第十六話
息の音が増えている。
声は出さない。吠えも唸りもしない。鳴くのではなく鼻が鳴る。夜のうちにこちらの耳へ入るのは自分たちの立てる音と、あれの鼻の音だけだ。
街道口の付与灯が倒れている。起こしていない。薬屋の借り物だ。起こせば街道の先を照らす。倒れていれば足元の雪を照らす。今夜要るのは足元の方だった。
ガルドは倒れた灯りの手前へ出た。
フェイの足音が町の方へ遠くなっていく。
街道口に残ったのは七人だ。こちらとシア。あとは若い衆が五人で、そのうちの一人はシアにつけてある。
「団長は」
若い衆の一人が聞いた。
「西の端だ」
「戻ってきますか」
「戻らん」
聞いたのはこの一人だけだ。あとの四人は聞かない。
四人は答えを知っているわけではない。聞いても同じ答えが返ると思っている。
今朝、フェイは指を三本立てた。立てたまま、何も言わずに下ろした。
三つの道のうちどれから人を引くかは言わなかった。先に言えば引かれる側に立つ者の足が変わる。だから言わない。
言わないやり方をする男が、夜のうちにどれかを引く。その先に何が並んでいるかをあの男は先に知っている。
街道口には荷車を横に二台置ける。
街道は北から下りてきて、ここから町へ入る。門も柵もない。東側は畑で、西側は脇だ。荷車の通る幅の外は、どちらも大人が二人並んで通れるだけ空いている。
両の脇に、荷方の空の荷車が一台ずつ、輪に石を噛ませて置いてある。
七人では塞がらない。八人でも塞がらなかった。人を並べて幅を埋めるという考え方が、この幅には合っていない。
合っていないのは日の落ちる前から分かっていた。分かっていて並べたのはあれがどこから来るかを誰も知らなかったからだ。
今は知っている。真っ直ぐ来る。
大牙は前が重い。胸と首が太くて、腰から後ろが急に細い。走ってきた勢いのまま入ってきて、入った先で向きを変えられない。
向きを変えられない体は狭い所を嫌がらない。嫌がる前に通ってしまう。
「荷車を寄せる。東の一台だ」
「どこへ寄せますか」
「街道の東の端だ」
「これ、荷方の荷車ですよ」
「荷は下りてる。空だ」
「怒られませんか」
「怒られる」
男は返事の代わりに息で笑った。笑ってからもう一人と前を抱えて引いた。輪の下に噛ませてあった石は雪に埋まっていて、掘り出すのに手間がかかる。
通れる幅が荷車一台ぶんになった。
「荷車と畑のあいだ、通れます」
若い衆が荷車の外側を指した。
「通らせる」
「え」
「街道を通る所を一つにする。荷車の西に残った一台ぶんだけだ。一つなら前に一人立てば済む」
立つのはこちらだ。
残りは四人になる。シアにつけた一人は数に入れない。
二人は倒した体を寄せる方へ回す。一人は荷車の東側で畑を見させる。一人は反対の、西の脇だ。
最初に倒した一匹はたまたま荷車の脇に落ちた。
二匹目はその手前へ倒した。
三匹目からは倒す場所を選んだ。
大牙は一匹で重い。大人が二人で抱えても、一度目は雪から離れない。
上がらない物は置いた場所から動かない。
動かない物が並んだ分だけ、通れる幅はまた狭くなる。
寄せる方の一人が、入ってきた一匹の首のつけ根へ刃を入れた。
刃が骨に噛んで抜けなくなる。柄を両手で抱えて引くと、抜ける前に男の足が前へ出る。出た分だけ横が空く。
ガルドは横から入って前脚の付け根へ切っ先を送り、そのまま前へ倒した。倒れてから男の刃が抜けた。
「首はやめろ」
「はい」
「前脚の付け根から胸だ。そのまま前へ倒せ」
「はい」
二度は言わない。二度言う間があれば一匹倒せる。
手が先に動く。頭が向きを決める前に体が入っている。
教わった頃は逆だった。逆でなくなるまでに何年かかったかは覚えていない。覚えておく用のあることではない。
――――――――――――――――――――
通る所を一つにしてからは一匹ずつ来た。
一匹ずつ来る物には一人で足りる。足りているあいだに若い衆が倒れた体を脇へ寄せる。寄せた分だけ狭くなって、狭くなった分がまた一人ぶんの仕事になる。
夜が深くなるにつれて来方が変わった。
揃って来なくなった。一匹入って、間があって、また一匹入る。狭い所へは一匹しか入れないので間はこちらが作っているのではなく、向こうが待たされているだけだ。
待たされた分が外へ回る。
東と西の外に立てた二人は動いていない。シアは荷車の陰から回った分を数えている。
三匹が続けて入ってきた時がいちばん詰まった。
一匹目は真っ直ぐ来た。
見るのは目でも牙でもない。前脚の出る側だ。左が先に出れば体は右へわずかに開く。開いた側の付け根に隙間ができる。
その隙間へ切っ先を送って、あとは動かさない。動かすのは向こうの仕事だ。
抜いて、足を右へ送る。二匹目は一匹目の体を跨いでいる。乗り越えるあいだは前が下がる。下がった胸は入れる所が広い。
