先輩、わたしの眼を見て言ってください! 2
家に帰ってみれば、同じ高校の同じ部活に通っている瑞希がすでにリビングでくつろいでいる姿があった。
外ではいつも快活でぶっきらぼうな態度をしている瑞希だが、家では少女漫画を読み漁ったり、着もしないのにポップなティーンズ女子が好きそうなヒラヒラの服を掲載した雑誌をニヤニヤしながら読んでいる。
「あ、アニキ。お帰り」
今日も普段の例にもれず、いつもの様にだらしなく足を組んでソファに寝そべり、棒アイスをしゃぶりながら雑誌をめくっているところだった。
「何で俺を置いて先に帰るんだよ。どうせ同じ部活に通ってるんだから、一緒でもいいだろ」
「この齢になって何でアニキと一緒に登下校しなきゃいけないんだよ。友達に笑われるじゃん」
「そうかもしれないけど、ちょっとお前に用事があったんだよ」
瑞希は高校の一年生だ。
つまり箕面香奈枝とは同じ学園なので、あの人相の悪い後輩女子について少しでも情報収集をしておこうと思ったからである。
まあ普段から一緒に登下校する様な事は無いので、今日も夏休み中の部活が終わったら、他の女の子たちと一緒にさっさと帰ってしまったんだけどな。
「用事って何さ」
「お前、確か箕面香奈枝さんと同じクラスだろ」
「香奈枝と? うんそうだよ。クラスではあんまり話したことないけど」
「ないのか。部活ではいつも話し込んでるじゃないか」
「てかアニキこそ、香奈枝の事よく部活中に見てるじゃんか」
「み、見てないし、勘違いじゃね!?」
今日その事で箕面さんに難癖を付けられたと、どう切り出したものかと思ってしまったわけだ。
「あっアニキ、あたしのアイス食べてる?!」
俺が冷蔵庫から棒アイスを引っ張り出して袋を開けようとしたところで、瑞希がガバリとソファかあ起き上がって抗議して来た。
すでに自分の棒アイスを食べ終わっていた瑞希は、ファイティングポーズを取りながら俺が手にしたアイスを奪おうと突きと蹴りの連撃をかましてくるではないか。
「ちょ、アニキ、手加減しろよ!」
馬鹿め、俺は妹を相手に負けた事がないんだ。
お互いに本気で突きや蹴りを繰り出しす訳ではないけれど、それでもちょっとマジになった兄妹喧嘩だ。
軽くパンチを払いのけると体を急接近させて立ち位置を入れ替える。
すぐにもローキックが飛んできたので足を上げてカット、腹いせにローを蹴り返してやった。
「痛でぇよ!」
「はい瑞希の負けー。お兄ちゃんの勝ちー」
俺は軽くバランスを崩した瑞希のおでこに、ポンと軽く触れる程度の正拳付きを見舞ってやる。
すると瑞希はあわててヘアバンドで持ち上げいた額をささっと隠して見せる。
「デコはやめろよな」
「だってお前デコ広いから狙いやすいし」
「気にしてるんだから、言うんじゃないよ!」
そんなやり取りをして勝ち誇った俺が棒アイスを口にくわえたところで、瑞希が俺に質問を投げかけて来る。
「で、香奈枝がどうしたって?」
顔だけソファから覗き込む様にして俺を見ている瑞希の姿がある。
何だか妹はニヤニヤしているので、何か妙な勘違いをしているのかも知れない。
「あーそれな。今日、部活の終わりにして戸締りして帰る途中で声をかけられたんだよ……」
どこから話したもんだろうかと思いながら、俺は重い口を開いた。
職員室を出たところで、他の部活の後輩女子たちと一緒に、帰り道に立ちふさがれたのである。
「それで明日予定はあるかって聞かれたんだけど、瑞希は何か彼女の行動に心当たりないでしょうかね……」
いったい明日何があるはずだったんだ。チャラい感じのギャル後輩部員たちのお友達に、もしかしたらガラの悪いお兄さんたちがいたのかも知れない。ケジメを付けさせられるハメになりそうだったと思ったら、俺は心底ぞっとした。
だって俺は空手そんな強くないしな……。
「ね、ねーな、ンなもん。あたしは知らない」
「何で言葉に詰まってるんだよ。何か知ってるんじゃないのか。ん?」
「詰まってねーし! あたしは兄貴じゃないし。わかんねーな」
「わかんないかーそうかー。あの子いつも俺に対してツンケンしてくるんだよね。顔も怖いし睨み付けてくるし。俺明日、殺されるところだったのかな……」
