第七話 剣術
朝、目が覚めると庭から音がしていた。
木が打ち合う音だった。
規則的で、速かった。
ガルドが帰ってきているときの朝の音だった。
アシュはそれを聞きながら、しばらく布団の中にいた。
昨夜遅く帰ってきた。
依頼から戻ってきて、飯を食って、すぐ寝た。
疲れた顔をしていた。
それなのに朝からこれだった。
どのくらい寝たのかは分からなかったが、体を動かすことをガルドは休みにしなかった。
いつものことだった。
アシュは起き上がって窓から外を見た。
ガルドとレインが向かい合っていた。
二人とも木剣を持っていた。
ガルドが踏み込んで、レインが引く。
レインが返して、ガルドが捌く。
音が連続して、止まって、また続く。
アシュはしばらくそれを見ていた。
それから外に出た。
二人は気づいていなかった。
気づいていても止まらなかったのかもしれない。
アシュは庭の端に座って、続きを見た。
ガルドの動きは大きかった。
踏み込むとき地面が鳴った。
木剣が空気を切る音がした。
体全体で動いていた。
ガルドの巨体が踏み込むと、それだけで圧があった。
レインはそれに対して小さく動いていた。
引いて、ずらして、返す。
ガルドの力を受け止めようとしていなかった。
流していた。
真正面から当たれば吹き飛ぶのが分かっているから、当たらない場所に体を置いていた。
アシュより頭一つ分は背が高いのに、動き方はアシュより小さく見えた。
ガルドが一度止まった。
「そこで引くな」ガルドが言った。「もう半歩前で捌け」
「届かない」
「届くように動け。足が止まってる」
レインが頷いた。
何も言わなかった。
また始まった。
今度はレインの足が違った。
さっきより半歩前で構えていた。
体の向きが少し変わって、重心が下がっていた。
ガルドが踏み込んだ。
レインが捌いた。
乾いた音がして、二人の剣が交差した。
さっきとは違う音だった。
ガルドが少し笑った。
「そうだ」
それだけだった。
レインも何も言わなかった。
また構えた。
アシュは庭の端に座ったまま見ていた。
ガルドが教えているのは言葉が少なかった。
やってみせて、一言だけ言う。
またやってみせる。
レインも聞き返さなかった。
一度見たら次は違う動きをしていた。
二人ともこういう稽古に慣れていた。
どのくらい前からやっているのか、アシュには分からなかった。
でも、今日始まったものではないことは分かった。
積み重ねてきたものが動きの中に見えた。
ガルドがどこで止めて、レインがどこで返すか、どちらもある程度分かって動いているように見えた。
見ていると、レインの動きが少しずつ変わっていくのが分かった。
最初はまだぎこちなかった半歩前の構えが、繰り返すうちに自然になっていった。
ガルドの動きに合わせて、体が覚えていくのが見えた。
アシュは見ながら、自分だったらどこを見るかを考えていた。
ガルドの動きの起点はどこか。
踏み込む前に、肩の位置が変わっていた。
体重が前に移るより少し早く、肩が先に動いていた。
レインはそこを見ているのかもしれなかった。
だから引くタイミングが早い。
しばらくして、ガルドがアシュに気づいた。
「起きてたのか」
「音がしてたから」
「邪魔だったか」
「見てた」
ガルドが木剣を下ろした。
レインも構えを解いた。
ガルドが縁側の近くに置いた水桶に手を突っ込んで、顔を拭いた。
汗が多かった。
「お前もやるか」
「いや」
「なんで」
「まだ見てたい」
ガルドが少し考えた顔をした。
それから「そうか」と言って、桶の水をもう一度顔にかけた。
レインがアシュの隣に来て座った。
肩で息をしていた。
汗が額に滲んでいた。
剣を膝の上に置いて、しばらく何も言わなかった。
「強い」とアシュは言った。
「どっちが」レインが聞いた。
「父さんが。でもレインも上手い」
「全然だ」
レインが短く言った。
