第10話 九十九番目の試薬瓶と白い雨合羽の影
真鍮のカプセルが打ち上げられた垂直廃棄物落下口の、漆黒の通路の果て。
遥か上空、十四番目の層の高度のあたりで、黒赤い稲妻が一度、宙を裂いた。
カッ——!
その刹那の閃光の中で、左手の黒い木綿の布に魔力を集中させて上空の気流の波長を読んでいた俺の視界を、奇妙な残像がひとつよぎった。
逆さに噴き上がる14層の豪雨のただ中、雨水の一滴も付いていない真っ白なフード付きの雨合羽を深くかぶった無言の回収人が、鐘楼の手すりの上に立っていた。
そしてまさにその回収人の鼻先へ、俺の打ち上げた真鍮のカプセル(No.022)が到着して弾け開き、闇を裂く一筋の黒赤い二重螺旋の剣光が白い雨合羽の影と正面からぶつかり合って、嵐のような波長を爆ぜさせた。
「うわぁ……! 店主さん、いまあの空の上で赤い星みたいな光がきらっと閃きました! 配達がちゃんと届いたみたいです!」
手すりを掴んで爪先立ちしていたシオンが、顔を輝かせて笑いながら叫んだ。
俺の肩に乗っていた銀色の毛玉、ハルも上空の不吉な気配が一歩退いたのを感じ取ったのか、喉を鳴らしながら俺の首筋に柔らかな頬をすり寄せた。
「ああ。受取人の確認まで綺麗に済んだな」
俺はシオンの頭を一度軽く撫でてやり、手すりから踵を返した。
「今夜の夜間特送の手当は明日の台帳につけておくから、もう宿舎へ戻って寝ろ、シオン」
「はい! 明日の朝、また来ますね、店主さん!」
シオンが黒い雲の傘を杖のように突きながら、元気よく広場のほうの路地へと駆けていった。
俺はゆっくりと足を運び、零時近い時刻の静まり返った〈1層唯一の古道具・修繕屋〉へと戻った。
扉を閉めて閂をかけると、騒がしかった14層の嵐が遠い世界の出来事であるかのように、店の中には馴染みの油の匂いと静寂だけが漂った。
俺が作業灯を点けるなり真っ先に確かめたのは、作業台の隅のガラス棚の上の四本目の試薬瓶だった。
[14層:沈黙の大聖堂]
宵の口までは瓶を割らんばかりに荒々しく揺れ動いていた瓶の中の真紅の霧は、いまや嘘のように静かに落ち着き、毎分六十二回ほどの深く規則正しい呼吸で穏やかに輝いていた。
その隣の[47層]、[62層]、[88層]の試薬瓶も、もう震えてはいなかった。
「三度目の山場までは無事に越えたらしいな、ルカン・ヘイル。そしてイヴ・ヴェスパー」
俺は独り言のように低く呟きながら、作業台の椅子の下に膝をついた。
床の古びた楢の板を二枚外すと、三重の魔力錠で封印された小さな鉛の金庫が姿を現した。
俺は黒い木綿の布を巻いた左の掌を、金庫の扉の真ん中に乗せた。
二十年前、俺がこの塔の最も高い場所で自らすべての職位を捨てて降りてきたとき、俺の左の掌と手首に刻まれた「首席調律師の烙印」が、黒い木綿の布の下でほのかな金色と真紅の光となって同時に脈動した。
カチャリ。スゥ……。
鉛の金庫の扉が開いた。
その中には、棚の上の四本の試薬瓶よりもはるかに古く濃い闇を湛えた、漆黒の黒水晶の試薬瓶がひとつ、ぽつんと置かれていた。
色褪せた羊皮紙のラベルの上に記された、俺の昔の筆跡。
[99層:第一封印調律室 — 原型試料]
黒水晶の試薬瓶の内側で、長いあいだ眠っていた金色の火の粉がひとつ、俺の左手の烙印に反応してごくゆっくりと瞬いた。
上へ行くほど深淵が深まるこの逆さの塔で、俺が直して送り上げた品々が、いずれこの九十九番目の扉を再び叩くことになるのを、俺は知っていた。
俺は黒水晶の試薬瓶を金庫の中にそのまま残して蓋を閉め、作業台へ戻ると、素手の右手で古びた万年筆を取り上げた。
カリ、カリ。
修繕台帳第一号の二十二行目が、静かな夜の空気の中で埋められた。
[品番 No.022]
- 品名:逆流気流送出用の真鍮配送カプセル(内部収納:復元された黒銀の処刑人の銀の短刀 No.020)
- 処置:77層上昇気流核の結合および14層外郭の鐘楼高度への標的発射完了。
- 収入:掛け(追って14層の刃の持ち主たちに直接請求する予定)
- 備考:14層の上空にて白い雨合羽の影を確認。近いうちにより高い層の品々が店の扉を叩くことになりそうだ。
俺は万年筆のキャップを閉め、作業灯の芯を半分ほど絞った。
誰もが上を見上げる塔の最も低い1層の隅で、俺は明日の明け方に落下口へ落ちてくる二十三番目の壊れた品を待ちながら、静かに目を閉じた。
(『塔にただ一軒の古道具屋』第10話・シーズン1前半 了)
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