三匹目は右から来た。右は荷車だ。荷車と二匹目の体のあいだは人一人ぶんしかない。そこへ入ってきたのなら出る道もそこしかない。
待って、鼻先が過ぎたところで入れた。
三匹とも自分の走ってきた速さで倒れた。こちらがやったのは向きを決めたことだけだ。
二匹目が頭を上げた。
後ろ脚は動いていない。動かないまま、頭だけがこちらへ戻ってくる。前が重い体は腰が利かなくなっても首から先が残る。
人なら下がる。この相手は下がらない。
ガルドは首の下へ足を掛けて雪へ押さえた。押さえた上から一度入れて、それで止まった。
「……ヴァルドさん」
寄せる方の一人だ。呼んだきり続きを言わない。
二人とも手が止まっている。止まっているのに気づいていない顔だ。
「寄せろ」
二人は動きはじめた。
流れた血は雪の下へ沈む。沈んだ分だけ雪が締まって、そこだけ足の裏に硬さが返ってくる。踏んだ数だけ足元が固くなっていく。
息は上がっていない。上がるほど動いていない。動いているのは向こうで、こちらは向きを決めて待っているだけだ。
肩から先が冷えている。冷えても手は動く。冷えて動かなくなるのは握りっぱなしにした時だ。だから一匹ごとに一度、握りを開いて握り直す。
――――――――――――――――――――
東側に立たせた一人が荷車の向こうを気にしている。畑の側だ。
「荷車の前へ出るな」
「外は」
「回った分は追わん。追えばここが空く」
「はい」
荷車の陰から声が来た。
「右。二匹、外を回った」
シアだ。大きい声ではない。大きくないのに数と向きだけが通る。
外を回る物は荷車と畑のあいだを抜ける。抜けた先は町だ。
通る所を一つにすれば通れない分は外を回る。
それは荷車を引かせた時から分かっていた。分かっていて狭くした。狭くしなければここで全部が抜ける。
「追うな」
言ったが、東側に立っていた一人はもう前へ出ていた。追ったのではない。回ってくる二匹の前に体が入っただけだ。
一匹目は男の刃で倒れた。二匹目が横から来た。
男が雪の上に転がる。
ガルドが着いた時には大牙は畑の方へ抜けていた。追わない。
出るなと言ったのは一度だ。二度言う間があれば一匹倒せる。そう決めているのはこちらで、この男は二度目を聞いていない。
腿の外側から膝の上まで裂けている。血が雪へ届くまでに間がない。押さえた指の下に硬い物が当たった。
「骨まで来てる」
「……はい」
「返事はいい」
外套を裂いて、裂いた布で腿の付け根の側を強く縛った。裂けた場所より下を縛っても血は止まらん。
「二人で運べ。広場だ。バルトがいる」
「戻ってきます」
答えなかった。答える用がない。
西の脇の一人と、寄せていた一人が前と後ろから抱えて運んでいく。運ぶのに二人要る。一人やられれば三人減る。
残ったのは四人だ。
こちらとシア。若い衆は寄せる方に残った一人と、シアにつけていた一人だ。
ここからは二人とも寄せる方に回す。
シアがいるのは荷車の内側の陰だ。外を回った物は向きを変えて戻ってこない。
この二人は賊なら押さえられる。荷の護衛でも困らん。
獣はギルドの仕事だ。支部の依頼の板に紙が三枚並んだので写しが上の支部へ回った。返事が来て人が着くまでで半月と帳場の娘が言った。早くてあと六日だ。
六日ある物は今夜の勘定に入らない。
――――――――――――――――――――
付与灯の光が細くなってきた。
薬屋のは一つの向きだけを強く照らす形に刻んである。強く照らす分、式の弱るのが早い。刻み直しは高いと薬屋の主人が言っていた。借りる時に一晩と言われている。その一晩がどこで終わるのかは主人も言わなかった。
雪は真夜中へ向かって強くなっている。
降った分が倒れた体の上に積もる。積もると形が丸くなって、暗い中では石を並べたように見える。石だと思って足を掛けた若い衆が一度、滑って転んだ。
同じことが続いた。
一匹入る。倒す。二人が寄せる。
二人は途中から腕の動きが遅くなった。遅くなっても止まらない。止まればそのぶん狭くならないと分かっている。
「ヴァルドさん」
「なんだ」
「代わります」
「いい」
それでも男は前へ出た。
出て、来た一匹の前で足が止まった。怖がったのではない。どこへ入れるかを決めるのに間が要っただけだ。
その間に大牙は男の腰の高さまで来ている。
ガルドは横から切っ先を送って前へ倒した。
男はそれから前へ出なかった。
決めるのに間が要る。
こちらには要らない。要らないということに今夜まで気がついていなかった。
「右。一匹、畑へ入った」
「数えたか」
「数えてる」
シアの数は後で聞けばいい。今聞いても、外を回った分は明るくなるまで出ない。片方だけでは足せん。
三十二。今朝この女が畑の縁で拾ってきた数だ。
今夜ここを通った分と外を回った分を足して三十二に届かなければ、届かない分はまだ北にいる。届いたところであれは横切った跡だけの数だ。北が空になったことにはならん。
