第32話 体験入門
「まあいいわ」
祥子は腕を組んだ。
「体験していく?」
美玲は即答する。
「私は遠慮しとくけど、雛はやるんでしょ?」
雛は道場を見回した。
そして短く答える。
「……やる」
祥子の口元が僅かに上がった。
「あなたは経験者みたいだから、ちょっとした賭けをしない?」
「賭け?」
「そう」
祥子は道場の中央へ歩いていく。
「私に触れることができればあなたの勝ち」
「その時は引導流名誉師範代の賞状をあげるわ」
雛は首を傾げた。
「私が負けたら?」
「その時は月謝三ヶ月分前払いで入門してもらうわ!」
美玲が即座にツッコむ。
「どっちにしても、そっちが得じゃない!?」
「そうなの?」
雛が聞く。
「あの子が勝てばお金」
「負けても宣伝ができるのよ?」
「あー」
雛は納得した。
祥子は慌てて手を振る。
「そんな事ないわよ!」
「賞状を渡すってことは、私が負けた事を宣伝することになるのよ?」
そう言って胸を張る。
「まだ賞状を渡した事はないけどね」
自信満々だった。
雛は美玲を見る。
「美玲」
「ん?」
「開始の合図して」
「しょうがないなー」
美玲は二人を見比べる。
そして手を振り下ろした。
「始め!」
祥子が構える。
「さて、どんな技を見せてくれるのかし――」
「え?」
言葉が止まった。
目の前に雛が立っている。
そして拳が祥子の心臓の上に触れていた。
道場が静まり返る。
祥子は瞬きを繰り返した。
理解が追いつかない。
「触れた」
雛が言う。
祥子は固まった。
「見えなかった……?」
呆然と呟く。
美玲は額を押さえた。
「やっぱりかー……」
予想通りだった。
雛は拳を下ろす。
「今度はあなたの番」
「え?」
「条件は同じでいい」
祥子の眉が動いた。
「それはちょっとなめすぎね」
さすがにムッとする。
引導流の師範だ。
負けたからといって誇りまで失った訳じゃない。
祥子は構えた。
「後悔しても知らないわよ」
◇
踏み込む。
鋭い突き。
掌打。
蹴り。
引導流の連撃が嵐のように襲い掛かった。
だが当たらない。
掠りもしない。
雛は最小限の動きで避け続けていた。
一歩。
半歩。
僅かな体重移動。
それだけで全てを躱していく。
数分後。
祥子の額から汗が落ちた。
当たらない。
一発も。
本当に一発も。
「嘘でしょ……」
息が上がる。
雛は平然としていた。
◇
祥子は大きく息を吸う。
「こうなったら」
構えが変わった。
独特な構え。
道場の空気が変わる。
「覚悟してもらうわよ」
美玲も緊張した。
雛はその構えを見る。
祥子が口を開いた。
「まともに当たると死ぬかもしれないから」
「しっかり避けるのね」
その瞬間だった。
「ねえ」
雛が言う。
「ん?」
祥子が返す。
雛は静かに聞いた。
「死ぬかもしれない技を使うってことは……」
祥子の背筋に悪寒が走る。
理由は分からない。
だが本能が警告していた。
雛は続ける。
「殺される技を使われてもいいってことよね?」
祥子の全身が凍り付く。
道場の空気が変わった。
美玲が額を押さえる。
「地雷踏んだか……」
祥子は慌てて構えを解いた。
「じょ、冗談に決まってるじゃない!」
乾いた笑いを浮かべる。
「賞状持ってくるわね!」
全力で話を変えた。
雛は首を傾げる。
「そっか……」
◇
数分後。
祥子は賞状を持って戻ってきた。
雛へ差し出す。
「はい」
「引導流名誉師範代」
雛は受け取った。
「ありがとう」
祥子は深いため息を吐く。
そして本音を漏らした。
「あんた、おっかなすぎるわよ……」




