第二十六話
壁は立っている。
北の丘陵の底、群れの源の北の端だ。北へ抜けられるのはこの切れ目だけで、幅は人一人ぶん。そこへ土が下から寄って隙間を埋めた。表は日が当たっても光らない。
ヴァルドの四人が切れ目を下りきるのを待って立てた壁だ。立てたのはヒルデで、詠唱は一度で足りている。底の土で足りると昨夜言った。そのとおりに足りている。
可です。声には出さない。
塞いだあとで北へ出す用があるなら先に言ってください、と昨日のうちに聞いてある。
誰も言わなかった。思いつかなかっただけだとしても、昨夜の紙に北へ出す用は一行も書かれていない。
パーティは四人だ。
紙の上では五人になっている。ダグマーを南の三列目へ回した。治す者を戦う側に置かないのがこのパーティの順番で、順番は昨日のうちに決めてある。
向こうのパーティも四人だと聞いた。あちらも治す者を南の三列目へ置いている。紙はどちらも五人のままだ。
ここへ来るまでは、紙のとおりに進んだ。
列は昨日の日暮れに底の縁へ着いた。夜のあいだに雪が降って、数えた跡は全部埋まった。朝は数え直しができない。数え直しができないまま入ると決めたのも昨夜で、決めた時に反対した者はいない。
ヒルデも不可とは言わなかった。
南の下り道から入って、底を北まで歩いた。歩きながら小屋を数えた。十一で、昨日の紙から増えても減ってもいない。外に立っている物は一つも無い。
昨夜、火を焚かずに膝を寄せた相談の場で、パウルは数を二つに分けて言った。底を横切る水の筋を渡って小屋の側へ戻ったのを数えて二十六。小屋十一から出した見当で三十前後。分けて言うのは正しい。今朝も小屋の中は見ていない。
骨の山の脇を通った。獣の骨で、太い方が縦に割ってある。中を出すために割った割れ方だ。
道具を使う相手だと目録にはある。目録のその行の下に、割られた骨が肩の高さまで積んである。
昨夜の紙では、この脇に一体が座っていることになっている。今は誰も座っていない。
切れ目に近い小屋が二つ燃えている。底の物は煙から遠い方へ、南へ寄っていく。
小屋のあいだに立っている物が見えた。
二本の足で立ち、肩が人より広く、肩から先が長い。頭はヒルデの目より上にある。皮膚は灰に緑を混ぜた色で、毛が無い。顔は平たく、下の顎から二本の牙が唇の外へ上向きに出ている。大牙の牙と同じ向きだ。目は黒い。手に持つ木の槍は人の背ほどで、先を斜めに削ってある。
目録の絵と同じだ。絵より腕が長い。
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「来ます」
パウルが言った。腰の筒に手は掛けない。今は矢の方を先に取る。
立っていた物の後ろ、小屋の陰から三体が続いて出た。
四体になる。四体とも目録の絵と同じで、頭はどれもヒルデの目より上にある。手の木の槍は人の背ほどで、先の削り方が四本とも同じだった。同じ手が削った物が四本ある。
出た所で、四体とも足を止めた。
走ってこない。木の槍の先だけが、少しずつこちらへ向く。
目録に、こう出てくるとは書いていない。
「ブルーノ・カンプ」
「ここに」
「ヒルデ・ナウマン」
「ここに」
「パウル・シュテック」
「ここに」
隊長のネッケルが名を呼んだ。底へ下りる前に一度呼び、位置に入る前にもう一度呼ぶ。見て分かったつもりになるのと、呼んで確かめるのは別だ、とこの男は言う。
ブルーノが、大盾を腕に固定する留め革を締めた。呼ばれた時に一度、呼び終わってからもう一度。
「ブルーノ。正面だ」
「正面」
ブルーノが復唱してから前へ出る。大盾を斜めに落として、右の足を半歩だけ引いた。重装の男が動くと雪の下の土が鳴る。
出た先は、朝に埋めた切れ目の前だ。
ヒルデは杖の石突を雪へ差した。
「エルデラ、ペトリナ――レイサ・ヴェッグ・ヘンドル」
左の斜面へ土が寄って、腰の高さで止まる。北で一枚使ったぶんだけ低い。それでも横へ回ろうとする分がここで一度足を止める。止まれば隊長の剣が間に合う。
及第点です。
前の二体が足を出した。出した先は、ブルーノの立っている所から左へずれている。
後ろの二体は出た所から動かない。パウルの弓の先が、そちらへ向いたままだ。
「二体、受けます」
「受けろ」
ブルーノは足を先に出さない。半身を回して、大盾の面を二体の来る筋へ入れる。面が入ってから、踏んだ所へ体重を移した。
二体の足が止まる。
