第85話 影山仁
放課後の校門前に、雛、美玲、楸、姫奈、仁の五人が集合していた。
「んじゃ、ジムまで移動な」
楸が歩き出す。
「腕が鳴りますわ!」
姫奈は拳を握り締める。
雛、美玲、楸が並んで歩き、その少し後ろを姫奈と仁が並んで歩いていた。
「雛、初めての後輩なんだから、やりすぎちゃダメよ?」
「手加減する」
即答する雛。
楸が苦笑した。
「哀沢の手加減は、あくまで死なないようにするだからな……」
「違うの?」
「高山相手にした時よりは、控えめにな」
雛は少し考えた。
「……わかった」
その返事を聞いた美玲と楸は、乾いた笑いを漏らした。
やがてジムに到着すると、事前に知らせを受けていた高山が入口で待っていた。
「お疲れ様です!」
「よう!」
楸が手を上げる。
高山は姫奈を見る。
「その子が中学女子チャンピオンの、城ヶ崎姫奈ですか」
「城ヶ崎姫奈ですわ!」
「姫奈の幼なじみの影山仁です」
「楸先輩の後輩の高山です。よろしく!」
「立ち話もなんだし、入ろうぜ」
「あ、そうですね!」
一同は休憩室へ入った。
荷物を置くと、高山が姫奈へ尋ねる。
「城ヶ崎さん、本当に哀沢さんとスパーするの?」
「もちろんですわ! 楸先輩の前で、どちらが強いか証明してみせますの!」
楸は少し言い淀む。
だが、意を決したように口を開いた。
「あのな、城ヶ崎。哀沢とやってからにしようか迷ってたんだが……」
「なんですの?」
「……哀沢は、俺より強ぇぞ」
姫奈の笑顔が止まる。
「え……? 何を仰ってるのか意味が分からないですわ!」
「哀沢は後輩だが、俺の師匠でもある。それでもやるか?」
しばらく考え込む姫奈。
そして顔を上げた。
「と、いう事は、私が哀沢先輩に勝てば、一足飛びに私が一番強い事を証明できるということですわね!」
「楸先輩に憧れてたんじゃないの!?」
美玲が思わず突っ込む。
「憧れてますわ! 世界チャンピオンなんですから」
「じゃあ、なんで?」
高山が首を傾げる。
「世界チャンピオンが師匠と呼ぶ方を倒せば、憧れを越えるチャンスですもの!」
仁が静かに続けた。
「姫奈は総合をやり始めてから負けた事がないんです。だから、同じく無敗の楸先輩に憧れ、越える機会を求めて華園学園へ入学したんですよ」
「そういうことか」
楸は納得したように頷いた。
「やるの? やらないの?」
雛が淡々と尋ねる。
「もちろん、やりますわ!」
雛と姫奈はリングへ移動し、フィンガーレスグローブを着けて向かい合った。
楸は仁へ視線を向ける。
「影山だったな。いいのか? 止めなくて」
「姫奈の負けず嫌いは筋金入りなんで、ここで止めてもまた挑みますから」
「負けるよ?」
高山が真顔で言う。
「今日負けても、勝つまで挑み続けるでしょうね。総合やり始めてから負けた事はないですが、喧嘩でも何でも勝つまで諦めないですから」
「なんでそこまで勝ちに拘る?」
楸の問いに、仁は少し目を伏せた。
「あいつ、お嬢様育ちですけど、勝利以外に価値はないっていう父親からの教育のせいで、あんなふうになっちまったんです」
「親父さん怖ぇ」
高山が小さく呟く。
楸は仁を真っ直ぐ見た。
「なあ、影山。勝つまで挑み続けるって言ってたけど、勝つ手段が殺すしかない場合、城ヶ崎はどうするんだ?」
「どういうことですか?」
「哀沢雛は、そういう存在だ。そして、あいつに殺意を向けたら、その瞬間、城ヶ崎は死ぬぞ」
「そこまでですか!? いや、その時は……俺が」
「影山君?」
「いえ、何でもないです」
リングの上では雛と姫奈が向かい合っていた。
「スパーだが、総合ルールで五分な」
「わかった」
「いつでもよろしくてよ」
ゴングが鳴る。
「雛、手加減だよ?」
美玲が念を押す。
姫奈は距離を詰め、牽制の打撃を次々と放つ。
だが雛は全てを紙一重で避ける。
打撃をフェイントにタックル。
組み技への移行。
次々と仕掛ける姫奈。
しかし、その全てが捌かれ、いなされ、決定打にならない。
「先輩のディフェンスがお上手なのは分かりましたわ。でも、まだ一度も攻撃されてませんわよ?」
「いいの?」
「ええ、どうぞ! 当てられるものなら――」
言葉が終わる前。
雛の神速のジャブが姫奈の顔面を打ち抜いた。
「速っ! え!?」
続けざまに放たれるジャブ。
全てが姫奈の顔面へ吸い込まれる。
姫奈は慌てて距離を取った。
(この距離なら打撃に来ても見極められますわ。ストレートを掴んで三角絞めに持ち込めば……)
雛がゆっくり踏み込む。
(来る!)
