第58話 面倒
祝勝会から帰宅した雛。
玄関の扉を開ける。
「ただいま」
すぐにリビングから紫亜が顔を覗かせた。
「おかえりなさいませ」
柔らかな笑みを浮かべる。
雛は靴を脱ぎ、そのままリビングへ向かった。
ソファへ腰を下ろす。
深く息を吐く。
「ふぅ……」
その様子を見た紫亜が静かに尋ねた。
「祝勝会は楽しかったですか?」
雛は少し考える。
「焼肉じゃなかった」
紫亜は思わず微笑んだ。
「それは残念でしたね」
「今度だって」
「先の楽しみができましたね」
「そっか」
雛の表情が少しだけ和らぐ。
紫亜はキッチンへ向かった。
「紅茶でよろしいですか?」
「うん」
しばらくして。
湯気の立つティーカップがテーブルへ置かれる。
二人は向かい合い、静かに紅茶を口へ運んだ。
穏やかな時間が流れる。
不意に。
雛が口を開いた。
「紫亜さん」
「はい」
カップを見つめたまま、小さく呟く。
「めんどくさい……」
紫亜はすぐに察した。
「楸さんを育成した件ですか?」
「なんか引っかかるけど、そう」
紫亜は静かに頷く。
「雛様なら、教えること自体は難しい事ではないでしょうから……」
紫亜は雛の表情を見つめた。
「ご自身で動けない事が、もどかしかったのですね」
雛は少し考える。
「お父さんとおじさんも、こんな気持ちだったのかな……」
紫亜は首を横に振った。
「それは違います」
「そうなの?」
「お二人は、ご身内ですから」
「身内」
紫亜は優しく微笑む。
「例えば、雛様は私に何かを教えようとした時、面倒だと思われますか?」
雛はすぐ答えた。
「思わない」
「では、美玲さんはどうです?」
「美玲は親友」
「楸さんは?」
少しだけ考える。
「……友達?」
「関係性によって、思いは変わるものです」
雛は静かに頷いた。
「そっか」
紫亜は紅茶を一口飲む。
「どこかで気分転換でもしてきたらどうですか?」
「気分転換か……」
紫亜は近くに置いてあった一枚の紙を手に取った。
「こういう物をいただいたのですが」
雛へ差し出す。
そこには、
『市民トライアスロン大会 当日エントリー可』
と書かれていた。
「トライアスロン」
「ご存知でしょう?」
「本の知識でなら」
「市民大会なので、男女問わず参加できるようですよ」
雛はチラシを眺める。
「ふーん」
紫亜は楽しそうに続けた。
「これなら思い切りやっても大丈夫かと」
雛は顔を上げる。
「いいの?」
「トライアスロンで死者は出ませんから」
「そっか」
雛はどこか嬉しそうだった。
紫亜は少しだけ悪戯っぽく微笑む。
「ちなみに……」
「ん?」
「美玲さんは、誘っても参加しないと思いますよ」
雛は勢いよく顔を上げた。
「えーー……!」
紫亜はくすりと笑った。




