表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明の向こう側  作者:
91/115

91

 子どもの待つ佳奈と万里子は「じゃあ今度の日曜日にね」と駅へ向かい、真由と美樹は近くのコーヒーショップに入った。美樹の集中力と記憶力は抜群で、大阪との微妙な曲順の違いをはっきりと挙げ、増岡のヴォーカル曲も、大阪よりも何曲か後だった、国際会館が思い出深いと言っていたからそれに合わせての取り計らいかなどと読み、真由がアンコールで『愛』を無事に聴けたことを喜んだ。大阪と神戸で二度もJAMANIAを楽しんでおきながらなお「ファイナルはどうなんかな、やっぱり特別な演出があるのかな、行きたいなあ」とまたも気持ちがファイナルへ飛んでしまうのはもうどうしようもないらしい。「ほんまに行く気なん?」と念のため訊くと「帰ったらオークション見てみる」と即答するのはかなり本気の証である。「でも私、もう来月のシフト決まってる」「絶対変えられへんの?」「絶対ではないけど」「じゃあ考えてみて」「美樹、絶対定価より高い値段で買ったらあかんで、あんた熱くなるからなあ。定価か、それより安く買えるんなら考える」「でもいい席で見たい」「だから、席はあんまり関係ないって」真由も美樹への諦め半分、JAMANIAへの期待半分という感じで東京のファイナルに行くつもりになりつつ当分JAMANIAの話に花が咲いたが、突然美樹があっという顔をして「そうや、昨日の人誰よ」と真由が避けていた話題に気付いてしまった。「見間違いでしょ、どこで見たの?」とそらっとぼけたが「センター街。絶対見間違いちゃう、真由やった。おんなじくらいの背の人」ときっぱり断言である。「学生時代の友達」「友達と手つなぐ?めっちゃ仲良さそうやった」「はぐれないようにしてただけ」「友達って嘘やろう、年上っぽかったで」「えっ、顔見た?」「四十すぎくらいの人に見えた」相手がたった今興奮いっぱいに楽しんできたJAMANIAの一人だとまでは気付いていないらしい。背や顔つきははっきり見たようだが、SONOと判別できるほど近くなかったか、そもそもSONOがさほど印象にないか、どちらかわからないが、とりあえず彼との交流については一切言い訳せずともよいことに心底ほっとした。「ほんまにただの友達やって。仕事で神戸に来たから一緒にご飯食べただけ」「えーっ、絶対彼氏やろう」「違うって」「違わない。めちゃ仲良さそうやった。隠さなくてもいいやん」美樹に一切の悪意がなく、ただ真由が男連れだったことを冷やかし、いくらか、男ができたらしいことを喜んでくれているのもわかっていたが、それでも真由は「違うってば!」と怒鳴りつけるように声を上げてしまった。その否定の言葉が思いのほかきつかったらしく、美樹はしばし真由を見つめると「ごめん」と謝った。真由も「私こそごめん」と心から謝った。否定に力がこもってしまったのは、有薗が恋人でもなんでもないという歴然とした事実があったからだ。そしてその事実が真由にとってとても悲しいことだったからだ。真由は昼間、一旦帰宅してシャワーを浴びたとき、胸元に残る赤い印に最初は「まただ」と苦笑したのだが、彼の繊細な指がこの乳房に触れたのかと思い出すといやに胸がドキドキと高鳴り、どうしたことだ、静まれ心臓!と思っていると次に唐突にたまならい絶望感に襲われて立ち尽くしてしまった。他に男がいると知っても気にも留めず関係を結ぶ彼は自分を愛してなどいないのだ。最初からわかりきっていたことなのにあらためて思い知らされてこんなにも胸が苦しいのはどうしてだ。彼に愛されたかったのか。愛されたいと願わずにいられないこの思いは一体何事か。「ごめん、ほんまにただの友達やねん」もう一度真由は詫びながらそう説明した。その夜、真由はシャワーを浴びる前にあらためて自分の体を確認した。胸に何か所か、有薗の唇が残した赤味があった。これまでキスマークが残って困った覚えなどないから、自分の体が特別跡の残りやすい体質というわけではないと思われる。普段男を相手にしているから、力加減が普通の男とは違うのかもしれない。そう考えた瞬間、生まれて初めての感情が真由に芽生えた。有薗に愛されている恋人が、とてつもなくうらやましく思えたのだ。これまで誰と付き合ってもそんな感情を抱いたことがなかった。自分が好意を寄せている男性が他の誰かに興味を持とうがどうでもよかったし他の誰かがどんな人で、どんなところに惹かれているのかなどと詮索して苦しんだこともない。有薗のように徹底した美学を持つ男が愛する人間は、やはりどこか突出した魅力のある人間なのだろうか。それともとても優しい?何か楽器が得意で音楽の話に花が咲く?何年も付き合いが続いてるのはよほど相性がいいから?どうしようもなく有薗の恋人に対する興味と羨望とに囚われた。それが嫉妬という黒くドロつく感情のはしくれなのだと気付くまで少しの時間を要した。そして気付いた瞬間、混乱した。どう処理してよいのかわからなくて、立ち尽くした。この赤く刻まれた跡が愛の跡でないことが悲しかった。彼が自分に愛情を抱いていないことがたまらなく悲しかった。ぎゅっと力いっぱい自分で自分を抱きしめながら思った。私は深入りしすぎた。彼の魅力に正直になりすぎた・・・。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
**ランキング参加中**
NEWVELに投票
ブログにて更新情報を掲載しています。
不透明人間
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