀の認識票(No.027)を押さえたまま、ルカンと俺を交互に見て、静かに息を殺した。
「亡くなった副隊長から受け継いだ剣です。その文字の出どころは、私も上の階へ上がりながら自分で確かめるつもりです。始めましょう」
俺は作業台の中央に鉄の水槽を置き、細剣の柄を固定した。ルカンが右手で左の革手袋を外すと、手袋を着けていない彼の右手の甲のど真ん中を貫いた十字形の貫通傷の痕と、たこの刻まれた左の手のひらが並んで露わになった。俺はその十字の傷痕から流れ出る不吉で重い圧力を感じながら、自分の左手と左手首に巻いた黒い木綿の布をほどいた。
ルカンは、処刑人の女の左手の黒銀の短刀の先で、自分の左の手のひらを浅く切った。どす黒い赤の血の雫が折れた刃の付け根の上に落ちた瞬間、鉄の水槽全体が巨大な鐘のように鳴り響いた。
俺はためらわず、右手に音叉ハンマーを握り、火傷の痕と烙印の刻まれた左手の手のひらを、細剣の柄の端に押し当てた。
ジュッ――!
焼けた鉄を素肌で握ったかのような激痛が、俺の左手首から前腕の下のほうまで広がった。一層で折れた柄だけに触れたときは、刃が凍って砕け、欄干の外へ身体が傾きながら、折れた短剣を握る女の背中を見つめていた最後の瞬間の記憶しか読み取れなかったが、主人の生き血が芯を濡らすと、細剣のいちばん深いところで眠っていた最初の記憶が、俺の頭の中へ押し寄せてきた。
『左利き用に、重心を半寸ほど後ろへ退げておいた。いつかお前の心臓が人とは違う速さで打つようになっても、この柄だけはお前の脈を見失わん』
古い鍛冶場の灯りの下で、誰かが若き日のカン・テゴムに剣を手渡した、短い声だった。その老職人の作業台の上には、俺が九十九層の調律工房で目にしたものとそっくり同じ銀色の音叉が三本並んで置かれており、壁にも最上層の調律記号がかすかに掛かっていた。
その瞬間、ルカンの呼吸が荒くなり、胸の内の鼓動が65から66へ跳ね上がった。作業台の隅の四つ目の試薬瓶の霧も一緒に揺れた。後ろに立っていたイヴが素早くルカンの首筋と肩に手を置いた。彼女の指先から広がった銀の冷気が、ルカンの脈をふたたび65へと押さえ込むのを見ながら、俺は唇を噛んで音叉ハンマーを振り下ろした。
カァン! カァン! カァン!
槌が七度落ちるあいだに、水槽の中の血の雫が黒い銀糸のように湧き上がり、折れた付け根の上に、一寸、二寸と刃の形を織り上げていった。俺の左手首の火傷の痕が前腕の下のほうへさらにひと節広がり、額に落ちた髪のあいだに白髪が二本、新たに混じった。二十年のあいだ止まっていた時計が、槌を打つたびにゼンマイを巻かれているかのようだった。
ついに蒸気が晴れたとき、作業台の上には、ひんやりした二重の血溝が刻まれた、完全な左利きの細剣(No.031)が置かれていた。ルカンが左手で柄を握り、虚空に短く水平を引くと、刃は風を裂きながら、65の脈とまったく同じ音で低く共鳴した。
音叉ハンマーを置いた俺は、作業台の下に置いた水桶に、焼けるように熱い左手首をしばらく浸した。冷たい水に触れると、ジュッと音がしそうな熱が、手首から前腕の下のほうの血管を伝って、ゆっくり引いていった。二十年前、99層の工房で地位を捨てて降りてくるとき、両手の魔力回路を焼いて以来、俺の右手は記憶を読めない代わりに、熱と痛みと物の質感をそのまま感じ取る普通の職人の手として残り、烙印の残る左手は、巨大な記憶が通り過ぎるたびにその重みを火傷として受け止めなければならなかった。
「店主さん、手首、また腫れてますよ」
シオンが心配そうな顔で乾いたタオルを持ってきて、俺の前腕の水気をそっと拭いてくれた。ルカンとイヴの視線が同時に、俺の左手首にとどまった。
「大丈夫だ。一層で盾兵の肩当てを直したときよりは痛くない。少なくとも今回の剣は、主人がそばで自分の血を差し出してくれたおかげで、記憶が素直に道を開いてくれたほうだからな」
