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脚本もどき 『額田王とその時代』

挿絵(By みてみん)


今年の大河は豊臣兄弟が放映されていますが、私の個人的な感想でいうと、正直またかといった気分です。

過去にこの時代の作品は今回に限らず多数制作されており、特に豊臣秀吉の登場は配役こそ違うものの数あまたで、いささか食傷気味です。

ではなぜ繰り返されるのかというと、放映された他の時代、すなわち幕末、源平、南北朝等に比べると変動の時代で登場人物が有名で誰もが親しめて視聴率がある程度期待できるからではないでしょうか。


大河も回数を重ねており、大概の有名な歴史事件はほぼ放映されてきましたが、ドラマとなるにはいくつかのポイントがあるようです。

抜粋すると、戦闘場面、恋愛および悲哀、登場人物、権謀術数、教養が挙げられますが、その条件を満たす時代設定は限られているようです。

ではまだ大河の60年を越える歴史の中で、まだ放映されておらず、上記の項目に合致する時代はないのかと調べてみると、実は今までのケースより更に古い時代に存在しています。

飛鳥時代で教科書にも載っている大化の改新、白村江の戦い、壬申の乱と続く激動の時代です。

天智、天武両天皇が中心になりますが、女性も表舞台に登場し、なによりも、先に取り上げたドラマ化の条件を全て満たします。


ではなぜ過去に大河として映像化されていないのか、理由がありそうです。

天皇家を含む皇族どうしの凄惨な権力争いを描かなければならないこと。

更には、当時は今では禁じられている近臣結婚が普通であったことです。


象徴天皇を君主に抱く民主主義の現代日本では、人間性や倫理の観点からも好ましい時代ではないといえます。

けれども大変魅力的な事件やエピソードも多くあることから、史実を尊重しながら、取捨選択手を行うことによって大河ドラマとして取り上げられるかもしれない。

もしそれなら主人公を誰にするかであるが、天智および天武天皇では先に記した理由で不都合が生じるのである。

ここでは同時代に生き彼らと密接な関係のあった、当時の女性で大詩人でもある額田王がもっとも相応しいと思われます。

彼女の名をタイトルにして大河ドラマの構想を練って参ります。


****

年表および歌


・622年 聖徳太子の死 


・626年 中大兄皇子(後の天智天皇)誕生


・? 年  大海人皇子(後の天武天皇)誕生(631年?)


・? 年  額田王誕生(631年~637年?)


・642年 聖徳太子の子である山背大兄王の一家が蘇我入鹿軍の襲撃を受け自決。太子の血統が絶たれ          

      る。


・645年 蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足等によって暗殺され大化の改新が始まる。皇極天皇譲位。

      孝徳天皇即位。


・651年 孝徳天皇 難波長柄に宮を造営し居を移す。


・653年 中大兄皇子が飛鳥への遷都を主張して、母皇極前天皇、弟大海人皇子等とともに難波宮を離

      れる。


・654年 孝徳天皇が崩御。皇極前天皇が重祚し斉明天皇即位。


・658年 【秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治のみやこの仮廬し思ほゆ】


・659年 阿部比羅夫に蝦夷国遠征を命じる。


・661年 百済復興のため斉明天皇、中大兄皇子らが西征を開始。その途上で斉明天皇崩御。


      【熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな】


      中大兄皇子は即位せず称制を開始。


・663年 白村江の戦いで倭・百済連合軍は唐・新羅連合軍に大敗。


      【冬ごもり春さり来れば鳴かざりし鳥も来鳴きぬ咲かざりし花も咲けれど山をしみ入りても        

      取らず草深み取りても見ず秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてぞしのふ青きをば置きてそ    

      嘆くそこし恨めし秋山そ我は】


・667年 近江大津宮へ遷都。


      【味酒うまさけ三輪の山 あをによし 奈良の山の 山のまに いかくるまで 道の隈     

      い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放みさけむ山を 心なく 雲の   

       隠さふべしや】


     ・【三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや】


・668年 中大兄皇子は天智天皇として即位。


      【あかねさす紫野むらさきの行き標野しめの行き野守のもりは見ずや君が袖振

      る】

 

