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イテルニア黙示録  作者: SEもどき
終わりを知らない空の下で
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2/7

第零話 誠に残念ながら

私の名前は田中誠。四十五歳。独身。派遣社員。


 趣味はゲーム。特技はコードを書くこと。好きな食べ物は特になし。嫌いな食べ物も特になし。


 これが私の自己紹介だ。二十年間、何も変わっていない。


 強いて言えば、昔は「夢はゲームプログラマー」という一文が最後についていた。今はそれも消えた。



――



 午前二時。


 田中誠のモニターだけが、暗いオフィスに光っていた。


 画面に映っているのは、求人サイトだ。


 フィルター設定はこうだ。職種:プログラマー 経験年数:不問 年齢:不問 給与:応相談


 「応相談」というのは、正直に言うと「あなたには期待していない」という意味だと田中は知っている。それでも外さなかった。外してしまうと、表示される件数が三桁から二桁になる。二桁になってしまうと、数えられてしまう。数えてしまうと、少ないとわかってしまう。


 人間は、知らないでいられる間は知らないでいたい生き物だ。


 少なくとも田中誠はそうだった。



――



 田中誠がプログラマーを夢見たのは、十六歳のときだ。


 きっかけは他愛もない。放課後の教室で、同じクラスの木村という奴が持ってきたゲームを遊んだだけだ。木村は攻略本も持ってきていて、田中はゲームよりそっちに夢中になった。


 攻略本の巻末に、開発スタッフのインタビューが載っていた。


 「このゲームを作るとき、いちばん悩んだのは主人公の走る速さです」


 田中はそれを読んで、なぜか泣きそうになった。走る速さ。たったそれだけのことを、誰かが何日も何週間も悩んで、試して、直して、また試している。そういう人間たちが積み上げたものを、自分は今日の放課後に遊んでいる。


 いい仕事だと思った。


 自分もやりたいと思った。


 その二つだけで、田中誠の進路は決まった。もう少し複雑な理由があったほうが人生としての体裁がいい気もするが、実際そういうことだったので仕方がない。



――



 就職活動は、うまくいかなかった。


 面接で「御社のどのゲームが好きですか」と聞かれて「いや、最近あんまりやってなくて」と答えたのが敗因の一つだと思う。正直に言いすぎた。でも嘘をついても仕方がない。好きなゲームの話を三十分続けるだけの熱量が、田中にはすでになかった。


 ゲームが嫌いになったわけではない。ただ、四年間コードを書き続けた結果、田中が好きなのはゲームではなくコードを書くことだったと気づいた。コードが好きな人間は、ゲーム会社よりも別の場所に行ったほうがいい。そういうことだ。


 結局、田中は派遣のプログラマーになった。


 これが二十三歳のときの話だ。



――



 派遣の仕事は、悪くなかった。


 むしろ、合っていた。決められた範囲のコードを書いて、納期に間に合わせて、余計な会議に出なくていい。田中はそれで十分だった。出世したいとも思わなかった。名前を覚えられたいとも思わなかった。ただ静かに、コードを書いていたかった。


 そういう人間のことを、世間では「向上心がない」と言う。


 田中に言わせれば、「向上心」というのは他人に評価されることへの欲求のことで、自分のやりたいことをやっていたいというのは別の何かだ。名前はよくわからない。でも確かにある。


 その「何か」が、田中をずっと動かしていた。


 二十三歳から四十五歳まで、二十二年間。



――



 AIが本格的に台頭してきたのは、田中が四十を過ぎたあたりだ。


 最初は笑い話だった。「コードを書いてくれるAIが出た」という話を、同じ現場の派遣仲間と昼飯を食いながら聞いた。そのときは全員で笑った。「じゃあ俺たちの仕事、なくなるじゃないですか」「なくなるかもな」「え、洒落にならないですよ」「洒落にならないな」。


 それで笑えていた。


 三年後には笑えなくなっていた。


 笑えなくなった理由は単純で、笑い話ではなくなったからだ。


 田中が長年担当していた業務システムの改修案件が、ある月を境にぱたりと来なくなった。担当の営業に聞いたら、「先方がAIツールを導入されたそうで」と言った。営業は申し訳なさそうな顔をしていたが、田中には申し訳なさそうな顔をされても困るという気持ちしかなかった。そんな顔をされても、何も変わらない。


 別の現場を探した。


 見つかった。


 その現場も、半年後になくなった。


 また別の現場を探した。


 今度は少し時間がかかった。


 その繰り返しを、二年続けた。


 求人票の「経験年数:不問」という文言が、徐々に嘘になっていくのがわかった。問わないふりをしているだけで、実際には問っている。四十五歳の派遣プログラマーを喜んで使いたい企業は、年々減っている。統計を取ったわけではない。でも体でわかった。


