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ある休日の夕方、携帯電話が鳴った。画面に「ショウ」と点滅している。岡山の元恋人だった。今日の夜は暇かと訊くので暇だと応えると、晩飯をおごってやるぞと言う。「いつものホテルに俺の名前で予約しといてくれ」と言って電話は切れた。彼は仕事で京都や大阪に行った帰りに、真由と都合がつけば神戸に立ち寄る。神戸での定宿は決まっていて、真由に毎回予約の電話をかけさせておいて自分はひたすら運転に集中して高速を飛ばして神戸へやって来る。骨董屋として店を構えていて普段はそこにいるが、大きな骨董祭に自分が出店することもあるし、店で売れそうな物を仕入れるために出向くことも多い。そのためしょっちゅう関西には来ているのだが、真由の仕事が遅かったり当直だったりで会えるのは年に二度か三度である。昨年の十二月のはじめに会ったのが最後で、真由が東京へ研修に行く前に骨董市の帰りに立ち寄り「今年最後の関西での商売はさっぱりやった」とこぼし、真由が来週から東京で研修だと言うと「張り切りすぎるなよ」と心配そうにしていた。
そろそろ着くぞ、と電話があって真由はいつも待ち合わせる近くの交差点へ出た。岡山ナンバーの白いヴァンがすっと路肩に寄って、運転手の顔を念のため確認してから真由は助手席に乗り込んだ。後部座席は後方確認ができるギリギリの高さまで目一杯荷物が積み込まれ、車の走りもどこか重たげである。
彼の名は正一。誰からもショウちゃんショウちゃんと気安く呼ばれているが昔はヤクザだった男だ。真由が医学部に行く傍らせっせとバイトに励んでいたコンビニの常連客だったのだが、その頃にはすでに足を洗っていた。と言ってもいまだにヤクザの世界に顔は利くし、骨董屋なんて仕事もとてもカタギではない。壷や茶碗なども扱ってはいるがメインは日本刀や武具で、完全に趣味の延長で商売をしている。右腕に小さな刺青がある。干渉しない、束縛しない真由の性格とぴったり波長があって、一番長く付き合いの続いた男だ。
「ほら、土産」ホテルの駐車場に車を停め、そう言って後部座席から取り出して渡されたのはこぎれをはぎ合わせて作られた半そでのヘンリーネックシャツだった。彼はいつもなんとか焼きの茶碗だのなんとか時代の絵だのと真由には価値のわからぬ物をくれる。ただでくれるくらいだからきっと売り物にならない端物なんだろうとは思うが、今回のシャツはこれまでで一番わけがわからん、と思って真由は苦笑した。チェックインを済ませると迷わずホテルのそばにある焼肉屋に入り、真由の意見を求めることなく適当に肉とビールを注文した。彼はいつもそうで、恐ろしいほど俺様ペースで物事を進める。しかし会えば必ず土産をくれるように、実は思いやり深い男だ。仕事が終わればまっすぐ岡山へ帰ればいいものを、わざわざ神戸に立ち寄るのも、家族もなく不規則な生活をしている自分を心配しているからだと真由はよく知っている。元ヤクザだけに強面だし言動は乱暴だが、根が優しく、そのギャップが昔から好きだった。付き合っていた頃は好きという感情がほとばしっていた筈だが、今はいたって穏やかだ。波が立つことは決してない。別れてしまったのは、彼が結婚したからだ。真由のほかに何人の女性と付き合いがあったのかは知らないが、そのうちの一人が「妊娠したから結婚して、女はすべて清算して」と猛烈に迫り、彼のマンションに居座り続けて結婚にこぎつけた。結婚後、妊娠が嘘だったことがわかったが、だからと言って離婚するわけでもない。正しいかどうかはともかく、それが彼なりの誠実さだ。一度結婚したからには添い遂げてやろうというつもりはあるらしい。馬が合い、一番愛した男ではあるが、それでも彼が結婚すると知っても真由はショックでもなかったし、彼も女性たちとの関係を清算するつもりもなかった。ただ、妻の嫉妬と束縛が激しいためにそうたびたび会うこともなくなり、なんとなく自然消滅という感じで距離ができた。しかしまったく関係が途切れたわけではなく、真由の方にも新たな恋人ができたり神戸へ引っ越して物理的な距離ができたりもしたが、なぜか細々と今まで付き合いが続いている。週に一度くらいのペースで「元気にしてるか」「そっちは雨か」などとと電話もあるし都合がつけば会いもする。
「今日は商売やったん?」「いや、知り合いの骨董屋のとこに頼んどったもん受け取りに行っただけ。ほら食え、どんどん食え、飲め」「景気いいん?」「ええわけあるか。商売あがったりじゃ」「おごろうか?」「お前におごってもらうほど落ちぶれとらんわ。遠慮せんと食え」そう言ってどんどん肉を焼いては真由の取り皿に肉を放り込む。ビールも勝手にお替りを頼む。彼自身は極めて酒に弱く、ジョッキ一杯を空けるのが精一杯だ。ヤクザをやめたのも酒が飲めないからだと冗談か本気かわからぬことを言っている。「最近はちゃんと寝れるんか?」「うん、まあまあ。薬ないと全然無理やけど」「悪さはしとらんか?」「・・・」「返事でけへんのか。酒は?」「・・・」「飲んどるんか。ほんまにどうしようもないな。ちゃんと病院は行ってるんか?」「うん」正一の言う悪さとは自傷のことだ。彼は真由が心療内科に通院していることを知っている数少ない人間の一人だ。自傷癖も、たまに突如襲う憂鬱の波があることも、酒を主治医から固く禁じられていることもよく知っている。と言って真由の自傷や酒を決して咎めたりもしない。連絡がふっと途絶える期間があっても責めもしない。ただ悲しげなため息をつくことはある。男性と付き合えばいずれ裸体を見られることになるし、そうなればいつかは自傷も気付かれる。市川のように最初から腕の傷を知っていてそういう関係になった者を除けば、真由の傷にまったくひるみもしなかったは正一くらいのものだった。だから、彼との付き合いが一番長く続いたのだろう。普通の男たちは、自分にはとても抱えきれないと逃げ出してしまうか、自傷を激しく叱ったりののしったりして真由の方が面倒になって距離を置いてしまう。「もっと元気だせ、ほら、お前の好きなホルモンも焼けたぞ」「私別にホルモン好きじゃない」「俺がそう決めた」「なんやそれ」正一のペースにつられてついつい真由も笑いがこぼれ出した。