      【いにしへに恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きしがおもへるごと】


      【み吉野の玉松がしきかも君がみことを持ちてかよはく】


・671年 天智天皇は病臥し弟の大海人皇子に後事を託そうとしたが、大海人皇子は辞退し出家。吉野へ出発。


・672年 天智天皇が近江大津京で崩御


      【やすみしし わご大君の かしこきや 御陵みはか仕ふる 山科やましなの 鏡   

      (かがみ)の山に よるはも のことごと 昼はも 日のことごと のみ

      を 泣きつつありてや ももしきの 大宮人おほみやひとき別れなむ 】


     ・【君待つとが恋ひをればが宿のすだれ動かし秋の風吹く】


     壬申の乱勃発。天智天皇の子である大友皇子の軍と大海人皇子の軍が大和、近江の各所で戦  

     闘。


・673年 大海人皇子が勝利し、天武天皇として飛鳥で即位。


挿絵(By みてみん)


****

・第一話

登場人物:額田王(額姫)、鏡王女(鏡姫)、中大兄皇子、大海人皇子、山背大兄王、蘇我入鹿等


(場所)山背大兄王一家が住み上宮王家が所有する斑鳩宮。

そこに中大兄、大海人兄弟と額姫、鏡姫姉妹4人が訪問。

彼らは皇族子女でお互い仲が良く、山背王と春米女王夫妻の子供たちと交流し娯楽を楽しんでいた。

上宮夫妻はいつも彼らを歓迎し、子供たちどうしで有意義なひとときを過ごすのが慣習となっている。


4人の幼少期の人となりを見ると

・中大兄は一番年長でリーダー格。責任感強く、実行力あり。

・大海人は謙虚で大人しい。兄の言うことに忠実に従う。

・鏡姫は優しく物静かな人柄で誰からも親しみやすい雰囲気がある。

・額姫は明るく何にでも興味をもつ。才気がありこの物語の主人公。


山背大兄王は聖徳太子の息子であることから、皇族の中でもひときわ有力な存在で将来は次期天皇として期待されていた。

ただ、当人は控えめな性格で無用な争いを好まなかったことから、かえって周囲の人望を集めていたのである。


だがその様子をこころよく思っていないのが当時権力を握っていた蘇我氏であった。

特に実権を父から引き継いだ蘇我入鹿は自分たちが望む次期天皇を擁立するため、強引に有力な対抗馬を取り除こうと暴挙に出たのである。

彼の配下100名の兵が斑鳩宮を襲撃し、殺害を企てる。

山背大兄王の一族は一旦生駒に逃れたが、周囲の人たちを戦いに巻き込むのを望まず、一家もろとも自害しその血統が途絶えたのである。



この事件を知った人々は一様に蘇我入鹿を非難したが、直接抗議する者はいなかった。

強力な兵力を保持し、実質的な権力を握っている蘇我氏を誰もが恐れたからである。


「兄者、こんな酷いことが許されるなんて信じられない思いです」


「わかってる。それ以上言うな。奴にはいずれきっと天罰が下るぞ」


中大兄と大海人の兄弟は怒り心頭ではあったが、年長者から逸る気持ちを自制し我慢するよう忠告された。

まだ年少ではあったが彼らも天皇家の血筋で目を付けられる恐れがあったからである。


同様に鏡姫と額姫姉妹も憤慨し嘆き悲しんでいた。


「なんて悲しいことなのお姉さま。上宮家の皆様にもう会えないなんてとても耐えられないわ」


「私も同じ気持ちよ。今は二人で皆さまの御霊をお慰めしましょう」


「涙が止まらないけれど、一生懸命唱えて差し上げますわ」


額姫は上宮家で授かった文や歌の教義に全力で取り組もうと誓った。

一方で中大兄は上宮家から受けた恩義を忘れず復讐を誓った。


****

・第二話

登場人物:額田王、斉明(皇極)天皇、中大兄皇子、中臣鎌足、蘇我入鹿、蘇我蝦夷、古人大兄皇子


蘇我入鹿は実質的に最高権力者となり人々は大いに恐れた。

引退した父親である蝦夷の言うことも聞かなくなり、専横を極めたが誰も諫めることが出来なかった。

中大兄はその状況に悲憤な面持ちでいたが、本心を隠して日々を過ごしていたのである。


ある日のこと、宮中で蹴鞠の会が行われ、皇極天皇の子である中大兄も参加した。

その折、彼が脚を振り上げた際に勢い余って靴が脱げてしまった。

それを偶然に天皇の陪臣である中臣鎌足が拾い上げ皇子に手渡した。

中大兄は感謝の意を伝えたが、それが鎌足との初めての出会いであった。


それから数日後、宮中で鎌足から声を掛けられた。