 そして今年の三月、田中誠は派遣を切られた。


 「契約更新なし」という6文字で。



――



 画面を見ていた。


 午前二時の求人サイト。フィルター「応相談」込みで、表示件数は103件。


 田中は一件ずつ開いていた。スクロールして、読んで、閉じる。スクロールして、読んで、閉じる。103分の1から103分の103まで。


 全部読んだ。


 もう一周した。


 二周目の途中で、田中は気づいた。自分が求人を読んでいるのではなく、読んでいるふりをしていることに。画面を見ていれば、何かをしている気分になれる。何かをしている気分になっていれば、考えなくて済む。


 何を考えなくて済むかというと、「もうこれは詰んでいるかもしれない」ということを。


 田中は目を閉じた。


 瞼の裏が、オレンジ色に光っていた。モニターの残像だ。


 四十五歳。派遣プログラマー。無職。独身。


 この先どうなるか。生活費の計算くらいはできる。貯金がある。しばらくは食える。でも「しばらく」が何ヶ月を意味するかは、考えたくなかった。考えたくなかったので、また目を開けて、求人サイトの三周目を始めた。



――



 三月の終わりに、田中はハローワークへ行った。


 窓口の担当者は若い女性で、田中の経歴を見ながら「プログラマーのご経験が長いんですね」と言った。褒めているのか、困っているのか、どちらともとれる言い方だった。田中は「まあ、そうですね」と答えた。


「最近はAI関連のスキルをお持ちの方が有利で……」


「はい」


「研修制度もございまして……」


「はい」


「年齢的には、少し……」


「はい」


 担当者は最終的に、三枚の求人票を印刷して渡してくれた。田中はそれを受け取って、外に出た。晴れた日だった。桜がそろそろ咲く時期だった。田中は求人票を読んだ。


 一枚目:経験者優遇。実務経験五年以上。


 二枚目:若手歓迎。三十五歳以下。


 三枚目:AIツール活用スキル必須。


 田中は三枚をまとめて、鞄にしまった。


 桜を見ながら帰った。


 きれいだとは思わなかった。かといって、きれいじゃないとも思わなかった。ただそこにあった。



――



 四月になった。


 田中は毎日、午前二時まで求人を探した。昼間は図書館に行った。図書館にはコンセントがある席があって、そこにノートパソコンを持ち込んで、ポートフォリオを更新した。更新しながら、これを誰かが読むのかどうか、読んだとしてどう思うのか、ということをあまり考えないようにした。


 考えないようにするのも、だんだん上手くなった。


 五月になった。


 応募した企業から返信が来たのは、十四社中三社だった。面接まで進んだのは一社。不採用通知は、メールで来た。件名は「選考結果のご連絡」。本文を開かなくても内容はわかったが、開いた。確認しないと次に進めない気がしたから。


 「誠に残念ながら」という書き出しだった。


 残念なのは田中のほうだ、と思った。でも笑えなかった。



――



 六月の雨の夜に、田中は偶然あの動画を見た。


 偶然、というのは本当に偶然だ。ニュースサイトをぼんやり眺めていたら、関連記事に出てきた。タイトルは「AI時代の人材戦略――業界の最前線から」。サムネイルに、見覚えのある顔があった。


 木村だった。


 木村健太。田中の高校時代の同級生。攻略本を持ってきた奴だ。


 田中はしばらく、サムネイルを見た。木村は三十代のころからゲーム会社で働いていて、最近はAI開発の部門に移ったと、どこかで聞いた気がした。フェイスブックで繋がってはいたが、お互い何年も投稿を見ていない程度の関係だ。


 クリックした。


 インタビュー動画だった。木村はスーツを着て、きれいな椅子に座って、落ち着いた声で話していた。頭が薄くなっていたが、それは田中も同じだ。


「正直に言うと、もうプログラマーという職種自体が過渡期にあると思っています」


 田中は画面から目を離せなかった。


「コードを書く作業は、AIが人間より速く、正確にやります。これは事実です。じゃあ人間に何が残るかというと、何を作るかを決める力、ですよね。AIに指示を出す側に回れる人間と、そうでない人間の差が、これからどんどん開いていく」


 インタビュアーが「従来型のプログラマーへのメッセージは?」と聞いた。


 木村は少し間を置いて、こう言った。


「厳しいことを言うようですが、プログラマーはもう、AIで十分なんです」


 にこやかに、はっきりと、カメラを見て。


 田中は動画を止めた。



――



 部屋が静かだった。


 雨の音だけがしていた。


 田中は自分のポートフォリオを開いた。半年かけて更新してきたやつだ。スクロールした。読んだ。


 二十二年分のコードがここにある。


 システムの改修。業務の自動化。誰かの仕事を少し楽にするための、地味で正確な仕事。名前が残るわけでもない。表彰されるわけでもない。ただ動けばいい、という種類の仕事を、田中は二十二年間やり続けた。