自分を下げているわけではなかった。
ただ事実として言っていた。
アシュはガルドの方を見た。
ガルドは縁側に腰を下ろして、木剣の刃の部分を確認していた。
傷が入っていないか見ているようだった。
稽古が終わっても、道具の扱いが続いていた。
さっきまで人に向けて振っていた剣を、今は丁寧に確認している。
戦うことと、道具を大事にすることが、ガルドの中では同じ流れにあるらしかった。
「毎朝やってるの」
「毎朝じゃない」レインが言った。「ガルドが帰ってるときだけ」
それを聞いて、アシュは少し考えた。
ガルドはよく出かける。
依頼が入れば何日も帰らないことがある。
依頼で家を空けることが多い。
帰ってくるたびに稽古をしているとしたら、回数はそれほど多くないはずだった。
でも二人の動きはそうは見えなかった。
それだけ一回一回が濃いのかもしれなかった。
レインがガルドの方を見た。
ガルドはもう縁側で鎧を確認し始めていた。
稽古が終わっても次の動きに移っていた。
「父さんに教わりたいとは思わないの」アシュは言った。
レインが少し考えた。
「教わってる」
「さっきのが」
「そう」
それだけだった。
アシュはそれ以上聞かなかった。
レインが膝の上の剣を見ていた。
しばらくそのまま黙っていた。
庭の向こうでガルドが何か確認しているのが見えた。
「いつから稽古してるの」とアシュは聞いた。
「俺が八歳のとき」
レインが短く答えた。
それだけだった。
八歳。
アシュが三歳の頃だ。
それからずっとやっている。
答えが返ってくれば十分だった。
レインは言葉が少ない。
でも聞けば答える。
それがレインだった。
――――――――――――――――――――
その日の昼、アシュは広場に出た。
朝の空気はまだ体に残っていた。
ガルドの踏み込みの音と、レインが剣を流した音と。
見ていただけなのに、どちらの動きも頭の中に残っていた。
どこが起点で、どこで変わったか。
体ではなく頭の中で追っていると、繰り返し再生できた。
これは自分の癖なのか、そういう見方をする人間なのだと、今更のように思った
ガイがいた。
いつもの場所で棒を振っていた。
アシュが来たことに気づいて、構えを解いた。
「今日は早いな」
「朝から稽古見てた」
「誰の」
「父さんとレイン」
ガイが少し目を細めた。
「レインの弟か」ガイが言った。「そういえばそうだったな」
「知ってたの」
「レインとは広場で何回か会ってる。ガルドの息子だって聞いてた」ガイが棒を肩に担いだ。「ガルド・ヴァルドって有名だろ。A級冒険者だから大体みんな知ってる」
「そういうもんなの」
「そういうもんだ。うちの親父もそう言ってた。ヴァルドは本物だって」
「フェイ・クライン。傭兵のリーダー」
「知ってたのか」ガイが少し目を細めた。
「名前だけ。詳しくは知らない」
「傭兵団のまとめ役やってる。ガレア傭兵団っていう。グレンツに駐屯してる」
アシュはそれを聞きながら整理した。
傭兵団。
冒険者ギルドとは別の組織だ。
ギルドは依頼を受けて動く。
傭兵団は違う形で動く。
グレンツに常駐しているということは、この町に根を張っているということだ。
「何人くらいいるの」
「十五人くらいかな。増えたり減ったりするけど」
「ずっとグレンツにいるの」
「基本は。出稼ぎに行くこともあるけど、親父は大体ここにいる」ガイが棒をくるりと回した。「親父はこの町が好きなんだと思う。出て行けって言われても多分出て行かない」
アシュはそれを聞いて少し考えた。
傭兵というのは依頼があれば動く人間だと思っていた。
でも一つの町に根を張って、そこを守ることを選んでいる人間もいる。
フェイ・クラインはそういう人間なのかもしれなかった。
「強いの」
「強いよ」ガイが迷わず言った。「俺が見てきた中で一番だと思う」
自慢する言い方ではなかった。
ただ事実を言っている声だった。