人一人の胴を隠す物がいきなり横から入れば、走っている側は一度止まる。止まっているあいだが隊長の入る時間だ。昨夜の紙にそこまでは書いていない。書かなくても、この二人は同じ所で動く。
隊長が右から入った。
剣が前の一体の腕の付け根へ入って、抜ける。血は出た。出たが勢いが無い。切り口の縁が白くなって、そこから薄く霜が広がっていく。
牙人は倒れない。
倒れないが、木の槍を持っていた腕が肘から下がった。上げようとして肩だけが動く。肘から先が付いてこない。木の槍の尻が雪へ落ちて、落ちた所に残った。
付与で止まるのは腕だけだ。
斬った先の熱を抜くので、抜かれた先が動かなくなる。動かない腕は木の槍を持てない。
都で刻んだ剣だ。買える者は限られる。この値で手に入るのは腕一本ぶんで、命までは付いてこない。
腕を止められた方には、別の一撃が要る。
二体目は盾の面へ来ない。大盾の外を回ろうとした。
回った先に、さっき寄せた腰の高さの土がある。脛が当たって、足が一度止まった。
止まった所は、まだ盾の届く内側だ。
寄せた土は、寄せた通りに働いている。
ブルーノは位置を変えない。盾の面をそちらへ向け直して、下の縁で木の槍の先を跳ね上げる。上がった分だけ相手の脇が開いた。
開いた所へ隊長の剣が入る。付け根ではなく脇の下だ。霜が肋の上まで広がって、上げかけた腕が途中で止まった。
腕を一本使えなくするのに、この剣は一度か二度で足りる。学園ではそういう数を誰も数えなかった。
腕が使えなくなっても、牙人はまだ立っている。
ブルーノが盾を寄せて、腕の下がった一体の正面を塞いだ。塞いでから右手が腰へ行く。
戦鎚が上がって、下りた。
音は短い。横から頭へ入って、牙人の膝が前へ折れる。折れた先で動かなくなった。ブルーノの足は、出た時の所から半歩も動いていない。
及第点です。
パウルの目は正面に無い。弓の先は、まだ小屋の側の二体へ向いている。
一体が半歩出た。出た所で、矢の先がその胸の高さへ上がる。
二体とも、出てきた陰へ足を戻した。
隊長はもう一体の前から動いていない。
脇を斬った方だ。腕は上がらないが、足はまだ動く。残った手で外套を掴みに来る。
隊長は下がらない。下がらずに膝の外へ剣を入れた。膝が抜けて、牙人が片側へ落ちる。落ちた所へ首の横からもう一度入った。
それで止まった。
一体に二人かかる。
二人が塞がっているあいだ、残る二体の方を向いていたのは弓の先だけだ。
獣なら走って抜けようとする所だ。
その弓が一本を放った。
矢が、そのうちの一体の腿へ入った。入った所で体の向きが変わる。変わった先は小屋と小屋のあいだで、そこは南へしか抜けられない。
「南へ向かせました」
パウルが言った。声の高さを変えていない。
「撃つな。こっちはもう手いっぱいだ。南へ出た分は列に任せろ」
隊長が言った。
矢を一本で、こちらが受ける牙人が一体減った。
可です。
隊長が剣の腹を雪へ当てる。霜と血が一緒に落ちて、雪の上で溶ける速さが違う。
弓は下りた。次の矢は、まだ弦に無い。
そこへ、小屋の側の一体が動いた。
南へは行かない。矢の刺さった方ではなく、もう一体の方だ。木の槍を腰の高さで構えて、真っ直ぐブルーノの正面へ来る。
「三体目です」
「ブルーノ」
「正面」
ブルーノは盾を動かさない。
木の槍が正面から来た。
先が大盾の真ん中に当たる。音が低い。当たった所が沈まない。表に刻んである線が、当たった一点のまわりだけ光を返して、返してから元の光り方へ戻った。
押し返されたのは牙人の方だ。腕の力が全部この面へ乗って、乗った先が動かなかった。
二歩下がった先は、さっきの二体の血で雪が解けている。足が滑る。
滑った体が前のめりになって、そのまま盾の側へ倒れ込んだ。膝が大盾の裾の前へ落ちる。
落ちた所は、ブルーノの踏んでいる土のすぐ先だ。
あの盾は割れない。
都の職人が刻んだ耐久の付与で、値は聞いていない。聞かなくても、このパーティがもう一枚は持っていない物だということは分かる。
ブルーノは滑った相手を追わない。追えば正面が空く。
代わりに戦鎚が出た。落ちた膝の上の頭へ、上から一度。
三体目が止まった。
戦鎚の頭に付いた物を、ブルーノは雪へ二度当てて落とした。
雪の上に三つ載った。
二体は前のめりで、一体は横へ落ちている。どれも頭がこちらを向いている。
木の槍は二本が体の下にある。手を離したのではなく、握ったまま倒れてその下へ入った。
残る一本は、体から離れた所に転がっている。肘から下がった方の一体だ。あの腕は、倒れるまで何も握れなかった。