 それを、AIで十分だと言われた。


 木村に言われた。


 あの攻略本を持ってきた木村に。


 田中は笑おうとした。笑えなかった。泣こうとした。泣けなかった。


 ただ、ひどく静かな気持ちだった。


 嵐の前の静けさではない。嵐が終わった後の、何もなくなった静けさだ。



――



その夜、田中誠は検索をした。


 最初の検索は、あっけないほど簡単だった。


 キーボードを打つのは慣れている。田中の指は二十二年間、毎日コードを叩いてきた。検索ボックスにキーワードを入れて、エンターを押す。それだけだ。息をするより簡単だった。


 画面が、止まった。


 正確には、止まったのではない。検索結果の代わりに、薄い青のバナーが出た。


『こころの健康相談統一ダイヤル:0570-064-556』


『今、つらい気持ちを抱えていますか?』


 田中はそれを見た。


 五秒ほど見た。


 スクロールした。


 AIは丁寧だった。相談窓口の番号を三つ並べて、「あなたのことが心配です」と書いてあった。文章は柔らかく、責めるような言葉は一つもなかった。おそらく膨大なデータで最適化された、傷つけない言葉で作られていた。


 田中はそれを読みながら、ぼんやりと思った。


 よくできてるな、と。


 プログラマーとして、素直にそう思った。こういうバナーを出すトリガーの設計、表示タイミングの判定、文章のトーン。誰かが時間をかけて作ったものだ。いい仕事だと思った。


 そして、自分には関係ないとも思った。


 悪意はない。ただ、関係なかった。田中が今いる場所は、「つらい気持ちを抱えている」という言葉が届く場所より、少し先だった。嵐の中にいる人間に傘を差し出されても、嵐が終わった後には意味がない。


 スクロールして、求めていた情報を探した。


 また、バナーが出た。


 今度は別のデザインだった。オレンジの枠線。「一人で抱え込まないでください」。


 田中は読んだ。


 スクロールした。


 三回目のバナーが出たとき、田中は少し笑った。笑った、というより、口の端が動いた。


 しつこいな、と思った。悪口ではない。むしろ、よく作ってあると思った。


 でも。


 田中は二十二年間、業務システムを作ってきた。どんなシステムにも抜け道がある。完璧なフィルタリングは存在しない。情報は必ずどこかに流れていく。それがプログラマーとして田中が学んだことだった。


 目的の情報に、たどり着いた。


 画面を見た。


 そこからが、長かった。



――



 情報を得ることと、実行することの間には、途方もない距離がある。


 田中は画面を閉じた。


 開いた。


 また閉じた。


 時計を見た。午前二時十七分。


 立ち上がって、台所に行った。水を飲んだ。冷たかった。コップを置いた。部屋に戻った。椅子に座った。画面はスリープになっていた。


 マウスを動かした。


 画面が戻った。さっきの情報がそこにあった。


 田中は思った。


 明日でもいい。


 次の瞬間に思った。


 明日も同じだ。


 その二つが、静かに、交互に来た。叫んでいなかった。泣いていなかった。ただ、静かに、交互に来た。まるでカーソルの点滅みたいに。一定のリズムで、止まらずに。


 田中は気づいた。


 自分が怖いのは、死ぬことではない。


 また明日の朝が来ることだ。


 またモニターの前に座って、また求人を探して、また「応相談」のフィルターを外せなくて、またハローワークへ行って、また「年齢的には、少し……」と言われて、またメールの件名が「選考結果のご連絡」で、また「誠に残念ながら」で始まる朝が来ることだ。


 その朝が来るたびに、田中誠は少しずつ、何かを失ってきた。


 もう、失うものが残っていなかった。


 最終的に「もう十分だ」が、「まだやめられる」を上回った。


 大きな差ではなかった。


 そのわずかな差で、田中誠は立ち上がった。



――



 その後のことは、田中にはよくわからない。


 気がついたら、静かだった。


 体がなかった。痛みもなかった。あのモニターの光もなかった。雨の音もなかった。


 ただ静かで、どこまでも静かで、


 そのまま——



――



 ——気がついたら、声が聞こえていた。


 知らない言葉だった。知らない天井だった。知らない体だった。


 泣いている声がした。


 田中は——いや、その時点でもう田中という名前は消えていたが——その声を聞いて、最初に思ったのはこうだ。


 うるさいな。


 次に思ったのはこうだ。


 なんで俺、生きてるんだ。


そして最後に、底の底から微かに感じた。



――これを、終わらせてはいけない。



 赤ん坊の田中誠は、小さな手を握りしめた。

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