第十五話
「いくつ入れた」
父の声が帳場の方から来た。
ミラは戸口の柱に手をついたまま、はじめから数え直した。日はもう通りの向こうの屋根に半分隠れている。
「三十九」
「合ってるか」
「合ってるわよ」
二度数えて二度とも三十九だった。字の方はいまだに読めないが、数を間違えたことはない。
子どもが二十四人。年寄りが十人。子どもに付いてきた女が五人。うち三人は乳飲み子を抱いている。乳飲み子は子どもの側に入れた。
うちのアシュとリアも、その二十四人の中にいる。
店の者は数に入れていない。父のランドと、住み込みの給仕のソフィと、ミラ。
日の落ちる少し前に、団の若いのが家を一軒ずつ叩いて回った。ニコという子で、まだ十九か二十だ。うちの上の子が詰所の庭で世話になっている。
子どもと年寄りをランドの店へ、とだけ言って次の戸へ行く。何があったのかは言わない。聞き返そうとした時にはもう三軒先を叩いていた。
その子が路地の入口に立って、来た家から順に人を送り込んでいた。
最後に入ってきたのは南の路地の奥の家の兄妹で、上の子が下の子の手を引いていた。二人の後ろには誰も続かない。
「もう来ないの」
「あとは戸を閉めてるそうです」
ニコはそれだけ言って路地を戻っていった。走らない。走れば残りの家が残らず戸を開ける。
「ミラさん、二階はいっぱいです」
ソフィが階段の下から言った。よく気のつく子で、頼む前に数えて下りてくる。
「客間は三つでしょう。まだ入るわ」
「入りますけど、寝かせられません」
「寝かせなくていいのよ。今夜は座らせるだけ」
ソフィは頷いて上がっていった。
――――――――――――――――――――
家は日の落ちる前に閉めてきた。
竈の火は灰をかけて落とした。光の付与石は覆いをかけて棚の奥へしまった。冬に火を落として家を空けることはめったにない。
土間の掛け棒はそのままにしてある。いちばん上に木剣、その下に鉄剣。どちらも持たせなかった。持たせて何になる年でもない。
路地へ出て、戸の外へ垂らしてある引き紐を引いた。中で閂が受けへ落ちる音がする。落ちた閂を外から上げられるのは戸板の穴へ差す鉄の鉤だけだ。鉤は帯に挟んだ。
リアを抱え直した。アシュは半歩後ろを歩いてくる。家を出るときに振り返る子ではない。それがあの時だけは二度、家の方を見ていた。
店では年寄りを先に二階へ上げた。
父は二階を客のほかに見せない。ミラが店にいた十年で一度も例外がなかった。その部屋に今夜は町の子が座る。
上がれない人が二人いる。一人はヤンの伯母だ。去年、甥のヤンを都へ送り出した人で、冬の土間暮らしで膝に水が溜まりかけている。四段目で手すりを掴んだまま止まってしまった。
もう一人は目が悪い。
「帳場の裏へ入って」
ミラは二人を階段の下から連れ戻した。帳場の裏は樽の並びと壁のあいだだ。大人が三人座れば動けなくなる幅しかない。その代わり、表の戸からはいちばん遠い。
隣のハンナは子どもの方についた。隣に住んで十六年になる人で、うちの子らを小さい頃から見てくれている。声が大きいのが今日ばかりは難点だった。
「あんたたち、上で騒がないでよ。騒いだら――」
「ハンナさん」
「……そうね。騒いだら明日の朝ごはんが遅くなるからね」
ハンナは自分で言い直して、子どもらを追い立てて上がっていく。この人に悪気はない。ないまま、替えるところだけは自分で分かる。
卓のあいだにヨーデルが座っていた。店のいちばん古い常連で、若い頃は冒険者だったと本人が言っている。今夜は誰も酒を頼まない。
「ヨーデルさん、上へ」
「ここでいい」
「膝は」
「膝が悪い。途中で止まる。後ろがつかえるだろう」
それだけ言って腰掛けを壁の側へ寄せた。
ミラは勝手の土間の隅へ大桶を一つ据えた。竈の灰を掬って底へ厚く撒き、上から筵を掛ける。三十九人を一晩ここへ入れるならいちばん先に要るのはこれだ。外の便所へは出せない。
灰は朝までもたない。桶の脇へ手桶にもう一杯、掻き寄せて置いた。
「出るときは声をかけてね。一人で行かないこと」
ソフィがそれを二階へ伝えに上がった。
ランタンの覆いを掛けたのはそのすぐ後だ。
この店の灯りは明るい。夜、通りから店が開いていると分かるように灯してある。ミラは布を二重にして、光が卓の上だけに落ちるようにした。
消しはしない。真っ暗にすれば誰かがいちばん先に確かめに立つ。
二階へ上がる前に、アシュが西向きの窓のところに立っていた。
