第94話 kidnap
駅前で美玲達と別れた雛は、一人で家路についていた。
夕暮れの街。
人通りは徐々に少なくなっていく。
その後方。
黒塗りの電気自動車のミニバンが停車していた。
車内には三人の男。
全員が黒づくめの服装で顔を隠している。
運転席の男が、歩く雛を見つめながら小さく呟いた。
「あれが標的の少女だ」
後部座席の二人が無言で頷く。
「この先に人気のない通りがある。そこで実行するぞ」
男達は静かに車を走らせた。
◇
雛が人気のない通りへ入る。
静かに追いかける電気自動車。
スライドドアを開けた状態で雛に並び、中から二人の男が雛を捕獲せんと素早く飛び出す。
完璧なタイミングだった。
男達が、このタイミングで誘拐に失敗した事は一度もない。
だが。
そこに雛の姿はなかった。
「何!?」
「何か用?」
後ろから聞こえた声に、男達は反射的に振り向く。
気付いた時には。
二人の胸。
心臓の真上へ、雛の拳が静かに添えられていた。
次の瞬間。
二人は声もなく膝から崩れ落ちる。
運転手の男が慌てて車を飛び出した。
「お前、ただの高校生じゃないのか!?」
「ただの高校生だけど?」
「まあ、いい。俺をこの二人と同じだと思……なっ!?」
言い終わるより早く。
雛がウエストから取り出した蛇腹剣が、男の身体から顔へ巻き付いていた。
「動くと首が落ちる」
「ま、待ってくれ!」
「依頼者は?」
冷や汗を流しながら雛を見つめる。
男の喉が、ごくりと鳴った。
「俺達はキッドナップのプロだ。軽々しく依頼者の名前は出せない……」
「馬鹿なの?…………死ぬの?」
男は瞬時に理解した。
目の前の少女は脅しているのではない。
本当に殺す。
「わ、わかった! 言う、言うから!」
「早く」
「ヒース……ヒース・ハワードだ……」
「やっぱりスパイ……」
「お前を誘拐して、長時間拘束しろとの依頼だ。怪我をさせるなとも言われている」
「他には?」
「計画が終了したら連絡するから、その時にお前を解放するようにと……」
「そう……」
「これで全部話したぞ! 拘束を解いてくれ!」
雛は無言でスマートフォンを取り出した。
どこかへ電話を掛ける。
「紫亜さん、誘拐されそうになったんだけど、これは殺してもいいやつ?」
『すぐ参りますので、少々お待ちくださいね』
「わかった」
◇
三分も経たないうちに、紫亜が現れた。
「お待たせいたしました」
「これ」
雛は蛇腹剣で拘束した男へ視線を向ける。
先ほど倒れた二人は、まだ気絶したままだった。
紫亜は何も言わない。
蛇腹剣で拘束された男を手際よく気絶させる。
続いて三人をロープで拘束し、猿轡を噛ませていく。
流れるような動きだった。
「あとはお任せください。雛様は先にお家へ」
「わかった」
「クッキーと紅茶を用意しておりますので、冷めないうちにお召し上がりください」
「うん」
帰っていく雛を見送りながら、紫亜はスマートフォンを取り出した。
どこかへ一本の電話を掛ける。
それから間もなく。
紫亜が駆け付けた時よりも速い時間で、一台の黒い乗用車が現れた。
車から降りた男が、誘拐犯達のミニバンへ乗り込む。
三人の襲撃者を乗せたミニバン。
黒い乗用車。
二台は同時に走り去っていった。
紫亜は、その様子を無言で見送った。
◇
哀沢家。
雛はクッキーを食べながら紅茶を飲み、スマートフォンを眺めていた。
「ハワード財団……」
その時。
玄関のドアが開く音がした。
「おかえり」
「ただいま帰りました」
「紫亜さん」
「はい」
「学校に、ヒース・ハワードって新任教師が来た」
紫亜は静かに頷く。
「なるほど……では、ここからは私の仕事ですね」
「わかった」
◇
その日の夜。
ハワード財団の持ち株の六割がウエストガーデングループに買い占められ、事実上ハワード財団という名前はこの世から消える旨のニュースが発表されていた。