これは困った。
瑞希も俺と兄妹喧嘩まがいの自由組み手をやっている分には俺に勝てないところがあるけれど、部活ではこれでも俺より先に黒帯を取得した有段者だ。
しかもその瑞希と一緒に地区大会によく出場していたのが箕面香奈枝で、たぶん試合のルールで本気になってやれば俺より恐らく強いんじゃないかと思うんだけどね。
「稽古中にセクハラとかしたんじゃねえの?」
「しないよそんな事!」
だいたいお恥ずかしながら、箕面さんは俺より強いからセクハラとかしたらボコられるから。
空手部の練習場所は修練場と呼ばれる体育館わきにある武道専用練習施設だが、まあ男女混合で基礎練や簡単な約束組み手の様な事は合同でやる。
さすがに大会や大会に出るための本格的な試合をやる時は男女それぞれ同性同士や、夏休み期間に顔を出してくれるOBOGを相手に稽古をする事はあるがね。
「そもそも俺、箕面さんと接点らしい接点とかなかったし。こんなに付け狙われる理由がわからないし!」
「あるじゃんかアニキ、子供の頃の道場からずっと香奈枝と一緒なんだし。ちょっとは考えてみろよ」
「言われてみればそうだけど、それただ部活や道場が同じでしたってだけだからな。それなら瑞希も箕面さんと同じだったじゃん」。
確かに子供の頃から同じ道場には通っていた。
瑞希は同じ女子だから箕面さんとはまあ一緒のグループだった事もあるだろうが、中学の時は男子は大人の部に混じって練習する事も多々あったので、顔は知っているけれど、それ以上でも以下でもないと言う程度だったぐらいだね。
「あ、でも思い出した。香奈枝の上段回し蹴りで、アニキぶっ倒れた事があったよな」
妹にそう言われて、いわゆるハイキックというやつを出会いがしらにぶち喰らって倒れた思い出だ。
「お前よく覚えてるなそんな事……」
「アニキって基本、弱いからな」
「お前お兄ちゃんにさっきも負けておきながら偉そうだぞ」
「妹に対してだけ強くても意味ないだろ!? 何で万年茶帯なんだよ早く昇段しろよ!」
「やりたくてずっと茶帯付けてるわけじゃないんだよ! 言わせんなっ」
またぞろじゃれ合いみたいな兄妹喧嘩になりかけたところで、玄関に気配を感じたのでピタリと俺たちは争いをやめる事にした。
たぶん親父を駅まで迎えに行っていたお袋が、夫婦そろってスーパーで買い物をして帰って来たのだ。
ガサガサと買い物袋の擦れる音と、談笑する両親の声を耳にして、俺たちはそそくさと離れるのだった。
ようやく落ち着いてアイスが食べられるようになったので、自室に戻る事にする。
◆
結局俺は箕面香奈枝の情報を瑞希から引き出す事は出来なかった。
彼女の事は確かに顔だけは町道場に通っていた頃から知っていたのだけれど、実際に瑞希に言った通り、ほとんど接点がないも同然だったので、要するに何も知らないのと一緒だった。
ただひとつわかっているのは、高校に入るか入らないかぐらいになってから、妙にチャラチャラっとした女の子たちと一緒にいる事を目撃したぐらいだろう。
ちょうど部活帰りに職員室で見かけた、あの連れの女の子たちがそうだ。
箕面さん自身はむかーしから目つきが悪かったし、言葉もあまり流麗にしゃべるタイプではなくぶっきらぼうな雰囲気があった。
けれども彼女の普段親しくしているお友達はどうみたってチャラっとした感じの女の子だ。
不良というわけでもないのかもしれないが、髪の毛を校則に照らし合わせて指導されるギリギリまで茶髪にしている様な感じだし。学校外で見かけた(主に駅前とか)時は、どうやらピアスもしていた気がする。
うちの妹がそんな事をすれば間違いなく親父が怒りだす程度にはチャラっとしているので、何となく彼女も悪いお友達が出来て、悪い人間になったのではないかと俺は想像して肝を冷やしたのだ。
もうほとんど溶けてなくなりかけた棒アイスの棒を口にくわえながら、陽の落ちかけた夕方の窓の外を見やった。
「ホント、明日はいったい何の用事で俺に顔を貸せとか言ったんだろうな……」
べったりと体に張り付く様な空気を混ぜ返す扇風機が、窓のカーテンを揺らす。
風鈴がチリンチリンと鳴り響いているのが、俺の不安をかきたてるのだった。