背伸びをして、格子の隙間から外を見ている。窓の外は路地で、路地の先は坂だ。坂を上りきったところにあの子の通う塔がある。ここからは屋根の陰になって見えない。
「離れなさい」
「はい」
素直に離れた。離れて、樽の脇に座る。
「三十九です」
「え」
「入った人です。僕とリアも入れて三十九」
息子は自分の膝を見たまま言った。誰に頼まれたわけでもない。この子は物の数と日の数をいつも勝手に数えている。
「合ってるわ」
「はい」
リアはミラの腕の中で、抱かれたまま襟のところを掴んでいる。
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最初の音は北から来た。
遠い。市場通りよりまだ向こうだ。物が倒れる音が一度あって、そのあとは何も聞こえなくなった。
二階の床が一斉に軋んだ。子どもが窓へ寄ったのだ。ハンナが低い声で戻している。
音が二度目に来たときはもう遠くなかった。
人の声が混じっている。何を言っているかは分からない。分かるのは言っている人がまだ立っているということだけだ。
ヨーデルが壁の側で腰掛けを鳴らした。
「戦の年もこれをやった」
「ヨーデルさん」
ミラは天井を指した。上には子どもがいる。
ヨーデルは声を落とした。
「町の子を一箇所へ入れる。入れる場所を決めるのが遅れた町があってな」
そこで話を切って、椀もないのに卓へ手を置いた。
ミラも先を聞かなかった。
卓の下で小さい子が一人、息を吸い込んで泣きかけた。
ハンナが下りてきて、その子を膝に乗せて背中を叩いた。歌わない。歌えば二階まで届く。叩く手の間隔だけが一定だ。子守を三十年やった手だった。
「ミラさん、外はどうなってるの」
「知らないわ」
「知らないの」
「知らないのよ。知ってる人はここにいないの」
ハンナは言い返さなかった。この人が言い返さないのはめったにない。
「開けて」
戸のところで女が一人、閂に手をかけていた。乳飲み子を抱いた三人のうちの一人だ。
「うちの人が市場通りにいるの」
「知ってるわ」
「じゃあ――」
「開けたらこの中の数が変わるのよ」
女の手が止まった。
「その子を抱いて出れば三十七になる。置いていくならその子を見る人が一人増える。増えた分だけ、二階の子らを見る手が減るの」
ミラは女の腕から子どもを取り上げなかった。抱かせておく。
一度こちらの腕へ移せば返すのはこちらの仕事になる。返せない朝が来た時に、その分を払うのもこちらだ。
「戻ってらっしゃい。あたしはここから動かないから」
女は戸から手を離した。離してからその場に座り込んで泣いた。声は出さない。
父が奥から出てきて、閂を一度持ち上げて落とし直した。掛かる音が確かにする。それだけやって、また帳場へ戻っていく。この人は昔からそうだ。言う代わりに手が動く。
この女は行き先を知っている。市場通りだと言えた。
うちの人がどこに立っているかは知らない。出ていく時に聞かなかった。聞いていたら、ひと晩じゅうその方角を見ていた。
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裏から音が来たのは真夜中の少し前だ。
勝手口の外は行き止まりの路地で、突き当たりに井戸がある。そこで鉄が石に当たった。井戸の囲いの石だ。丸くて背が低くて、どこに当たっても同じ高さで鳴る。子どもの頃に柄杓を落として父に叱られた音と同じだった。
音のあいだに人の息が挟まる。荒い。近い。
獣の方は声を上げない。上げないのに音はしている。鼻から短く吹く音だ。
獣の側の音は変わらない。上がったり下がったりするのは人の側だけだ。どちらが押しているのかはここでは分からない。
二階が静かになった。
誰も窓へ寄らない。寄らずにいられるようになるまでにこの夜は半分過ぎた。
ミラは麦湯を薄く作った。
誰も頼んでいない。それでも湯を沸かして椀を並べていれば店の中に一つだけ普段どおりの音が立つ。黙れと言うより効く。
湯を注ぎながら数えた。椀の数は、乳飲み子の三人を除いた人の数と合う。合っているうちはまだ何も起きていない。
ソフィが椀を運びながら小さい声で聞いてきた。
「館の人は来ないんですか」
「来ないわね」
「うちのお客が言ってました。日が暮れてからだって」
「その日が暮れたのよ」
ソフィはそれ以上聞かなかった。聞きたい顔のまま次の椀を持って、階段へ向かう。手だけは止まらない。
音は長かった。長いあいだ続いて、それから途切れた。
途切れたのが終わったからなのか、鳴らす人がいなくなったからなのかはこの中の誰にも分からない。
