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第8話 勧誘


 総合格闘技部の道場には、何とも言えない空気が漂っていた。


 倒れているのは部のエース。


 倒したのは今日初めて体験入部に来た一年生。


 しかも女子。


 さらに本人は何が問題なのか全く理解していない。


「大丈夫ですか?」


 雛が心配そうに尋ねる。


 部長は倒れたエースと雛を見比べた。


「大丈夫じゃないと思う」


 思わず本音が漏れる。


 エースはまだ目を覚まさない。


 周囲の部員達もどう反応していいのか分からず固まっていた。


 特に女子部員達の動揺は大きい。


「入部するのかな……」


 一人がぽつりと呟く。


「したらどうするの?」


 別の女子部員が真顔で返した。


「どうするって?」


「毎日あれと練習するの?」


 全員の視線が自然と雛へ向く。


 しばらく沈黙が流れた。


「嫌なんだけど」


「分かる」


 即座に同意が返る。


「でも本人、何もしてない顔してたよね」


「それが怖いんだって」


 再び全員が頷いた。


 悪意が無いことは分かる。


 むしろ真面目で礼儀正しい。


 だからこそ余計に怖かった。


 その頃、道場の入口付近では別の意味で騒ぎになっていた。


 空手部。


 柔道部。


 ボクシング部。


 それぞれの部長達が総合格闘技部の見学へ来ていたのだ。


 本来なら新入生の勧誘が目的だった。


 しかし今は違う。


 三人とも同じ方向を見ている。


 視線の先にいるのは哀沢雛だった。


「欲しいな」


 空手部部長が呟く。


「うん、欲しい」


 柔道部部長も頷く。


「欲しいぞ」


 ボクシング部部長は腕を組みながら断言した。


 意見は完全に一致していた。


 やがて帰ろうとしていた雛の前へ三人が立つ。


「君」


 空手部部長が笑顔を向ける。


「空手どう?」


「柔道もいいぞ」


「ボクシングも面白いぞ」


 いきなり囲まれた。


 雛は困る。


 こういう状況には慣れていなかった。


 戦うなら簡単だ。


 だが相手は敵ではない。


 どう対応すればいいのか分からない。


 しばらく考えた末、隣にいた美玲へ助けを求めた。


「美玲」


「ん?」


「どうしよう?」


 美玲は少し考える。


 そして楽しそうに笑った。


「どうせなら他の部も体験してみたら?」


 完全に好奇心だった。


 面白そうだから。


 ただそれだけである。


 だが雛は真面目に考えた。


 空手。


 柔道。


 ボクシング。


 確かにどれも興味はある。


「……それもいいかも」


 その瞬間、三人の部長達の表情が明るくなった。



 帰り道。


 美玲は上機嫌だった。


「人気者じゃん」


「そうかな」


「そうだよ」


 雛には実感が無い。


 ただ体験入部をしただけだ。


 それなのに何故か色々な部活から声を掛けられている。


「次も誰か気絶させるの?」


 美玲が冗談交じりに聞く。


「しないと思う」


「本当に?」


「手加減するし」


 その返事を聞いた美玲は呆れたように笑った。


「それ、さっきも聞いた気がする」


 雛は首を傾げる。


 意味が分からなかった。


 ちゃんと手加減した。


 その認識しか無いのである。



 帰宅すると、いつも通り紫亜が出迎えた。


「ただいま」


「お帰りなさいませ」


 雛は鞄を置き、そのままリビングへ向かう。


「紫亜さん」


「はい」


「総合格闘技部に入ろうと思ってたんだけど」


「はい」


「他の部活からも誘われた」


 紫亜は少し驚いた様子を見せた。


「何部ですか?」


「空手部」


「はい」


「柔道部」


「はい」


「ボクシング部」


「はい」


 話を聞き終えた紫亜は少し考える。


 そして穏やかに微笑んだ。


「楽しそうですね」


「全部体験してもいい?」


「もちろんです」


 紫亜は即答した。


「せっかくですから色々見てきてください」


 雛は頷く。


 少し楽しみになってきた。


 どの部活も面白そうだった。

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