第二十二話
「来たな。秋に言った約定を、今日使う」
ベルツはそう言って、卓の向こうから動かなかった。
ガレアの詰所の表の間だ。刈り入れの前にこの男と会ったのと同じ部屋になる。ガルドは戸を閉めて、卓を挟んでベルツの向かいに立った。ベルツは前に会った時と同じ卓の、戸から遠い奥の側に座っている。栗色の髪に灰色が混じり、短く刈ってある。左の小指に指輪が一つ。
違うのは上着の裾だった。秋は旅の埃が付いていた。昼のこれは雪解けの泥が乾いて、膝の下まで色を変えている。
「三年の約定の話ですか」
「そうだ」
「はい」
昼前まで畑の縁にいた。昨日フェイが読んだ跡を、自分の目で見ておきたかった。窪みの底の蹄は、見た分は全部外を向いていた。
そこへニコが走ってくる。詰所へ来てくれ、今すぐだ、と言って走って帰った。誰が呼んでいるかは言わなかった。秋と同じだ。
「北の丘陵だ。源を断つ。館とギルド支部が人を出す。明日の朝、中央広場に集める」
「五人ともですか」
「お前一人だ」
ベルツの答えは短い。
「残りの四人はギルドの話だ。うちが呼んだのはお前で、金はお前の分を普通に払う。約定の文はそれだけだ」
「はい」
聞かれた分だけ答える。
秋にここで会った時は、この男の短い答えの裏を読もうとして読めなかった。今日はその必要がない。要ることはこちらから聞けばいい。
「一つ伺っていいですか」
「言え」
「北の丘陵の討伐に出る人数は、全部でどれだけになりますか」
「外から五人。五人ともA級の組だ。腕は確かだ。もう支部に着いている。支部の組が二つ。ガレアが十二。館から兵が出る」
「兵も出るんですか」
「相手が獣だからな」
ベルツはそれしか言わなかった。
去年の相手は人だった。兵を動かせば先に気づいて逃げる。だから兵は出せなかった。今度の相手は獣で、兵を見て逃げはしない。
ガレアが十二。
あの夜の前は十五だった。腕をやられた一人と、死んだ一人と、脚をやられた一人が引かれている。ベルツはそこまで知っている。
十二はフェイと副長を数えての十二だ。副長は右の肩に布を巻いたままで、剣は左に提げている。抜けば十一になる。抜いた分を足せる者はガレアにいない。
「いつ決まったんです」
「昨夜だ」
「外の五人が着いてからですか」
「着く前からだ。あの五人が着いたから、討伐に出せる人数になった」
ベルツは立った。
立つのは秋と同じで早い。卓へ手をついて押す動きがなく、腰が上がった時にはもう戸の方を向いている。
「支部へ行け。顔を見てこい。その後で館だ」
「館からも呼ばれていますか」
「呼ばれている」
「何の話です」
「館に聞け」
知らないことは言わない。それだけの男だ。
廊下へ出る前に一度だけ振り返った。
「ヴァルド」
「はい」
「五人とも出られるか」
「出られます」
「そうか」
ベルツはそれ以上を聞かなかった。
――――――――――――――――――――
支部の前には見慣れない装備が五人ぶん並んでいた。
最初に目に入ったのは盾だ。
人一人の胴を隠す大盾で、縁にも表にも傷がある。傷の上へ薄い線が何本も刻まれていて、雪の光を同じ幅で返していた。盾を立てている男は重い鎧を着たまま、荷を解く者の邪魔にならない場所を選んで動かない。三十半ばで首が太く、赤みのある髪を刈り上げて顎に短い髭がある。腰に戦鎚を提げている。
その横に立つ別の男の腰に片手剣がある。鞘の口に付与石が入り、柄へ細い銀の線が巻いてある。銘は無い。飾りのための物ではなく、使うための剣だ。四十前後。中装の留め具が左右で同じ高さに揃っている。
「あんたがヴァルドか。帳場で聞いた。この町のA級だそうだな」
剣の男が言った。手袋を外して、右、左の順で腰へ挟む。
「ガルド・ヴァルドだ。そっちの名も帳場で聞いてきた。ネッケルのパーティだな」
ベルツの言ったとおり、五人ともA級だ。ガルドと同じ格の者が五人並んで立つのを、この町の支部の前で見たことはない。
「リーダーのユルゲン・ネッケルだ。こちらはヒルデ・ナウマン、ブルーノ・カンプ、パウル・シュテック、ダグマー・クレフト」