「シア。畑は」
「暗い」
「見えんか」
「灯りの外だ。数は出ない」
それで終わりだ。この女は匂いの先へは入らない。入らずに戻ってきた日を咎めたことは一度もない。
戻らなければ次の晩に数える者がいなくなる。
広場より南は見えない。
荷車の内側から見ても屋根で切れる。日の落ちる前にここへ立った時から見えていない。見えない場所に立つと決めたのはこちらだ。
家の者は閂の内側にいる。上の子は詰所だ。フェイのところのガイと二人とも、日の落ちる前に入れた。下の子はミラとリアと一緒にランドの店にいる。
入れる場所は日の落ちる前に決まっていた。
こちらが決めたのは自分の立つ場所の方だ。
出るときにミラは行き先を聞かなかった。
聞かない女だ。こちらも言わなかった。
街道口が抜ければあとは町だ。
抜けさせずにいられるのはいまここにいる四人のうち一人しかいない。その一人がここを離れればここは抜ける。
だから南は見ない。行けない場所を見る用はない。
――――――――――――――――――――
真夜中を越えたあたりから、一匹と次のあいだが延びはじめた。
「減りましたね」
「そうだな」
「片づいたんですかね」
「明るくなれば分かる」
雪の上に残っている分は数えられる。数えられない分はどこかへ行った。行った先が北なら畑に跡が出る。町なら出ない。
どちらかは明るくなるまで分からない。
「一人、広場へやれ。減った、とだけ言え」
「はい」
行った男は帰りに二つ聞いてきた。
「市場通りの西の端は団長が引いたそうです」
「そうか」
引いた。人を下げて、その通りを大牙に渡した。
渡した先には戸が並んでいる。フェイは数を見て決めた。決めた男にこちらから言うことはない。
「それと、ギルドの組が支部の前に出てるそうです。一組」
「何人だ」
「五人だそうです」
五人。
日の落ちる前に立たせたのは十九人で、その十九人はガレアとうちの五人だ。ギルドのパーティは入っていない。今夜の分は依頼の板に紙が出ていないからだ。北へ入る依頼も出ていない。
依頼の紙の無い仕事にパーティは動かん。動かせと言える者もいない。だから数に入れなかった。
支部は中央広場と市場通りのあいだにある。西の端を抜けた大牙がいちばん先に着くのは市場通りだ。五人の宿もその並びにある。宿の前まで来たから出た。
五人で地区の通りを全部は押さえられない。押さえられんが、一本なら押さえられる。
残りのパーティは依頼で南へ出たきり町にいない。
二度目も、減った、とだけ言わせた。二度目の男は何も聞いてこなかった。
風は町の方へ向いたままだ。
北から来る風が強くなったのは町の灯りが落ちきった頃で、それきり弱まっていない。強くなった風はこちらの匂いを町へ運ぶ。あれの匂いも同じ向きに運ばれる。
匂いの届く先に何があるかはこの場所からは分からない。
――――――――――――――――――――
付与灯が消えたのは空の薄くなる少し前だ。
消えても足元は見えた。雪の方が明るくなりはじめている。灯りの要らなくなってから消えたのは運がよかっただけで、朝まで持つと踏んで借りたわけではない。
降りは弱くなっている。
倒れた体の上にも雪が乗っていて、乗った厚みでどれが先に落ちたかが分かる。いちばん薄いのが最後の一匹だ。
明るくなってくると寄せた体が壁の形になっているのが分かった。
荷車の内側から街道の西の端まで腰の高さで二列。二列のあいだに人一人ぶんの空きがある。夜のあいだ、その空きの前に立っていた。
壁を作るつもりで倒したのではない。倒した物の置き場所がそこしかなかっただけだ。置いた分だけ狭くなり、狭くなった分だけ倒しやすくなった。
朝になれば片づける物だ。片づけるのに何人要るかはまだ数えていない。
シアが荷車の陰から出てきた。
夜のあいだ、この女はそこから動いていない。
「十一。ここで倒した分だ」
「そうか」
「抜けた向きは団長に言う」
「言え」
十一。
自分が何匹倒したかをこちらは数えていない。数えていたのは若い衆が寄せた回数の方で、それも途中で分からなくなった。
通る所を一つにして、そこへ立った。立った所は抜けなかった。
抜けなかった代わりに通れなかった分は外を回る。回った先は町だ。
その町に、数に入れていなかった五人が出ている。出ていなかったら、と考えるのは今夜の勘定ではない。
狭くしなければここで全部が抜けていた。
若い衆の二人が荷車の輪へ腰を下ろした。腰を下ろしてから二人とも動かない。
こちらは立っている。夜のあいだ一度も座らなかった。
空が薄くなった分だけ広場の方の屋根の形が出てきた。
そこに屋根があることは夜のあいだも分かっていた。分かっていて、一度も見ていない。
ガルドは荷車の内側から出て、南へ歩き出した。
夜のあいだ、この体は一度も南を向かなかった。