ミラは空いた椀を集めて回った。
集めながら、椀ではなく顔を数える。二階で二十二。帳場の裏で二。卓のあいだに九。勝手の土間に五。
三十八。
もう一度、階段の下から数え直した。三十八だ。
三度目も同じだった。
――――――――――――――――――――
樽の脇に誰もいない。
勝手口の閂が外れていた。落として掛けるはずのものが、壁に寄りかかっている。
外からは掛けられない。中から誰かが外した。
夜のあいだ、大桶を使いに立つ子が何人もいた。そのたびに誰かが勝手の土間を横切る。一人ずつは見ていない。
西向きの窓のところにも誰もいない。格子の下に吹き込んだ雪が、一箇所だけ解けた跡になっている。
「ソフィさん。アシュ、見なかった」
「さっき麦湯を配ったときは樽の脇に」
「その後は」
ソフィは椀を持ったまま黙った。分からないことを、分かるようには言わない子だ。
ハンナが階段を下りてきた。話を半分だけ聞いたらしい。
「探してくるわよ。あたし、足は速いんだから」
「駄目」
「だって」
「ハンナさん。上に二十二人いるのよ」
ハンナは階段の途中で足を止めて、そのまま上へ戻っていった。戻る背中がまだ何か言っている。
あの路地に逃げ場がないことはこの店で育った者なら誰でも知っている。
その逃げ場のない方へ、アシュは中から出ていった。
ミラは勝手口の前に立った。
手が閂へ伸びる。伸びたところで腕の中のリアが身じろぎした。
この子を誰かに渡さないと外へは出られない。渡せば渡した人の手が一つ塞がる。塞がった一つは二階から引くしかない。この子を抱いたまま出れば三十七で、戻らなければ三十七のままだ。
数は最初から合っている。合っているのが分かるから足が動かない。
閂を拾って、元の受けへ落とす。
落としてからその場に立っていた。しばらく立っていた。
父が来て、勝手口の前の床に腰掛けを一つ置いた。置いてそこへ座る。ミラが立っていた場所に、父が座った。
「レインは詰所だ」
「知ってる」
「あっちは大人が見てる」
「知ってるわよ」
「ミラ」
「なによ」
「その閂を上げるのはお前だ。お前が上げるまで誰も外へ出ない」
父はそれきり何も言わなかった。無口な人が一晩で言う分は、たぶんこれで終わりだ。
三人のうち一人は詰所にいて、一人は腕の中にいる。
残りの一人がどこにいるかをミラは知らない。
――――――――――――――――――――
真夜中を過ぎてから、音と音のあいだが空きはじめた。
空いても減ったとは思わない。減ったのだとしても、減ったのが向こうだけとは限らない。
店の中では誰も喋らなくなった。喋らない人が三十八人いると屋根の雪が滑る音まで聞こえる。
リアが目を開けた。
「あしゅ、いない」
「うん」
「なんで」
「さあ、どうしてかしらね」
この子はそれで満足しない顔をした。満足しないまま、また目を閉じる。
ミラは襟を掴んでいる手の甲を、指の腹で二度撫でた。
ヨーデルは壁の側の腰掛けから朝まで動かなかった。膝が悪いというのは本当だったのだろう。
ソフィは二階と一階を何度も往復した。上の様子を聞かれる前に下りてきて、聞かれてから一つずつ答える。この子には帳場を任せられる。
窓の格子が白くなりはじめる。
外の音はもうしない。しないというだけだ。何が終わったのかはまだ何も分からない。
団の者が戸を叩きに来たのは、それからだいぶ経ってからだった。二度叩いて、店の名を呼んで、それから「開けていい」と言った。
昨日の夕方に路地を回っていた子ではない。声に覚えがない。
「市場通りは」
「そっちはまだです」
男はそれだけ言って次の戸へ行った。次の戸のところで一度立ち止まって、また歩き出す音がした。
ミラは閂を上げた。上げる前に指が一度止まる。止まったのを誰かに見られたかどうかは分からない。
戸が開くと外の冷たさが土間の低いところから入ってくる。
人が出はじめた。年寄りが先で、子どもが後だ。歩ける者から順に、路地の方へ散っていく。
ヤンの伯母は帳場の裏から出るのに手間がかかった。ソフィと二人で腕を取って、敷居のところで一度休ませる。一晩座り通しで膝は入ってきた時より太くなっていた。
外は雪で明るかった。夜のあいだにまた積もっている。
積もった上に足跡がいくつも重なっている。どれが誰のものかは分からない。
あの子が出ていったのは裏だ。踏んだ跡は、夜のあいだの雪の下になっている。
ミラは戸口に立って、出ていく者を一人ずつ数えた。
三十七まで数えて、腕の中の一人を足した。それからもう一度、はじめから数え直した。