名を呼ばれた順に顔が動いた。
ヒルデは黒い髪を短く切った女で、杖と石板を同じ側へ置いている。杖には土の加護紋が刻まれていた。
ブルーノは大盾の男だ。名を呼ばれると短く頷き、また盾の留め革を見た。大盾を腕に固定する革の帯だ。
パウルは短弓を背へ回し、筒の形をした魔道具を腰の前へ付けている。支部の壁へ紙を押し当て、ここまでの道を細い線で描いていた。
ダグマーは三十そこそこの女で、灰色がかった金の髪を布で包んでいる。薬嚢を地面へ直接置かず広げた布の上で中身を順に並べ直している。手の甲だけが日に焼けていない。薬で荒れた手を布で守る者の手だ。杖の加護紋はバルトのものと同じ系統だった。
「私はネッケルでいい。パーティの名と同じだ。ほかの四人は名で呼んでくれ。ヒルデ、ブルーノ、パウル、ダグマー。中でもそう呼んでいる」
ガルドは頷いた。
「明日の朝は、出る前に全員の名を呼んで、揃っているかを確かめる。あんたの五人も呼ぶ」
ネッケルが言った。
「五人くらい、顔を見れば揃っているかは分かるだろう」
ガルドは言った。
「見て分かったつもりになるのと、呼んで確かめるのは別だ。うちは毎朝やっている」
「明日の朝、点呼。承知しました」
後ろでブルーノが短く返して、大盾の留め革を一つ締めた。指示を受けたら声に出して返すのが、このパーティのやり方らしい。
「あんたの五人は」
「日が落ちる前にここへ来る」
「役を聞く」
「俺が前。ライナも前。オルトが火。バルトが治す。シアが先を見る」
ネッケルは一人ずつ、紙へ短い線を置いた。
「こちらはブルーノが前。私が中衛で指揮。ヒルデが道と退路を塞ぐ。パウルが先を見る。ダグマーが後ろを保つ」
「隊長、荷の確認が終わりました」
ダグマーが言った。
「不足は」
「ありません。明朝の順に入れ直します。先に薬、次に布です」
「そうしてくれ」
五人の誰も、次に何をするかを隣へ聞かない。聞かないのではなく、先に全部決めてある。
こちらにも決まった形はある。
シアが戻れば出る。ライナが左へ寄れば空いた所へ体を入れる。オルトの火が近ければ伏せる。バルトが名を呼べば動ける者が傷を運ぶ。
声に出して決めたことではない。決めなくても同じ方へ動くまで繰り返しただけだ。
「明日、出る前に全員の位置を決める」
ネッケルが紙をこちらへ向けた。
「隊形は二列で進む。先頭から前衛、魔法、治癒。斥候は先行。合図は発光筒。指示は私から出す」
パウルが腰の前の筒へ手を掛けた。口を上へ向けて、戻す。
支部の前で見た時から腰に付いている物だ。合図はあれで上げるらしい。
「俺の五人にも、あんたが指示を出すのか」
「全員にだ。指揮する者が二人いれば、同じ場所へ二人が入って、別の場所が空く。空いた所から崩れる」
「そこまでは分かる」
「なら、私の指揮に従うか」
「この土地を知っているのは俺だ。あんたたちは着いたばかりだろう」
「土地を知っている者には案内を頼む。指揮はそれとは別の仕事だ」
「あんたはいま、二列で進むと言った。だが俺もあんたも、丘陵の奥の道はまだ見ていない。もし人一人ぶんの幅しかなかったらどうする。そこでは二列に並べん」
「その時は一列へ変える。先行したパウルの報告を受けて、私が指示を出す」
「報告があんたへ届いて、指示が先頭へ戻るまで、先頭の一人は一人で受けることになる。それまで持てばいいがな」
「持たせるために手順を決めてある」
「六日前の夜、この町に大牙の群れが入った。決めた手順のとおりには持たなかった場所を、俺はこの目で見た」
大盾の留め革が鳴った。
ブルーノは顔を上げない。手順の話をしているあいだも手順どおりに自分の装備を確かめている。
ヒルデが石板を胸の前へ持ち上げた。
「指揮する者が二人いる案は不可です」
「だから、一人にする話をいましている」
ネッケルが言った。
「どちらが指揮するのかが、まだ決まっていません。このままでは及第点に足りません」
「ここで言い合っても決まらんな。俺はこのあと館へ行く。戻ってから続きをやろう」
ガルドは隊形を書いた紙をネッケルへ返した。
「館へ行くのか」
