クローズユアアイズ 1
大野市黄金町の町並みは、他の市街地に比べれば少しばかり違った景観といえるのだった。
町の間を小川が流れていて、子供達にとって格好の遊び場だった。けれども今は冬であるし、虫取り魚とりという季節でない。
だからこの小川の周囲は、枯れた葦の葉がぼうぼうと寒風にそよぐ様で、とてもとても寂しげな印象を与えていた。
昔はここで洗濯や洗い物をする人もいたほどに綺麗で穏やかで、小川の下流には美しい田圃が大野の平野部に広がっていた。今は昔のままとはいかず、所々コンクリートで小川は護岸されてしまった。
今年から大学に通い出した文太郎も、少年期にはこの小川に世話になったひとりである。今だって朝は小川に面した裏庭に出て、魚はいないか、いないかと覗いたりする事があった。
ここらあたりの家は皆が農家と相場が決まっていて、皆朝が早い。文太郎の家は、とうに農業を辞めてしまった家柄だったが、まだ自足する程度の畑だけはもっている。
だから畑に出る祖母のゴソゴソする音に起こされて、文太郎も自然と朝が早くなるのだ。
当に冬休みに入っていた文太郎ではあったけれど、家でゴロゴロしていると怒られるので、朝の体操がてらに玄関を出ると、裏庭に回った。
川べりに立って伸びをしていると、川向こうの隣家の小夜が物置から自転車を引き出すのが見えた。
「おはよう」
と文太郎が声をかけた。
すると小夜はおどろいて背をびくりとさせて、そのあとは文太郎を振り向いて、頭を垂れて軽く会釈した。けれどもすぐに生垣の向こうに姿をくらましてしまって、見えなくなる。
――年頃だからな。
文太郎は苦笑した。ほんのいっ時前までは、文兄ちゃんなどと呼んで慕ってくれたものだし、勉強も教えたというのにこれだ。
最近は勉強に部活に忙しいのか、あまり姿を見ていなかった小夜だったが、久方ぶりに文太郎の見た小夜は、ずいぶんと大人びたものだった。
背も一人前に伸びたものだし、顔立ちも丸い印象から随分と細く見えるようになった。何よりこの頃長く伸ばし始めた髪が、大人らしく見せるのかもしれない。
たった一つ違いの隣家の娘に、なんとも年下扱いしてきた自分にも可笑しくなった文太郎は、俺だってガキじゃないかと自分に言い聞かせてみた。
確かに彼女もいない文太郎は、ある意味でガキなのである。
そんな事を考えながら木刀を引き出してきて、素振りの真似事などをやってみる。最近はとんと体がなまっているので、冬休みに入ってから押入れをひっくり返し、それで体を動かす事にしていた。
一度、寒いからといって土間でやっていたら、蛍光灯を割った。
こっぴどく親父にしかられてから文太郎は、しぶしぶこの裏庭で素振りすることにしていた。
もう十二月だったから、本当に芯まで冷たさが沁みこむ。
だから、とにかく我武者羅に木刀を振るのだが、夕方近くになると、なんだか腕がけだるくなる。それでも三日坊主だとか何とか母や祖母に嫌味を言われるものだから、仕方無しに翌日もやる。
このところは、そんな作業を繰り返していた。
「えい!」
このやろ、と内心には叫びながら素振りを始めると、ガシャーンという響きが、小川の向こうから聞こえてきた。
それに添えて直ぐにも、キャン、という声も聞こえた。
――ありゃ、自転車がこけたな。
この寒さで昨日の雨が、水溜りが凍っていたのだろう。
文太郎は直ぐにも小川を飛びまたいで、隣家の庭へ入った。
見れば、尻もちをついた隣家の娘小夜がいて、自転車は見事にすっころんでいた。
「おい、大丈夫か?」
「はい」
他人行儀に、小夜はそんな事を言うのだ。
「ありゃー。チェーンが外れてるぞ。これから学校だろ?」
「うん……」
「これくらいなら直ぐになおせるから、ドライバー一本持ってきて」
文太郎が言うと、きびすを返した小夜が、納屋の方へ駆け出していった。そしてすぐに少し重たい工具箱ごと、持ってくる。
マイナスのドライバー一本を受け取ると、汚らしい、油まみれのチェーンを手づかみして、ごりごりとドライバーを振るった。
そんな事をしながら小夜をちらと見たりして、文太郎は言う。
「尻餅ついたのか」
「うん」
「泣かなかったな。大丈夫か」
「もう子供じゃないもん。いつまでも文ちゃんの袖にしがみついて、泣き喚くわけないじゃん」
そんな事を言う割には、相当に痛かったらしい。泣きそうな顔である事は、目で見れば解った。頬がすこし紅くなっていて、確かに涙目だった。
「これから部活? 大変だな」
文太郎はそう聞いてみたけれど、それには小夜は答えなかった。変わりにチェーンをかけ直した自転車を受け取って、ちらかったカバンなどを拾い上げると、ペコリと頭を下げてそれに飛び乗った。
「おい、きをつけろよ。地面が凍ってるんだから」
少し前の事だったら、うん解ってるよ文ちゃんのバーカ、とでも返してくれたろうけれど、やっぱり小夜は何も言わずに自転車を漕ぎ出してしまった。
なんだかなぁ、と文太郎が苦笑を浮かべようとした瞬間に自転車はなぜか止まった。ちょうど小夜の家の表へまわる庭の端あたりでだ。
「……ありがとうね」
なんだ、言えるんじゃないか。と文太郎は思った。
最近は他人行儀だから、色気づいたなんていうよりも、大人になっても垢抜けない文太郎を嫌いになったんじゃないかと、彼自身は思っていたものだ。どうやら、捨てたものじゃないらしい。
時代小説家・藤沢周平の世界観にあこがれて、
ちょっと蝉しぐれっぽい話を書こうと筆を執った作品です。




