第70話 雷神
決勝戦前。
道場では長めのインターバルが設けられていた。
才谷は静かに身体を動かしている。
肩を回し。
拳を握り。
最後の調整を続けていた。
一方。
雛は畳の上へ静かに座っている。
目を閉じ、呼吸を整えるだけだった。
祥子が雛を見る。
「いよいよ決勝ね!」
高山は才谷へ視線を向ける。
「あのパワーはヤバいんじゃない?」
美玲は笑顔で拳を握った。
「頑張ってね!」
楸が苦笑する。
「お前ら聞き方が間違ってるぜ」
「え?」
祥子が首を傾げる。
雛が楸を見る。
楸は口元を緩めた。
「どうやって勝つんだ? 師匠」
「ふふ」
雛は小さく微笑んだ。
美玲も笑う。
「雛だもんね」
雛は祥子を見る。
「祥子ちゃん」
「ん?」
「あの人、丈夫そうだね」
祥子と楸の背筋に冷たいものが走る。
美玲と高山だけは、その意味に気付いていなかった。
◇
才谷は考えていた。
力は自分が上回っている。
一回戦で見せた途切れない連撃も、自分のタフさなら押し切れる。
投げが通じないことも見せた。
警戒するとすれば、準決勝で見せた異様な一撃だが、組まなければ避けられるはず。
自分が負ける要素はない。
なのに。
最後に目を合わせた時の感覚が忘れられない。
まだ何かある。
そう考えて臨んだ方がいいだろうと思った。
◇
審判が中央に立つ。
「只今より決勝戦を行います」
「代表者前へ!」
二人が歩み出る。
「引導流伊集院家対引導波涛流才谷家。禁じ手はありません。よろしいですね?」
二人は頷いた。
「始め!」
開始と同時。
才谷が一気に前へ出る。
狙いは雛のガードの上から連撃を叩き込むこと。
重い連撃が畳み掛けられる。
だが。
雛は全て避ける。
一発も当たらない。
才谷は歯を食いしばる。
ならば。
投げを誘う。
腕を前へ出し、投げに来るのを待つ。
雛が前へ出る。
しかし。
腕は取らない。
鋭い前蹴りが鳩尾へ突き刺さる。
「ごっ!」
才谷の身体が揺れた。
(あの身体のどこから、こんな重い蹴りが……!)
細い脚。
筋肉質には見えない身体。
そこから放たれたとは思えない衝撃。
呼吸が止まる。
その隙を逃さない。
雛の連撃が始まる。
拳。
掌。
肘。
淀みなく繋がる。
才谷は全く抵抗できずに連撃を叩き込まれる。
それでも。
身体を捻る。
自分のタフネスを信じて。
祥子が声を上げる。
「出たわ!」
楸も驚く。
「あの連撃を食らいながらか!」
高山は息を呑んだ。
「信じられない!」
美玲も叫ぶ。
「雛! 気をつけて!」
十分な捻りを得て。
才谷は渾身の突きを放つ。
(連撃中なら、流石に避けられないはず)
その瞬間。
顎へ衝撃が走る。
雛は連撃のリズムを崩さないまま。
掌底だけを差し込んでいた。
才谷の突きは空を切る。
掌底は顎を正確に捉えていた。
身体が大きく揺れる。
それでも。
才谷は倒れない。
「こんなもんで倒せるとでも……」
雛は静かに言った。
「やっぱり丈夫」
雛は才谷に向けて引導流独特の構えを向ける。
祥子が息を呑む。
「あれは!」
楸は目を細める。
「なんだ……?」
雛が間合いを詰める。
低い体勢から伸び上がるようなアッパー。
才谷は反射的に身体を逸らす。
(避けた!)
そう思った。
次の瞬間。
顎へ衝撃。
飛び上がった雛の膝が、才谷の顎を真下から撃ち抜いていた。
頭部が跳ね上がる。
ほぼ同時。
脳天へ肘打ちが振り下ろされる。
上下から挟み込まれる衝撃。
まるで。
脳天へ雷が落ちたようだった。
雛は静かに着地し、距離を取る。
次の瞬間。
才谷の脳天から血が吹き出し、顎は砕けていた。
祥子が震える声で呟く。
「……雷神!」
審判が叫ぶ。
「ドクター!」
慌てて駆け寄るドクター。
担架が運び込まれる。
才谷は静かに運ばれていった。
審判が右手を上げる。
「勝者、引導流伊集院家!」
優勝者が決まったにも関わらず、道場の中は静まり返っていた。