彼はある意味では臣下であったので慇懃ではあったが、二人だけの場であったため話題が宮中行事から世間話に移った。


「皇子様は今の世をどう思っておいででしょう?」


皇子は年長者である鎌足の心中が見えず慎重に答えた。


「いえ私は政治向きのことはあまり関心がなくて」


それに対し彼は思いがけないことを言った。


「実は私は以前に斑鳩宮へ何度か足を運んだことがございます。そこで山背王様に様々なことに関して教えを乞うておりました」


「なんと、あの山背大兄王と面識があったのか」


「その通りです。そしてその際に山背王から皇子のことも伺っております。政や律等多岐にわたって熱心に学ばれていると。将来はこの日の本を背負って立つ人になられるであろうと」


そして二人は上宮王家の話題に花が咲いた。

更にその王家を亡ぼした勢力への非難、そして強権的な現状の政治体制への批判に話が向かうのは当然であった。


それを機に、二人の会合は回を重ねることになった。

上宮家から受けた共通の恩義によって、意気投合したのはもちろん、中大兄と鎌足は心から信頼し合い、お互い良きパートナーとなった。


一方で、当時の皇極天皇の宮廷では、天皇家の血筋を引く王女や有力者が送り込んだ女官たちが、定期的に文化的な催しを行っていた。

彼女たちは出来るだけ高位の皇族男性に自身をアピールする機会でもあったし、お互い情報交換する場でもあった。

また、女性として教養を高めようと、文、歌、舞踏、音楽等自身の特技を披露する集いでもあった。


その中で額田姫は年少でありながら、優れた漢文の知識と詩歌の創作能力を持っていた。

季節、自然、行事といった課題に対して、臨機応変に詩歌を創ることができたのである。

幼少の折から上宮家に通い手ほどきを受け開花したのであった。


「額田の作る歌は独創的で素晴らしいわ。才能があるのね」


「そのように言って頂いて大変光栄でございます大王様。わたくし自身まだまだ未熟だと自覚しております」


「いえいえそんなことないわ。大したものよ。これからも創作に励んでくださいね」


明るく、才能豊かな額田姫は皇極女帝に可愛がられた。


中大兄と鎌足は蘇我入鹿の独裁権力を奪還、打倒しようと意見を出し合った。

徐々に信頼できる仲間たちも加わり話し合いの場を設けた。

その中には蘇我宗本家に批判的な蘇我家傍流の人物も入っている。

なにしろ、相手は広大な邸宅を建て、武力を拡充しており、直接やりあっても歯が立たないほどの権力を持っているのである。

けれどもこのまま座視するわけにはいかない。

彼の邸宅を天皇家のみに許された上宮と称し、さらに子たちを王と呼ばせているのである。

もしかしたら天皇の地位を狙っているのかもしれない。

当面は彼らが意のままに出来る蘇我系の古人大兄皇子を次期天皇にする意向である。

そうならばその対抗馬となる中大兄は山背王のように粛清されかねないのである。

いつまでも隠忍自重しているわけにはいかないのだ。


そしてある日、鎌足から絶好の機会があることを告げられた。


「来る日に三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢の使者が来られ儀式が行われます。その際大臣の入鹿も必ず出席します」


「その時に入鹿の首を取れと申すか」


「御意。但し失敗は許されません。実行する者はその場に参列でき覚悟を決めた人間でなければなりません」


中大兄はしばらく考えた後、真剣な表情で答えた。


「私自らその役目を引き受けよう。だが、その後のことについては抜かりないように推し進めなければなるまいな」


「皇子のご決意畏れ入ってございます。だが決して単独の行動ではございませぬ。しかるべく者も心当たりはございます。事後については現政権に批判的な人々を味方に引き入れるべく私のほうで手配いたします。その際皇子のご協力を得ることもございましょう」


それから鎌足は心当たりのある官吏や豪族に秘密裏に働きかけた。

むろん事前に計画が発覚しないよう細心の注意を払う必要があった。

特に有力な相手には、成功した暁に相応の地位を約束し、また、高い位の者には中大兄の了解を得てその娘を妃にすることで絆を深めた。

更に蘇我本家が推す古人大兄皇子の娘を正妃に迎えて恭順の姿勢を装ったのである。


そして万全の準備を固め、あとはその日が来るのを待つだけとなった。

中大兄この時二十歳であった。






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