クローズユアアイズ 5
あの一件以来、小夜とは顔も合わせていない。
まさか桃色だったな、などと軽口を言ってのけるほど文太郎は下種ではなかったし、そもそもがおくてである。
しかし人生には覚悟の時というのはあって、今がさしずめ、その時であるのだろう。今日がイヴの日、ルミエルに出かける日だった。
「待たせたか?」
夕方六時、嬉しそうな顔をした宇奈月新平が、仏頂面の文太郎に声をかけた。
「俺も今来た」
「可愛い子ちゃん達は?」
「まだだ」
みもふたもない言い分に、ちょっとガッカリとした顔をする新平だった。直ぐにも寒空に風が吹き抜けて、ぶるりと身を震わせる新平。
「小夜ちゃん、最近会ってないからなー。可愛くなったんじゃね?」
「気安くちゃん付けで呼ぶなよ」
「もう彼氏気取りか?」
嫌な顔をして、からかう新平を睨みつける文太郎だった。しかしそんな言葉を、まさか自分が口にするものとは、と文太郎本人もおおいに驚きを隠せなかった。
――俺、どうしたんだろう。
少し意識しすぎで、おかしくなったのじゃないかと思う。それくらいに自分でも驚いた。
二人の待ちぼうけている大野市黄金町のバス亭前。ガードレールにもたれ掛かっていた新平が、どっかとベンチに座す文太郎の隣りに腰を吸える。
「それにしても遅いや。楽しみなんだがな」
天を仰いで新平が言った。
「ん、何かあったんか」
浮かない顔をしてるぞ、と続けるのである。文太郎はいや、と否定して見せたが、何しろ女の子とイヴを過す初めての経験である。実の事を言えばデート臭いこのシチュエーションそのものが初めてで、内心に大喜びするのが健全なる男児の姿だろう。
でも、浮かない顔は否めない。
やはり小夜に会った時、桃色事件について、なんと釈明しようかと悩ましげな心境が、文太郎をそうさせているのだ。
「文先輩、宇奈月先輩」
不意に、声がした。
声の主は桑田香苗という一級下だった女である。小夜と香苗、二人は並んで文太郎達を見やっていた。
小さく小夜がお待たせ、と言った。
小夜の外見はロングの長髪に細い顔立ちの印象だった。その顔立ちは目元のくっきりとした感じで、下唇が少し厚い。それに比べるならば丸々とした顔の香苗の印象は対照的といえて、背も、どちらかというと女性にしては長身の小夜ならば、香苗は小さな少女的な印象だった。
どちらも、歳に相応しいだけの愛らしさを備えていて、それが冬のファッションによって映えている。
トレンチコートの下から少しだけ見えるミニに、ブラウンのタイツとブーツ。ふわふわとした毛糸のマフーラーの小夜。
香苗はやはり対照的で、スカジャンにミニだった。頭は帽子を被っていて、それにスニーカーとマフラーである。タートルネックのとっくりが、マフラーの狭間から僅かに見え隠れする。
同い年とはいえ、小夜が女性的らしい格好というなら、香苗はボーイッシュと括れるだろうか。そんな事を瞬時に、振り返った文太郎が思った。
「遅い遅い。聞いてなかったけど、今日のお相手は香苗ちゃんかー」
馴れ馴れしい言い草で、宇奈月新平が立ち上がった。
「それはこっちのセリフよ。宇奈月先輩が来てるからびっくりよ」
不吉な微笑をして、香苗が言った。
それをまた、うんうん、といった具合で頷き返す新平も変だった。何か浮いている。
文太郎はしどろもどろの具合で、ちらりと小夜を見ると声を書けた。
「ぃよう」
「……どもッ」
夜もうつ向き加減で、チラと文太郎を伺うに留まる。
事前の約束では、男ども二人の自転車で、市役所前の商店街に行く事になっていた。当然二人乗りで、分乗して出かける事になる。
さてどちらがどちらに、とはならなかった。
何でかと言うと、さっさと香苗は、新平の自転車の後部荷台にまたがってしまったからである。
「何してるんですか文先輩、早くしないと人いっぱいになっちゃうんだから」
「お、おう」
文太郎が自転車にまたがると、遠慮がちに小夜がそれに従った。
「文先輩、失礼します」
その言葉を聞いて、文太郎は少しガッカリした。
やっぱり、パンツを見てしまった事がまずかったのだろうかと後悔する。いつもは他人行儀に振舞ったからといって、文ちゃん、文兄ちゃんと呼んでくれていた。それとも人の前だからか。
考えても仕方ない事で、もう今をどう過すかよりも、ルミエルを見に行く事だけに集中すると、考えを改めた。
「さあさあ、行こうぜッ!」
二台の自転車が走り始めた。
吹き付ける風が冷たかった。自転車が駆け出すと、それが強くなる。
すると小夜が、腕を文太郎の細げた胸あたりに回してしがみ付いた。地面は凍りがちなこの頃だったから、極力運転には注意を払う。
どうしてもそれが、ふらりふらりしたものになって、横掛けの小夜は少しばかりびくりとして、また一層しがみ付くのであった。
――何と、胸が背にまとわり付く!
複雑な心境だった。こういう事を期待して、新平は自転車で行こうと言い出したのだが。これがまた複雑なのである。
パンツと合わせ考えるなら、今の文太郎は罪深い心境だったのだ。
「文ちゃん」
「――ん」
唐突に耳元で、小夜が囁いた。
「見たでしょ?」
「……ん、うん」
動揺していた。何といって返そうか解らず、結局はそうだと肯定してしまった。
「でもわざとじゃないぞ。視界に小夜が入ってきて、桃色パンツをお披露目したんだぜ。でも、……すまん」
風に吹かれるから、文太郎のする弁明の最後のあたりは、風音にまぎれて消えていた。
「ピンクって言ってよね。もぅ」
寒風のためか、はたまた気恥ずかしさの故か、どうにも頬を赤らめる小夜が、ぐっと文太郎の背に顔を押し付けた。
何だか、嬉しく思う瞬間だった。




