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第12話 プロの壁


 楸に案内されて入ったジムは、学校の部活動とはまるで雰囲気が違っていた。


 リング。


 サンドバッグ。


 トレーニング器具。


 そして練習している選手達。


 全員が真剣だった。


 雛は周囲を見回す。


 少しだけわくわくしていた。


「ここが俺の通ってるジム」


 楸が言う。


「すごい」


 素直な感想だった。


 総合格闘技部も面白かった。


 だがこちらはもっと本格的だ。


 競技として戦う人間達の場所。


 そんな空気があった。


「せっかくだし軽くやるか」


「いいの?」


「ああ」


 雛の目が少しだけ輝いた。


 その反応を見て、楸は苦笑する。


 本当に格闘技が好きらしい。



 リングの周囲には自然と人が集まっていた。


 現役プロと噂の女子高生。


 興味を持たない方が難しい。


 楸はリングへ上がる。


 雛も続いた。


「ルールは普通のスパーリング」


「分かりました」


 開始の合図が鳴る。


 最初に動いたのは雛だった。


 踏み込む。


 速い。


 だが楸は驚かない。


 半歩ずれる。


 それだけで雛の攻撃は空を切る。


 雛は追う。


 楸は下がる。


 距離を作る。


 角度を変える。


 攻撃を誘導する。


 雛は少し不思議だった。


 速さでは勝っている。


 力も勝っている。


 なのに当たらない。



「雛、押されてる?」


 リング脇で見ていた美玲が小声で呟く。


 近くにいたジムの会員が苦笑した。


「いや」


「え?」


「楸さんが上手いんだよ」


 美玲はリングを見る。


 確かに雛の攻撃は当たっていない。


「相手のやりたいことを先に潰してる」


「そんなこと出来るの?」


「プロだからね」


 美玲は思わず感心した。


 ただ強いだけじゃない。


 戦い方そのものが上手い。



 一方の楸は冷静だった。


 少なくとも外から見れば。


 だが内心は全く違う。


 速い。


 重い。


 しかも技術がある。


 一発でもまともに受ければ終わる。


 そう確信していた。


 だから真正面から付き合わない。


 相手が出したい攻撃。


 動きたい方向。


 それを先回りして潰していく。


 総合格闘技という競技の中で培った技術だった。



 雛はやりにくさを感じていた。


 そもそも使える技が少ない。


 紫亜から釘を刺されている。


 だから競技の範囲内で戦わなければならない。


 その上で楸は動きを制限してくる。


 初めての感覚だった。



 やがて距離が潰れる。


 二人の身体がぶつかる。


 組み。


 密着。


 観客達は固唾を呑む。


「楸さんが有利かな」


 誰かが呟いた。


 美玲もそう思った。


 ここまで見る限り、試合を支配しているのは楸に見える。



 楸は少しだけ息を抜いた。


 ここなら打撃を警戒する必要が薄い。


 少なくとも普通なら。


 そう思った。


 その瞬間だった。


 雛の拳が楸の胸へ触れる。


 ただそれだけ。


 本当にそれだけだった。



 楸の身体から力が抜ける。


 膝が崩れる。


 そのまま前へ倒れた。



 静まり返るジム。


 誰も動けなかった。


 何が起きたのか分からない。


 美玲も固まっている。


「え?」


 思わず声が漏れた。



「大丈夫ですか?」


 雛が駆け寄る。


 数秒後。


 楸がゆっくり目を開いた。


 天井が見える。


 周囲のざわめきも聞こえる。


 そして。


 心配そうに覗き込む雛の顔。


「お前……」


 楸は苦笑した。


「何者なんだよ……?」


 雛は少し考える。


 質問の意味がよく分からなかった。


「?」


「……哀沢雛です」


 一瞬の沈黙。


 楸は吹き出した。


 そして笑う。


「おもしれぇな」



 リングを降りた後。


 美玲はまだ納得していなかった。


「今何したの?」


 雛は少し考える。


「手加減した」


「え?」


「死んでないよね」


 美玲は頭を抱えた。


 聞きたいのはそういうことじゃない。


 だが雛は真面目に答えている。


 それが分かるから余計に困る。


 楸はそんな二人を見ながら笑っていた。

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