第56話 一閃
リング上。
キング・ガルシアと楸優作が静かに睨み合う。
レフェリーがルール説明を行う。
しかし。
二人の視線は一度も逸れなかった。
キングが口を開く。
「ボーイ、5Rも要らない。1Rで決めさせてもらう」
楸は小さく笑う。
「チャンプ、負ける奴のセリフだぜ?」
レフェリーが二人を離した。
それぞれコーナーへ戻る。
セコンドが肩を叩く。
「どうだ?」
楸は深く息を吐いた。
「出たとこ勝負ですね」
セコンドは吹き出す。
「嘘つけ」
楸も笑った。
◇
反対コーナー。
リオンがグローブを締め直す。
「いかがですか、彼は?」
キングは楸から目を離さない。
「彼女のような怖さはない」
リオンは安堵の表情を浮かべた。
「問題ないですね」
キングは答えず、静かにゴングを待った。
◇
試合開始。
乾いたゴングが会場へ響き渡る。
互いにゆっくりと歩み寄る。
楸は探るように左ジャブを放った。
その瞬間だった。
キングの殺しの技が閃く。
ほんの僅か。
急所へ伸びた一撃。
しかし。
楸の身体は考えるより先に動いた。
無意識に急所を外す。
キングの指先が空を切る。
キングの目がわずかに見開かれた。
「なるほど……」
楸は距離を取り直す。
キングは静かに笑う。
「本当に驚くくらいに仕上げてくれたようだな」
再び距離が縮まる。
キングは打撃。
組み。
崩し。
その全てへ自然に殺しの技を織り交ぜてくる。
心臓。
頸動脈。
頚椎。
一瞬でも止まれば終わる攻撃。
だが。
楸は止まらない。
身体が勝手に急所を外していく。
特訓で何百回と繰り返した動きだった。
キングは一度も楸の動きを止められない。
会場から驚きの声が漏れる。
「チャンピオンの攻撃を全部避けてるぞ……」
「何が起きてるんだ?」
キングも理解していた。
この一ヶ月で仕上げられたのは技ではない。
反応そのものだった。
1R終了。
ゴングが鳴る。
◇
インターバル。
セコンドが水を差し出す。
「チャンプの顔色が変わったな」
楸はタオルで汗を拭う。
「次のラウンドが勝負でしょうね」
迷いは無かった。
◇
反対コーナー。
リオンが静かに息を呑む。
「手強いですね」
キングは口元を緩めた。
「彼女は約束を守ったようだ」
◇
関係者席。
美玲は身を乗り出していた。
「楸さん頑張ってる!」
高山も拳を握る。
「キング相手に引けを取ってない!」
雛だけは静かだった。
「うん、できてる」
その一言だけ。
◇
2R開始。
今度はキングから距離を詰めた。
鋭い踏み込み。
楸は冷静に捌く。
そして。
急所へ向けて拳を放つ。
キングは反射的に急所を守った。
その瞬間。
空いたガードへ拳が突き刺さる。
「ガッ!?」
キングの身体が揺れる。
そこから楸の連撃。
急所へ向かう拳。
喉へ伸びる掌。
心臓を狙う膝。
だが。
全てがフェイント。
命を守ろうとする本能が、キングのガードを崩していく。
その隙へ。
拳。
肘。
膝。
打撃が途切れることなく突き刺さった。
「調子に……乗るな!」
キングが冷静さを失う。
殺しの技を連発する。
しかし。
楸は全てポイントを外す。
逆に打撃を積み重ねていく。
それでも。
キングは世界王者だった。
決定打になり得る攻撃には必ず鋭いカウンターを返す。
楸も何度も身体を弾かれる。
(やっぱ強ぇな……)
息が荒くなる。
キングも肩で呼吸をしていた。
「ボーイにタイトルはまだ早い」
残り時間。
一分。
会場中の視線がリングへ集まる。
その時だった。
楸がほんの一瞬だけ。
顔面のガードを下げた。
キングは迷わない。
勝負を決める右ストレート。
渾身の一撃。
だが。
それこそが楸の狙いだった。
一閃。
右手の甲で拳を滑らせる。
そのまま右手首を外へ回し掴む。
止まらない。
一呼吸。
右手首を極める。
左腕を上から絡める。
アームロック。
左へ回転。
肘が眉間へ叩き込まれる。
さらに。
勢いを殺さず倒れ込みながら。
右膝がキングの心臓へ突き刺さった。
全てが一瞬だった。
会場から音が消える。
キングは崩れ落ちたまま動かない。
右手首。
肘。
鼻骨。
肋骨。
その全てが砕けていた。
レフェリーが駆け寄る。
「キング選手!」
肩を叩く。
反応はない。
リングドクターが飛び込み容態を確認する。
数秒。
静寂だけが流れた。
レフェリーが立ち上がる。
楸の腕を高々と掲げた。
「勝者! 楸優作!」
割れんばかりの歓声が会場を包む。
◇
担架で運ばれていくキング。
楸は大きく息を吐いた。
そこへ高山と美玲が駆け寄る。
「楸先輩、おめでとうございます!」
「やりましたね!」
「ありがとう!」
楸は笑顔で応える。
その後ろから。
雛がゆっくりと歩いてくる。
楸は照れ臭そうに笑った。
「どうだった? 師匠」
雛は少しだけ考える。
「焼肉」
「感想くらい言ったら!?」
美玲が思わず突っ込む。
楸と高山が笑う。
雛も少しだけ口元を緩めた。




