第74話 震撼
フェス前日。
放課後の軽音部には、部員全員が集まっていた。
明日の本番に向けた、最後の音合わせである。
雛以外は、全員が緊張した面持ちでいる。
原田は部員達の顔を順に見てから、明るく声を出した。
「じゃあ、全員で合わせてみるよ!」
その声に、武藤、小谷、松本がそれぞれ持ち場につく。
本郷は演奏こそできないが、すぐ近くで見守っている。
美玲も邪魔にならない位置から、そわそわと様子を見ていた。
雛はいつものように静かにギターを構える。
原田が合図を出す。
演奏が始まった。
練習初日とは比べものにならない。
武藤のドラムは力みが抜け、曲全体を支えている。
小谷のキーボードは以前よりも音の輪郭がはっきりし、松本のベースも迷いなくリズムを刻んでいた。
原田の歌も、雛のギターに引っ張られすぎることなく、曲の中心に立っている。
全員が、雛に遅れることなく最後まで演奏し切った。
「すごーい!」
演奏が終わった瞬間、美玲が声を上げた。
本郷も笑顔になる。
「完璧ね!」
部員達の顔に、ほっとしたような達成感が広がる。
だが、部長の原田だけは、ほんの少しだけ違和感を持っていた。
演奏は良かった。
全員がついていけていた。
それなのに、何かが引っかかる。
原田はその違和感を言葉にしようとして、部員達の満足そうな顔を見た。
そして、言葉にするのを止める。
「自主練の甲斐はあったようね」
武藤がスティックを軽く回して笑う。
「哀沢さんと合わせてみて、実感できたわ」
小谷も鍵盤から手を離し、深く息を吐いた。
「今までで一番練習したかも」
松本はベースを抱えたまま、安堵した顔で笑った。
「遅れずについていけました!」
雛は静かに頷いた。
その後も何度か合わせる。
回数を重ねるたび、全員の呼吸は少しずつ合っていった。
原田は最後の演奏を聴き終えると、満足そうに手を叩いた。
「OK! 今日はこのくらいにして、明日に備えましょ」
一同が頷く。
「明日は会場前に九時集合だから、遅れないようにね!」
それぞれが片付けに入ろうとしたところで、原田がはっとした顔をした。
「あっ! 言い忘れてた!」
帰ろうとしていた一同が振り返る。
原田は少し表情を引き締めた。
「部員は分かってると思うけど、明日のフェスは音楽関係者やレコード会社のプロデューサーなんかが観にくるから、参加者はうちら以外はプロ志望かセミプロばかり」
「すごいですね!」
美玲が素直に驚く。
原田は苦笑した。
「だから、うちらに対して、出られなかった他のバンドやそのファンから野次が飛んだりするかもしれないけど、気にしないようにね!」
「はい!」
一同の返事が部室に響いた。
◇
哀沢家。
「ただいま」
「おかえりなさいませ」
雛が帰宅すると、紫亜はいつものように迎えた。
その日の夕食は、普段より少しだけ品数が多かった。
リビングで向かい合い、夕食を食べながら話す。
「いよいよ明日ですね」
「うん」
雛は普段と変わらない様子で頷く。
だが、視線はどこか明日のことを見ているようだった。
紫亜はそれを見て、穏やかに微笑む。
「私も楽しみにしていますよ」
「わかった」
雛は短く答え、また箸を進めた。
◇
翌日。
会場前。
部員達五人は、集合時間の二十分前から揃っていた。
原田、武藤、小谷、松本。
そして、怪我をして演奏はできない本郷もいる。
それぞれ少し緊張しながらも、昨日の最終練習や雛の演奏について話していた。
「昨日の感じなら、かなりいけると思うわ」
原田が言う。
「問題は、本番で緊張しないかよね」
武藤が肩を回す。
「もう緊張してるー」
松本が苦笑する。
本郷は笑っていたが、どこか悔しそうでもあった。
そこへ、紫亜の運転するミニバンが静かに停まる。
スライドドアが開き、美玲とギターケースを持った雛が降りてきた。
「おはよう哀沢さん」
「おはようございます」
雛はいつも通りに頭を下げる。
その手にあるギターケースに、本郷がいち早く気づいた。
「マイギター?」
武藤も目を丸くする。
「この本番のためにわざわざ?」
小谷が楽しそうに笑う。
「気合い入ってるー!」
松本も興味津々でケースを見る。
「すごいねー」
雛はケースを少し持ち直した。
「紫亜さんが用意してくれた」
美玲はしみじみと呟く。
「さすが紫亜さん……」
紫亜は運転席から軽く会釈し、穏やかに見送った。
◇
会場内の楽屋。
全バンドが一部屋に入れられていて、あちこちでチューニングの音が聞こえる。
ギターの弦を弾く音。
ベースの低い響き。
ドラムスティックが膝を叩く音。
小さな声で発声練習をする者もいる。
学校の部室とはまるで違う空気だった。
「緊張するー!」
松本が肩を縮める。
武藤は苦笑した。
「出番はまだ先でしょ」
「落ち着きなさい」
小谷もそう言うが、表情は少し硬い。
原田は出演順を確認して言った。
「今日の出演は八組、うちらの出番は七番目よ」