「館の主に呼ばれている。断れる呼び出しではない」
「何時ごろ戻れる」
「分からん。向こうの話しだいだ」
「それでは困る。時刻を決めてくれ。日が落ちる前に、あんたの五人と私の五人を全員ここへ揃えたい」
「分かった。日が落ちる前には戻る」
「日が落ちる前だな。確認した」
ネッケルは紙へ一本、線を足した。口で決めたことを全部紙に残す男だ。
――――――――――――――――――――
館の部屋は去年と同じ広さだった。
卓が一つ。紙の束が三つ。壁の地図は北の丘陵のところまで広げ直されている。
館の主のレオンは帳面へ何かを書いていた。去年の冬、この卓で一筆を出した男だ。アシュを余所へやる話は公爵家の許しがなければ決まらない、という一筆だ。
「ヴァルドか」
「はい」
「ベルツには会ったな」
「呼ばれました。三年の約定で」
「そうだ」
「金は普通に払うと言っています」
「払わせる。約定の文は変えん」
レオンのペンは動いている。
「受け取れるんですか」
「受け取った形にはする」
ペンが止まった。止まったが、目は上がらない。
「今度の一件であんたの組に出る分は、全部うちへ戻す。二つを同じ帳面に書く」
「うちには入らない」
「入って、出る。残る物はないがな」
ミラが聞けば入っていないのと同じだと言う。
帳面では違う。ギルドは払ったことになり、こちらは受け取った物を返したことになる。
「五人ぶん全部ですか」
「全部だ」
「外の五人にはいくら出ます」
「聞いてどうする」
「うちは一枚も受け取らずに出ると仲間に話します。あちらの額を言わずに話せば、片側だけの話になる」
レオンはペンを持ったまま答えた。
「金貨で百だ。組に百」
「館からですか」
「館からだ。支部を通すが、出すのは館だ」
金貨で百と、一枚も残らないこちらの行が、同じ帳面に並ぶ。
並べて書くのはこの男だ。
「仲間には俺から話します」
「そうしろ」
「返すのは、北の群れを片づけることですか」
レオンはそこでペンを置いた。去年、一筆を求めた時と同じ置き方だった。置いてから顔を上げる。
「源まで片づけろ。全部だ。追い返しで終いにするな」
「峠は閉まっています」
「だから言っている」
レオンは地図の北の端を指した。
「上が埋まったから下りてきた、とあんたの側は読んだそうだな」
「はい」
「埋まった道は帰り道でもある。追い返した先に、あれの戻る場所はもう無い。町の外で冬を越して、雪が固まるたびにまた下りてくる」
あの朝に数えられたのは三十二で、二十五が町に転がった。
北に残っている分を数えた者はいない。
「積もる前にですか」
「積もりきる前にだ。人と獣が同じ雪で動けなくなる。動けるうちに出せる数を全部出す」
「分かりました」
「これは依頼ではない。返済だ」
依頼なら断れる。
ベルツとの約定では、断る側の立場を三年預けた。
公爵家への借りでは、何で返すかを決めるのは最初から向こうだ。
「受けます」
「受ける話ではない」
「では、返します」
レオンは目を下げた。帳面の次の行へペンを置く。
「外から来た組を見たか」
「見ました」
「腕はどうだ」
「戦う所はまだ見ていません」
「全体の指揮はどちらが取る。決まったか」
「まだです。揉めています」
レオンのペンが止まった。
「あんたは、どちらが取るべきだと思っている」
「俺です」
「向こうも同じことを言うだろうな」
「言っています」
「なら今日中に決めろ。明日の朝、あんたと向こうが別々の指図を出せば、死ぬのは指図を受けて動く者だ」
「はい」
レオンはもう顔を上げなかった。終わりだと言われる前に部屋を出た。
――――――――――――――――――――
支部へ戻るとこちらの四人はもう揃っていた。
「先に金の話をする」
四人がこちらを見た。ネッケルのパーティの五人も聞こえるところにいる。聞かれて困る話ではない。
「今度の一件でうちに出る分は全部館へ戻す。取り分は残らん」
「いくら戻すの」
「外の五人には館から金貨で百が出る。うちには一枚も残らん」
「あんたの借りね」
ライナが言った。
「そうだ」