南へ向いた一体は、小屋と小屋のあいだを抜けていく。背中が見えるだけで、追う者はここにいない。
南の列へ、一体送り込んだことになる。
燃えていない小屋の口は、どれも開いたままだ。
中は暗くて、動いているかどうかまでは取れない。
ブルーノの息だけが、重装の下で長い。
鎧の胸が上がって、下りきる前にまた上がる。三体を止めて、一体も前へ通していない男の息だ。
留め革を締める音がひとつ。
戦鎚を腰へ戻してから、ブルーノは盾の革をもう一度締めた。一度目で締まっている。
いつもなら、ここで指が革から離れる。今日は少し長く置いていた。
締めてから、面を正面へ戻す。立っている所は、正面に入った時と同じ所だ。
パウルが小屋の側へ顎を向けた。
「残り一体。まだ南です」
「ここまでの数を言え」
「こちらへ出てきたのが四体。ここで止めたのが三体。南へ行ったのが一体です」
隊長は紙を出さなかった。出す方の手は、もう剣の側にある。
昨夜の数は二十六と、三十前後だ。南へ寄らずにこちらへ来たのは、まだ四だ。小屋は十一ある。
こちらは四人だ。紙の上の五人目は南にいる。
決めたのは昨日で、決め方は正しい。正しく決めると、正しく人が足りなくなる。
小屋の陰から、また出てきた。
一つだけだ。立ち上がる途中で、背が止まらなかった。
さっきまでの牙人より、頭一つぶん高い。肩の幅も腕の太さも一回り大きい。顔は同じ平たい顔で、牙も同じ向きに出ている。目の色はこの距離では取れない。片手に木の槍を提げている。人の背より一つぶん長い。
目録にこの大きさは載っていない。
昨夜の紙で骨の山の脇に座っていたのは、これだったことになる。
点呼はもう済んでいる。位置も変えていない。
こちらで変えるところが一つも無いまま、来る物だけが変わった。
木の槍は提げたままだ。持ち上げてもいない。
近づく足は、畑を見回る人の足と変わらない。
パウルの弓が上がった。矢の先が、その胸の高さへ向く。
足は止まらない。速さも幅も、向けられる前のままだ。
さっきの二体は、この高さで陰へ戻った。
ブルーノの盾は、その足の来る筋へもう向いている。
三体が地面に載るまで、小屋の陰から出てこなかった。
こちらの手順を見ていたのかどうかは、この距離では取れない。
隊長が大きい一体の右から入った。氷の付与剣が腕の付け根へ入って、入った先に霜が付く。付与は仕事をしている。
仕事をしているのに木の槍を提げた腕が下がらない。
パウルの矢が二本、顔へ行った。
一本目は、木の槍を持たない方の腕が上がって外へ弾いた。二本目は顔の横を抜けて雪へ落ちる。
腕は上がる。歩く速さは変わらない。
隊長が二度目に入った。
同じ付け根へ、同じ深さで。抜いた後の切り口に霜が付く。付いた所から先が白くなって、白いまま腕が上がった。木の槍の先が、隊長の頭のあった所を通る。
通る前に隊長は半歩内へ入っている。
大きい一体の腕は下がらない。
霜は付いている。付いているのに、何もないように動く。
こんなものは見たことがない。
杖は差したままだ。何を出すかが決まらない。
隊長は三度目に入らなかった。
剣を下げて、大きい一体の正面から外れた所へ足を運ぶ。平たい顔がその足を追う。あれの足は追わない。真っ直ぐのまま、切れ目の前へ向いている。
三体を片づけた二人が、今は大きい一体だけを見ている。小屋から次が出ても、受ける者がいない。
北の切れ目の前に立っているのは四人で、そのうち一人は杖しか持っていない。
杖しか持っていない者の足元の土は、二枚ぶん減っている。三枚目は続けて立たない。
小屋の陰から四体出てきた。
こちらへは来ない。大きい一体の脇を抜けて、そのまま南へ折れていく。
木の槍の先は、四本とも下を向いたままだ。止める手はここに無い。
霜が効かなかったのは、大きい一体だけだ。
大きい一体がブルーノの正面へ入った。
三体目を止めた時と同じ所に、同じ面が向いている。違うのは来る物の背丈と、手に持つ物の長さだ。
大盾の上の縁が、相手の胸より下にある。
三体目の時は、縁の上に顔があった。
人の背より一つぶん長い木の槍が、腰の高さで止まる。先が、少しだけ下がった。
木の槍が来る。
ブルーノが盾を合わせて、合わせた向きのまま半歩下がった。当たった音が短い。長い物は、当てた側の力が先まで乗る。正面で止めずに向きを変えて逃がし、逃がした分だけ下がる。
一度目は逃がした。