それがかえって重く聞こえた。
「剣を教わったの」
「物心ついたときから見てた。教わったというか、見て覚えた感じ」
「動き方、似てる?」
「似てないと思う。親父は大きく動く。俺は小さい方が合ってる」
体格の差だろうとアシュは思った。
フェイ・クラインがどんな体格かは知らないが、ガイは同い年の中でも小柄な方だった。
同じ剣を使うにしても、体に合った動き方がある。
今朝のガルドとレインを見てきたばかりだったから、余計にそう思った。
体の大きさが違えば、同じ場面での選択が変わる。
「稽古見に来てもいいかな」
「うちの?」ガイが少し目を丸くした。
「うん」
「別にいいけど、親父はそんなに教えてくれないぞ。見てても面白くないと思う」
「面白くなくても見たい」
「変なやつだな」
ガイが言った。
悪口ではなかった。
ガイがまた棒を構えた。
アシュは少し離れたところに腰を下ろして、その動きを見た。
速かった。
踏み込みが浅い代わりに切り替えが速かった。
一つの動きが別の動きに繋がっていた。
考えてから動いているわけではなさそうだった。
体が先に動いていた。
ガイが言っていた通りだった。
ガルドは体全体で動く。
レインは流して動く。
ガイは切り替えで動く。
三人とも違っていた。
どれが正解というわけではなくて、それぞれの体と速さに合った動き方があるのかもしれなかった。
ガイが一度止まって、アシュを見た。
「お前、何考えてんだ」
「みんな動き方が違うなと思って」
「そんなこと考えながら見てたのか」
「うん」
ガイが少し変な顔をした。
それから「まあいいや」と言って、また棒を振り始めた。
――――――――――――――――――――
夕方、家に帰るとガルドが縁側にいた。
鎧の手入れをしていた。
金具を一つずつ確認して、布で拭いていた。
アシュが隣に座っても顔を上げなかった。
縁側から庭が見えた。
朝の稽古の跡が地面に残っていた。
踏み固められた土が、二人が動き回った形に残っていた。
「ガイ・クラインのこと知ってる?」アシュは言った。
「フェイの息子か」
「うん」
「見たことある」ガルドが金具を拭きながら言った。「フェイとは顔を合わせたことがある」
「どういう知り合いなの」
「知り合いというか……まあ、この町にいれば自然と顔は知る」
ガルドがまた布を動かした。
金具を一つ仕上げて、次に移った。
「ガイが言ってた。ガレア傭兵団がグレンツに駐屯してるって」
「そうだ。長い。俺がこの町に来た頃にはもういた」
ガルドが少し間を置いた。
手が止まった。
「あいつは強い。本物だ」
「ガイが言ってた。見てきた中で一番だって」
「息子がそう言うなら間違いない」
ガルドが金具を置いた。
布を畳んで、膝の上に置いた。
「ああいう人間がいればグレンツは大丈夫だ。何があっても」
何があっても、という言い方が少し引っかかった。
アシュはそれを聞き返さなかった。
ガルドの顔が、聞き返されたい顔ではなかったからだ。
遠くを見ているような目だった。
庭を見ているのか、もっと遠くを見ているのか、分からなかった。
アシュは朝の稽古を思い出した。
ガルドが踏み込むたびに地面が鳴っていた。
力だけじゃなかった。
どこに踏み込むか、どのタイミングで返すか、全部計算されていた。
あれだけの人間が、この町には大丈夫だと言っている。
それがどういう意味を持つのか、まだうまく言葉にならなかった。
聞かなかった。
ガルドは言いたいことを言っている。
それ以上は言わないつもりだった。
夕日が縁側に差してきた。
ガルドが手入れを再開した。
金具を一つ拭いて、また一つ拭いた。
二人とも何も言わなかった。
アシュは膝を抱えて、布の音を聞いていた。
朝の木剣の音とも、ガイの棒の音とも違う。
同じ剣に触れる音なのに、人によって全部違った。
夕日が沈みきるまで、二人はそこに座っていた。