「去年、五人で行った仕事の借りでしょ」
「一筆を求めたのは俺だ」
「一筆を持って帰るために賊を押さえたのは五人だよ。今さら一人ぶんに割らないで」
ライナはそれで終わりにした。
「全額か」
オルトが聞いた。
「全額だ」
「使う道具と薬の代はどうなる」
「館と支部が出す。ただ、壊した道具の分まで持つとは聞いていない」
「なら、杖でも壊せば、その分はこっちの持ち出しになるな」
「なる」
「分かった」
オルトはヒルデの杖へ目を戻した。
「バルト」
「私は構いません。薬が出るなら、それで足ります」
「シア」
「行く」
聞いたのは金の話だ。シアの答えは行くかどうかだった。
ずれているようで、ずれていない。この五人ではそれで通る。
「すまんとは言わん」
「言われても困る」
ライナが斧の留め具を締めた。
「金が出ないのは困らない。北の群れを残したまま金だけもらう方が困る」
誰も迷わない。
借りを返す仕事と、町を守る仕事が、今度は同じ北にある。どちらか一つなら断る話もできた。二つが重なっているなら断る理由がない。
ライナはネッケルのパーティの大盾を横から見ている。オルトはヒルデの杖に触れず刻まれた線だけを目で追っていた。バルトとダグマーは布を広げ、持っていく薬の違いを一つずつ確かめている。
シアはパウルの描いた紙の前にいた。
「この線から先は見ているか」
パウルが丘陵の線を指した。
「見てない」
「最後に見た場所は」
「川の手前」
「木の密度は。道幅は。足跡の向きは」
「明日見る」
パウルは質問の三つを紙の端へ書いた。
シアは書かれた物を見ていない。北の方を見ている。
「ヴァルド」
ネッケルが呼んだ。
「館の話は終わったか」
「終わった」
「こちらも支度は終わった。残りは指揮だけだ」
卓には紙が二枚あった。ネッケルの紙には人の位置が線で揃えてある。ガルドの前には紙がない。
「丘陵へ着くまでの道中は、あんたが指揮を取れ」
先に言ったのはこちらだ。
「戦いになったら」
ネッケルが聞いた。
「戦いになったら、俺の五人は俺が動かす」
「全体への指示は誰が出す」
「それもあんたが出せ。ただし、従えん指示の時は俺がそう言う」
「言うなら、私の指示で人が動きだす前に言ってくれ」
「間に合う時はそうする」
ネッケルはしばらくこちらを見た。
「取り決めとしては不十分だ」
「相手は獣だ。前もって十分に決めておける相手なら苦労はない」
ヒルデが石板へ何かを書いて顔を上げた。
「出発までの案としては可です」
「ヒルデ」
「現地を見ずに完全な案を作る方が不可です」
ネッケルは返事をしなかった。紙の二列を指でなぞり、真ん中から二つに分けた。
「明日、斥候を先へ出す。二人だ。戻った報告で組み直す」
パウルが丘陵を描いていない空白へ指を置いた。
「この空白が埋まれば隊形が決まる。隊形が決まれば、指示を一つにできる」
「埋める」
シアが答えた。
「指揮の続きもその時だ」
「分かった」
シアは埋めると言い、ガルドは分かったと言った。
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家へ帰ると土間はもう暗かった。
卓に椀が伏せてある。リアは寝ていて、上の子は掛け棒の下で鉄剣を拭いている。
アシュは卓の端にいた。左手で右の手首を持って、卓の上へ載せている。
「明日から北だ」
「はい」
「いつまでかは言えん」
「はい」
右の指が一度だけ動いた。五本とも曲がる。曲がって、そこで止まる。
あの夜から六日になる。ゼドルの言った四日は過ぎた。軽い物が持てるという二十日はまだ来ていない。
この子は毎朝、残りを数えている。数えているとは一度も言わない。
「父さん」
「まだだ」
「何も言ってません」
「言う前に言った」
アシュは口を閉じた。閉じたまま、左手で右の手首を載せ直した。
ミラが竈の前から一度だけこちらを見る。
金の話はまだしていない。今夜する。
外では兵が広場の雪を踏み固めている。明日の朝に人を並べる場所を作っている音だ。
踏み固めた雪の上に、明日出る者の足跡はまだない。