俺はタオルで水気を拭き、左手にふたたび黒い木綿の布を巻きつけながら、細剣(No.031)の柄を眺めた。誰かがはるか昔から、心臓が人と違う速さで打つことになる者のために、この左利きの細剣を下の階へ送り出したのだという胸の内までは、あえて口に出さなかった。客が尋ねていない記憶の底まで洗いざらいさらけ出すのは、良い修繕職人の礼儀ではないからだ。
代わりに俺は、ルカンが新しく鍛え直された細剣を左の腰の鞘に納めようとしたとき、鞘の革の口の縫い目が半寸ほどほつれているのを見つけ、右手の錐と蝋引きの糸で、手早く二針縫い足してやった。
「柄と刃が半寸長くなりましたので、鞘の口もそのぶん合わせておかないと、抜くときに引っかかります。付け根に残っていたひびも主人の血で完全に埋めましたから、もう並大抵の冷気では折れないでしょう。鞘の修繕はツケ代に入れないおまけですので、そのままお使いください」
ルカンは鞘の口の結び目を指先で確かめると、最初よりずっと柔らかくなった声で、短く答えた。
「細やかな仕事ですね。大切に使います」
隣でその様子を見ていたイヴが、自分の腰の黒銀の短刀の鞘を軽く撫でながらつぶやいた。
「私の短剣も、あの日の鐘楼で切っ先が半寸ほど裂けた。余裕ができたら、それも診てもらえるか?」
「ツケ帳に二行ずつ書かれるのはごめんです。まず今回のツケをきちんと払い終えていただければ、そのとき正式な依頼としてお受けしましょう」
俺がしれっと真鍮の拡大鏡眼鏡をくいと押し上げて答えると、天幕の中に初めて、ひと息つくような短い笑みの気配がよぎった。ペク・ユラもほっと息をつき、作業台の端に置いた茶瓶を持ち上げて、冷めていく茶を新しく注ぎ足した。一層の修繕屋と十四層の聖堂のあいだを、カプセル(No.022)ひとつだけで行き来していた縁が、二十層の灰色の霧の中で、ようやく人の温もりを持つ契約で結ばれる瞬間だった。セドリックまでが茶碗をひとつ受け取って重々しく頭を下げると、狭い天幕の中には、外の追跡劇とはかけ離れた、工房ならではの穏やかな温もりが漂った。
俺は冷めていく鉄の水槽の溶けた鉄を小さな坩堝に注ぎ出しながら、底に沈んだ白い銀色の不純物の粒を小さな薬包紙に包んで、ルカンに差し出した。四十層の教団が寄生体の毒気を閉じ込めるために使っていた封印の銀の粉が、細剣の古代合金の糸に押し出され、結晶になって固まったものだった。
「審問官殿、柄から抜け出したこの銀の粉もお持ちください。二十七層の競売場の金庫の錠前は、たいてい四十層と同じ封印回路を使っていますので、鍵穴にこの粉をほんの少し振り込めば、監視の魔法が主人の血を味方と取り違えて、半拍ほど遅れて鳴るはずです」
ルカンが薬包紙を受け取り、外套の内ポケットにしまい込むのを確かめてから、俺は作業台の右の引き出しから、ツケ帳とともに、前の主人の金庫帳簿(No.030)から書き写しておいた保管契約の目録の写しを一枚取り出して広げた。
「修繕代と、カプセルの往復に使った上昇気流弾の代金、それに半月分のツケの利息まで合わせると、かなりの額になりますが……金の代わりに、仕事をひとつということにしましょう。二十七層の競売場の地下に、私が九十九層の工房から降りてきた二十年前に、前の主人が預けておいた、丸い結び目の印章のついた小さな鉛の箱があります。今回の対面が終わったら、私どもは店の仕事を見るだけで、上の階の争いには首を突っ込みません。審問官殿が二十七層でお一人でその箱を落札して、カプセルで下へ送ってくださるなら、ツケ帳のこの行は、きれいに消して差し上げます」
「公正な取引ですね。二十七層から、必ず下へ送ります」
ルカンは掛け売りの請求書の下端に、先が内へ折れた線で署名を残した。俺がその上に『ツケ転換――27層保管遺物の引き渡し条件』の判を押し、帳簿を閉じようとしたところだった。天幕の片隅で九つ結びの傘(No.017)を抱えて立っていた少年シオンが、盾兵のブーツの先についた十三層の灰白色の泥を見て、震える足取りで二歩前へ出た。
(『塔にただ一軒の古道具屋』第26話 了)
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