次の瞬間。
気付けば右ストレートが姫奈の顔面へ突き刺さっていた。
「見えないストレートだ!」
高山が叫ぶ。
「雛、やりすぎよ!」
美玲が額を押さえた。
「化け物か!?」
仁も思わず声を漏らす。
「だから言っただろ。ゴング鳴らすぞ!」
楸が止めに入ろうとする。
「まだですわ!」
「え?」
「まだダウンしてませんわよ」
「わかった」
音もなく姫奈の背後へ回る雛。
姫奈が気付いた時には、チョークスリーパーが完成していた。
「がっ!」
苦しむ姫奈。
それでもタップしない。
「……やめろ」
仁が呟く。
「え?」
美玲が振り向く。
「姫奈をいじめるなーーー!!」
トップロープを飛び越え、リングへ飛び込む仁。
そのまま雛の顔面へ蹴りを放つ。
だが雛はあっさり避けた。
「ふー……ふー……っ!」
興奮した仁は雛を睨みつける。
「姫奈は常に勝たなきゃいけない。姫奈が勝てない相手は……俺が排除する……!」
「やめろ! 殺意を向けるな!」
楸が叫ぶ。
「哀沢さん!」
高山も声を上げる。
「雛! 殺しちゃダメよ!」
美玲も叫ぶ。
「殺る気?」
雛は静かに尋ねた。
「必要ならば!」
その間に楸と高山が姫奈をリングから降ろす。
同時に仁が姫奈を遥かに超えるスピードで雛へ迫った。
超高速の連撃。
だが一発も当たらない。
仁は距離を取る。
「殺す……」
雛は無言で引導流独特の構えを取った。
「雷神!? やめろ、哀沢! 殺すな!!」
楸が叫ぶ。
仁が動き出すより速く、雛が踏み込む。
迎撃しようとした仁の前で――
拳が届く二メートル手前。
空気が弾ける音が響いた。
仁の顔面が風圧で波打ち、そのまま意識を失う。
「風神か……」
楸が静かに呟く。
「よかった……」
高山は胸を撫で下ろした。
「よく我慢したわ、雛!」
美玲が安堵の息をつく。
「後輩だから優しくした」
雛は淡々と言った。
やがて仁が目を覚ます。
その隣では、先に意識を取り戻していた姫奈が心配そうに覗き込んでいた。
「姫奈……ごめん」
「馬鹿ですわ……」
二人は立ち上がる。
「今日は帰ります。お詫びはまた明日にでも改めて」
「失礼いたします」
帰ろうとする二人へ、雛が声を掛けた。
「姫奈、仁」
二人が振り返る。
「またね」
帰り道。
並んで歩く姫奈と仁。
「あんな人がいるとは……」
「まさしくアンタッチャブルでしたわね」
「明日会ったら、ちゃんと謝ろうな」
姫奈は静かに微笑む。
「本当に憧れる存在に出会った気がしますわ」
「姫奈?」
「お姉様……」
「ん?」
何やら悪寒を感じ、身震いする雛だった。




