第53話 傭兵
美玲は雛の言葉に驚いたまま、リングを見つめていた。
「殺した事がある人が、リングに上がれるの!?」
雛は答える代わりに、膝の上のパンフレットを指差した。
「パンフレット見てみて」
美玲は慌ててページをめくる。
「あった!」
選手紹介のページ。
チャンピオン、キング・ガルシア。
戦績、26戦全勝。
年齢、35歳。
そして経歴。
「元傭兵だって!」
「なるほど」
雛は小さく頷く。
「ベース:軍隊格闘技だって」
「そうなんだ……」
美玲はパンフレットから顔を上げる。
「見ただけで分かったの?」
「なんとなく」
それ以上は聞かなかった。
いや。
聞いてはいけない。
そんな気がした。
リングでは試合が続いている。
挑戦者は果敢に攻める。
だが。
キング・ガルシアは一切慌てない。
最小限の動きで攻撃をかわし。
確実に打ち返す。
主導権は終始チャンピオンが握ったままだった。
試合終了。
勝者。
キング・ガルシア。
会場が大歓声に包まれる。
ベルトを掲げるキング。
しかし。
その視線は歓声ではなく、一人の少女へ向いていた。
雛。
雛も静かにキングを見つめ返している。
互いに何も言わない。
ほんの数秒。
それだけだった。
キングは何かを感じ取ったように、小さく目を細めた。
◇
観客が帰り始めた頃。
高山が小走りで戻ってきた。
「チャンピオン強かったな!」
「観てたの?」
美玲が聞く。
「控え室のモニターで楸先輩とな」
高山は雛を見る。
「哀沢さん、なんかチャンピオンと目が合ってなかった?」
「気のせい」
美玲も慌てて頷く。
「うん、気のせいよね。帰ろう雛」
「うん」
三人が歩き出そうとした、その時。
「すみません」
後ろから落ち着いた声が掛かった。
振り返る。
スーツ姿の男が深々と頭を下げた。
「私、チャンピオン、キング・ガルシアのマネージャーのリオンと申します」
「チャンピオンのマネージャー?」
高山が目を丸くする。
「なんで?」
美玲も首を傾げる。
リオンは真っ直ぐ雛を見る。
「そちらのお嬢様と、チャンプが是非お話しをされたいと申しておりまして」
「いいですよ」
「雛?」
雛は美玲を見る。
「美玲、先に帰ってて」
「高山君、送ってあげて」
「わかった!」
高山はすぐ頷く。
「神崎、行こう」
「あとで連絡してね!」
「うん」
◇
チャンピオンの控え室。
キング・ガルシアは椅子に腰掛け、静かに待っていた。
コンコン。
ドアを叩く音。
「チャンプ、お連れしました」
「どうぞ」
扉が開く。
雛が入室した。
「ようこそ、お嬢さん」
「はじめましてチャンプ」
キングは穏やかに微笑む。
「握手をしても?」
「うん」
キングが手を伸ばす。
握手。
しかし。
次の瞬間には自ら手を離していた。
「驚いた……」
キングは無意識に呟いていた。
「初対面の相手の手首を極めようとしたのね?」
キングは苦笑した。
「私が手を離さなければ、君は折っていたのだろう?」
二人は微笑む。
そのやり取りを見ていたリオンだけが青ざめていた。
「チャンプ、このお嬢さんは……?」
「恐らく私と同類だよ」
雛は淡々と言う。
「やるの? いいけど……」
キングの背筋へ寒気が走る。
リオンは全身に悪寒を覚えた。
「いや」
キングは静かに首を振る。
「君は楸優作の関係者なのだろう?」
「師匠……かな?」
その答えにキングは笑う。
「そうか」
「君が相手なら楽しみなのだが……」
「だが?」
「楸優作では私の相手にはならない」
「試合までの期間は?」
「二ヶ月後を予定している」
「わかった」
「ん?」
「その頃には、チャンプが驚くくらいには仕上げておくわ」
キングは嬉しそうに笑った。
「楽しみだ」
雛は踵を返す。
「じゃあ」
「お嬢さん」
キングが呼び止める。
「お名前は?」
「哀沢雛」
「楸優作に満足できなかった場合、君が相手をしてくれるのかな?」
「チャンプ!?」
リオンが慌てる。
雛は少しだけ考えた。
「やめといた方がいい」
「リングじゃないなら、やれるだろう?」
雛は静かに答える。
「……死ぬから」
キングの表情から笑みが消えた。
リオンは立っているのがやっとだった。
◇
控え室を出る雛。
出口へ向かう途中。
「雛!」
楸達が走ってきた。
「帰ってなかったの?」
「置いて帰れるかよ!」
「大丈夫だった?」
「心配したよ……」
「大丈夫」
楸は安堵したように笑う。
「チャンプと何話したんだ?」
「試合までに弟子を仕上げとくって」
「はは、お手柔らかに頼むぜ」
「死なないようにはしてあげる」
楸は苦笑した。
◇
キングの控え室。
リオンは額の汗を拭う。
「なんですか、あの少女は……」
嫌な汗が止まらない。
キングは静かに天井を見上げた。
「私にも分からんよ」
少しだけ目を閉じる。
「同類だと思っていたんだが……」
ゆっくり息を吐く。
「触れてはいけない物だったのかもしれない」




