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HINA-死神の系譜-  作者: 竜堂さくら


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60/102

第60話 全力


 哀沢家。


 休日の朝。


 リビングで紅茶を飲みながら、雛は紫亜へ声を掛けた。


「紫亜さん」


「はい」


「トライアスロン出るのに、水着はいいとして、靴と自転車どうしよう」


 紫亜は穏やかに微笑む。


「用意してありますよ」


「そうなの?」


「試してみますか?」


「うん」



 二人は庭へ出た。


 朝日に照らされる一台のロードバイク。


 その横には専用のバイクシューズ。


 雛の目が少しだけ輝く。


「おお……」


 紫亜はロードバイクへ歩み寄る。


「シューズはバイク用シューズです」


 続いてフレームを軽く叩く。


「バイクは今回はオリンピックルールなので、ロードバイクをご用意しました」


 雛はシューズへ履き替え、軽くペダルへ足を乗せる。


 そのまま跨った。


「ちょっと外走ってくる」


「ええ、どうぞ」


 次の瞬間。


 ロードバイクが勢いよく飛び出した。


 静かだった住宅街から、一瞬で姿が消える。



 数分後。


 ロードバイクが庭へ滑り込んできた。


「ただいま」


「おかえりなさいませ」


 雛はバイクを降りる。


「この自転車。タイヤが丈夫」


 紫亜は静かに頷いた。


「雛様の全力に耐えられるように、特注のタイヤにしております」


「そうなんだ」


 紫亜は一枚の封筒を差し出す。


「エントリーも済ませてありますので、思い切り楽しんできてくださいね」


 雛は受け取る。


「頑張る」



 大会当日。


 紫亜の運転するミニバンが大会会場へ到着する。


 助手席には雛。


 後部座席には美玲、高山、楸。


 朝から多くの参加者で賑わっていた。


「着きましたよ」


 紫亜が車を停める。


 雛はドアを開けた。


「雛、頑張ってね!」


 美玲が笑顔で手を振る。


「哀沢さん、ファイト!」


 高山も拳を握る。


 楸は腕を組んだまま笑った。


「俺は何も心配してないぜ」


「うん」


 雛は静かに頷き、受付へ向かった。



 スタート地点。


 参加者達が緊張した面持ちで整列する。


 その中で雛だけは普段通りだった。


 黒地に金のラインが入った競技用水着。


 静かにスタートを待つ。


 号砲。


 一斉に飛び込む選手達。


「スタートした!」


 美玲が声を上げる。


「まずはスイムか」


 楸が腕を組む。


 高山はパンフレットを見ながら説明した。


「距離は1.5kmですね」


「オリンピック選手でもタイムは20分くらいみたいですけど」


 美玲は苦笑した。


「雛だから」


 楸も頷く。


「哀沢だからな……」



 約八分後。


 最初の選手が姿を現した。


「え?」


 美玲が固まる。


「雛?」


 誰よりも早く上陸したのは雛だった。


 後続は誰も見えない。


「まだ10分経ってませんけど!?」


 高山が叫ぶ。


「嘘でしょ!?」


 美玲も目を丸くする。


 楸は額へ手を当てた。


「マジか……」



 雛は素早くバイクシューズへ履き替える。


 ロードバイクへ跨る。


 一気に加速。


 あっという間に視界から消えた。


 紫亜が穏やかに言う。


「皆さん移動しましょうか」


 一同は車へ乗り込む。


 高山はスマホを見ながら呟く。


「バイクは40km。1時間以上はかかるんですが……」


 楸は苦笑した。


「高山、タイムはもう言わなくていい」


「うん、参考にならないから」


 美玲も苦笑する。


 紫亜は微笑んだ。


「雛様ですからね」



 バイクコース終点。


 大会スタッフがざわつき始める。


「一位、戻ります!」


「早すぎる!」


 四十分も経たないうちに、雛が戻ってきた。


 後続は、まだ誰も見えない。


 美玲が周囲を見回す。


「参加者って、雛だけでしたっけ?」


 楸が吹き出した。


「んなわけねぇだろ」


 高山も苦笑する。


「追いつけないだけだって……」



 ラン。


 雛はシューズを履き替え、そのまま走り出す。


 高山が反射的に口を開く。


「ランは10kmです」


 楸はすぐ止めた。


「そこまででいいぞ」


 美玲も頷く。


「聞くだけ無駄ね」


 雛は一定のフォームで走る。


 10kmを走る選手とは思えない速度。


 後続との差は開く一方だった。


 レースではない。


 もはや独走だった。


 そのままゴールテープを切る。



 大会本部。


「ありえない!」


「計測ミスじゃないのか!」


「計測チップを確認しろ!」


 スタッフ達が慌ただしく動き回る。


「異常ありません!」


「全部正常です!」


「誰なんだ一体!?」


「強化選手にスカウトするんだ!」


 本部長も大きく頷く。


「すぐに本人を──」


 その時。


 電話が鳴る。


「はい」


「……え?」


「は、はい!」


「分かりました!」


 電話を切る。


 静まり返る本部。


「どうしました?」


 本部長は短く答えた。


「あの選手へのスカウト行為は、一切しないように!」


「え?」


「上からのお達しだ……」


 誰も理由を聞けなかった。



 表彰式。


 一位の表彰台は空席だった。


 二位。


 三位。


 二人だけが祝福を受ける。



 帰り道。


 助手席には賞状とメダルを抱えた雛。


 美玲が笑う。


「表彰式、出なくてよかったの?」


 高山も頷く。


「世間の注目を浴びるチャンスだったのに」


 楸は笑った。


「そんなもんに興味ねぇんだろ」


 雛は賞状を見ながら呟く。


「楽しかった」


 紫亜は穏やかに微笑んだ。


「よかったですね」


「祝勝会用の料理を準備してあるのですが、皆さんもご一緒にいかがですか?」


 美玲が目を輝かせた。


「いいんですか?」


「もちろんです」


 雛も嬉しそうに頷く。


「楽しみ」


 高山が楸を見る。


「楸先輩、祝勝会用の料理って……」


 楸は苦笑した。


「想定通りって事だ」


「もう何も考えるな」


 高山は諦めたように笑う。


「そうします……」


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