第12話 プロの壁
楸に案内されて入ったジムは、学校の部活動とはまるで雰囲気が違っていた。
リング。
サンドバッグ。
トレーニング器具。
そして練習している選手達。
全員が真剣だった。
雛は周囲を見回す。
少しだけわくわくしていた。
「ここが俺の通ってるジム」
楸が言う。
「すごい」
素直な感想だった。
総合格闘技部も面白かった。
だがこちらはもっと本格的だ。
競技として戦う人間達の場所。
そんな空気があった。
「せっかくだし軽くやるか」
「いいの?」
「ああ」
雛の目が少しだけ輝いた。
その反応を見て、楸は苦笑する。
本当に格闘技が好きらしい。
◇
リングの周囲には自然と人が集まっていた。
現役プロと噂の女子高生。
興味を持たない方が難しい。
楸はリングへ上がる。
雛も続いた。
「ルールは普通のスパーリング」
「分かりました」
開始の合図が鳴る。
最初に動いたのは雛だった。
踏み込む。
速い。
だが楸は驚かない。
半歩ずれる。
それだけで雛の攻撃は空を切る。
雛は追う。
楸は下がる。
距離を作る。
角度を変える。
攻撃を誘導する。
雛は少し不思議だった。
速さでは勝っている。
力も勝っている。
なのに当たらない。
◇
「雛、押されてる?」
リング脇で見ていた美玲が小声で呟く。
近くにいたジムの会員が苦笑した。
「いや」
「え?」
「楸さんが上手いんだよ」
美玲はリングを見る。
確かに雛の攻撃は当たっていない。
「相手のやりたいことを先に潰してる」
「そんなこと出来るの?」
「プロだからね」
美玲は思わず感心した。
ただ強いだけじゃない。
戦い方そのものが上手い。
◇
一方の楸は冷静だった。
少なくとも外から見れば。
だが内心は全く違う。
速い。
重い。
しかも技術がある。
一発でもまともに受ければ終わる。
そう確信していた。
だから真正面から付き合わない。
相手が出したい攻撃。
動きたい方向。
それを先回りして潰していく。
総合格闘技という競技の中で培った技術だった。
◇
雛はやりにくさを感じていた。
そもそも使える技が少ない。
紫亜から釘を刺されている。
だから競技の範囲内で戦わなければならない。
その上で楸は動きを制限してくる。
初めての感覚だった。
◇
やがて距離が潰れる。
二人の身体がぶつかる。
組み。
密着。
観客達は固唾を呑む。
「楸さんが有利かな」
誰かが呟いた。
美玲もそう思った。
ここまで見る限り、試合を支配しているのは楸に見える。
◇
楸は少しだけ息を抜いた。
ここなら打撃を警戒する必要が薄い。
少なくとも普通なら。
そう思った。
その瞬間だった。
雛の拳が楸の胸へ触れる。
ただそれだけ。
本当にそれだけだった。
◇
楸の身体から力が抜ける。
膝が崩れる。
そのまま前へ倒れた。
◇
静まり返るジム。
誰も動けなかった。
何が起きたのか分からない。
美玲も固まっている。
「え?」
思わず声が漏れた。
◇
「大丈夫ですか?」
雛が駆け寄る。
数秒後。
楸がゆっくり目を開いた。
天井が見える。
周囲のざわめきも聞こえる。
そして。
心配そうに覗き込む雛の顔。
「お前……」
楸は苦笑した。
「何者なんだよ……?」
雛は少し考える。
質問の意味がよく分からなかった。
「?」
「……哀沢雛です」
一瞬の沈黙。
楸は吹き出した。
そして笑う。
「おもしれぇな」
◇
リングを降りた後。
美玲はまだ納得していなかった。
「今何したの?」
雛は少し考える。
「手加減した」
「え?」
「死んでないよね」
美玲は頭を抱えた。
聞きたいのはそういうことじゃない。
だが雛は真面目に答えている。
それが分かるから余計に困る。
楸はそんな二人を見ながら笑っていた。