本郷が思わず聞き返す。
「トリ前ですか?」
「くじ引きだからしょうがないわよ」
原田はそう言うが、その表情にも少し緊張がある。
美玲は雛を見る。
「雛、落ち着いてるね?」
「大丈夫」
雛は静かに頷いた。
「じゃあ、私は紫亜さんと客席で観てるからね!」
「うん」
美玲は手を振り、楽屋を出ていった。
◇
客席はすでに満員だった。
関係者席には、レコード会社のプロデューサーの姿も見える。
紫亜は中段後方辺りの席で、美玲と共にステージを見ていた。
会場の照明が落ちる。
ステージが一瞬暗転した。
次の瞬間、眩いライトと共に一組目のバンドが登場する。
テクノポップ系のバンドで有名らしく、演奏前から声援が飛び交った。
電子音が鳴り、リズムが重なる。
観客が一斉に手を上げ、会場の温度が一気に上がった。
「上手いー!」
美玲が感心する。
紫亜は静かにステージを見ていた。
「なかなかですね」
二組目は重厚なロックバンドだった。
荒々しいギターと力強いドラムで、会場を一気に揺らす。
三組目はバラード中心のバンドで、先ほどまでの熱気を静かに引き込むように聴かせた。
四組目は技巧派のインスト寄り。
関係者席の何人かが、演奏中に小さく頷いている。
五組目は明るいポップロックで、観客を巻き込みながら楽しげにステージを終えた。
その後も五組目まで順調に演奏が続き、会場の熱気は途切れることなく高まっていった。
◇
楽屋。
「いよいよ次の次ね」
原田が小さく息を吐く。
「腕が鳴るわね」
武藤が笑う。
「ドキドキするー」
小谷が胸に手を当てる。
松本はベースを抱え直した。
「そろそろチューニングしときます。哀沢さんもしといたら?」
「うん」
雛はギターケースを床に置き、留め具を外す。
ケースからギターを出した瞬間、一同の視線が集まった。
黒地に金のライン。
雷を思わせる鋭いデザイン。
ただ置かれているだけで、妙な存在感があった。
「なんか、迫力あるわね」
原田が呟く。
松本はまじまじと見ている。
「かなり高いですよ……」
「見れば分かる」
武藤も頷いた。
小谷は目を輝かせる。
「ビームとか出そう!」
本郷は静かに見つめ、素直に言った。
「かっこいい」
雛は、本郷のかっこいいに嬉しそうな顔をした。
◇
六組目の演奏も終了し、いよいよ雛達の出番になる。
「袖から見てるからね!」
本郷に見送られ、五人はステージへ向かった。
照明の熱。
客席のざわめき。
広いステージ。
部室とは違う空気が、全員の肌に触れる。
司会の紹介が入った。
学生だけのバンド。
その言葉が客席に伝わった瞬間、一部から野次が飛んだ。
「学生だけのバンドって場違いじゃねえのか!」
「どうせロクな演奏しねえんだろ!」
「そうだそうだ!!」
客席の中段で、美玲が顔をしかめる。
「なんなの、あの人達!」
紫亜は静かにステージを見ていた。
「マナーが悪いですね」
その時、一人の男が立ち上がった。
さらに大声で野次を飛ばそうとする。
「引っこーー」
次の瞬間、男が白眼を剥いて気絶した。
周囲の観客が驚いてざわつく。
ステージでは、男の方を向いて雛が軽く口を開いていた。
まるで指向性スピーカーのように、男だけに向けて音圧を叩きつけ、気絶させていた。
「……さすが雛様」
紫亜が静かに呟く。
美玲が目を剥いた。
「何したか気づいてるの紫亜さんだけ!?」
ステージ上では、武藤がスティックを構える。
ドラムのカウントが始まった。
演奏が始まる。
最初の一音で、客席の空気が変わった。
学生とは思えない演奏に、ざわめきが広がっていく。
原田の歌が会場に通り、武藤のドラムがそれを支える。
小谷のキーボードが音に厚みを加え、松本のベースが全体を押し上げる。
そして雛のギターは、その中心にありながら、決して周囲を壊さない。
華薗学園軽音部の演奏は、明らかに客席の想像を超えていた。
「みんなすごい!」
美玲が身を乗り出す。
紫亜は静かに頷いた。
会場の熱が高まる。
観客の手拍子が増え、さっきまで野次を飛ばしていた者達も声を失っていた。
そして、曲は大サビ前へ入る。
ギターソロ。
その瞬間、関係者や演者を含めた全ての人間が震撼した。
雛の超絶ギターソロ。
音が走る。
雷のように鋭く、嵐のように激しい。
それでいて、曲そのものを壊さない。
むしろ、曲の中に眠っていた熱量を一気に引きずり出していた。
関係者席のプロデューサー達が、思わず身を乗り出す。
楽屋で出番を待つ者達も、モニター越しに言葉を失っていた。
その音を聴いた瞬間、原田は違和感の正体を理解した。
雛は皆に合わせてクオリティを下げてたどころか、部室で披露したギターですら本気でなかったのだと。
演奏は最後まで駆け抜けた。
暗転。
一拍遅れて、大歓声が爆発する。
拍手。
叫び声。
ざわめき。
その全てを背に、五人はステージを降りた。
興奮の坩堝の中、トリのバンドの演奏を聴いている者はいなかった。




